2度目のバリ旅行記

1日目 (移動)夜 デンパサール着
2日目 SPA クタの街(テロの日)
3日目 バロンダンス ヌサドゥアでマリンスポーツ ドリームランドビーチ ウルワトゥ寺院 ケチャダンス クタ
4日目 スミニャクで買い物 デンパサールで買い物 ウブドのテガララン クタ
5日目 キンタマーニ高原 タナロット寺院 デンパサール市場 クタ
6日目 クタ観光 クロボカン、スミニャックのビーチ クタ 夜飛行機
7日目 (移動)夕方 天津の家に戻る

10月3日(月) 4日目 買物とウブドのテガララン

■U子のアパートへ
 
 朝少しだけ遅めにおきて朝食も食べて準備をしていた。U子から電話がありU子のアパートまでいくことにした。実はU子のアパートは私の泊まっているホテルのすぐ近くなのだ。アパートは入っていくと最初に大家さんの家があってそれからアパートがある。常夏の国だからなのか人がいつも外にでている。庭みたいなのがあってそこに屋根付のあずまやみたいなものがある。そこはトイレではなくてただカーペットがしいてあるだけなのだけれど、暑いときはそこで涼んだりするのじゃないかと思う。アパートは建物の作りとしては日本のアパートにににている。階段があってそれを上ると楼かがあり、それぞれの部屋のドアがある。階段が沢山ある中国のアパートとは全然違う。
 U子のアパートは結構綺麗だった。家賃が3,000,000ルピアくらいといっていたのでバリでは高級な方にはいるのかなぁ?少しだけみせてもらったDのアパートは300,000ルピアで綺麗ではなかった。それに比べたらかなり清潔感があっていいところだわ。バルコニーもあって緑一杯の景色もあるし。ご飯をつくる設備がないけれど外で安く食べられるからまあなんとかなるかな。
 
↑アパートに停めてある皆の足バイク。 ↑中庭には洗濯物など
↑水槽もあった。 ↑木、椰子の実?が無造作に置かれていた。
↑この細い道を出ると道路にでる。

■CDショップでCD購入
 
 まだU子の友達Pがきていないので私は隣のCDショップをみにいった。さっそく店員にどこからきたの?日本はどこ?と沢山話しかけられた。英語が上手だねといわれた。本当にそんなことないので「そんなことないよ」っていったら、「日本人は普通英語を全く話せないから、君は上手だよ」といわれた。私が「そうだね、話せる人は話せるけれど殆どの人は話せないかもしれない」といったら、「話せる人は全体の20%くらいかな」と彼はいった。「うん」といったけれどたぶん20%もいないだろうと思う。
 バリかインドネシアの伝統音楽のCDを買いたかったのだけど残念ながらそこには外国のものしかなかった。外国人の観光客が安いからって洋楽のCDを買って帰るそうだ。これらはコピー版らしいのだけれど先進国でCDを買ったらすごく高いからここで沢山買うのもわかる。私も普段中国で安いCDを買いまくっているからね。そこではCD一枚10,000ルピアで日本円にすると約100円。日本の価格に比べたら破格だ。中国だと8元くらいなのでこれも日本円にすると100円強。大体同じくらいなので中国で売ってなさそうなのを買うことにした。店員におすすめは?ときくと、「UB40」となぜか「喜多朗」だった。喜多朗は・・・日本で買えるし(中国でも買える)と断ったらギリシャのオーケストラのDVDをすすめてくれた。喜多朗っぽいのを日本人の私が好きだと思ったみたい。テレビがあるのでそのDVDをみせてくれたのだけどなぜバリにきてギリシャなのだろうという疑問に回答はみつからずそのDVDは却下になった。ここの店主さん年齢がかなり上に思ったかもしれないけど実は20代の若者だ。たぶんバリの伝統的音楽が買いたいといったからそういうセレクトをしてくれたのだろう。でも結局買ったのは天津で手にはいらなそうな洋楽、ロックとR&Bと店員にすすめられたUB40だった。
 
■スミニャックで買い物
 
 私がCDを買っている間にメンバーは揃った。U子とU子の友達のバリボーイP君。今日もP君の運転ででかける。最初は西洋人が多いおしゃれな場所、スミニャックで洋服などを買うことにした。最初に見たお店は綿100%の自然色でゆったりとした洋服を扱うお店だった。そこで白のシャツを購入。続いてのお店ではパーティーでも切れる!と思ってかった黒いスカート(天津にもどり着てみたら結構ピチピチ)と黒のお花がついたサンダル。
 
↑購入した黒のスカート ↑車の中の図 運転(右)はバリ人のP君
 
■デンパサールのデパートで買い物&昼食
 
 その後Pがデンパサールのデパートに安くてまあまあの物をうっているというのでデンパサールまで行く。デパートというと高いイメージなので心配だったけれど高くはなかった。日本のJ○SCOのような感じといえばいいかな。日本で買うことを考えたら激安だけど天津に住んでいる私からみるとそうでもなかった。値段は中国で買うのとあまり変わらない。ものとしてはシンプルなデザインのものなら中国で買えるし、民族チックなものも実は中国にもたくさんある。キュートなデザインだってそのデパートに売っているようなものなら大体中国で同じようなものがかえる。多少は常夏のバリならではのデザインがあったりするけれど、荷物を増やしてまで持ってかえる気になるようなものでもなかった。それに天津は日本の実家とは違う。またいつかは引き上げるときがくるのだ。そのときに服などは特に気に入っているものでなかったら処分することになると思う。だから「安いから」というだけで衝動買いはできないのだ。
 U子もカーディガンを探していたそうだけどいいものがなかったそうで次はここよりは少し質がよいマタハリデパートにいくことにした。その前にお腹がすいたので地下にあるフードコートで食事した。バリの料理のファーストフードがある。私は「ガドガド」と昨日飲んで気に入ったアボガドのジュースを頼んだ。ここのアボガドのジュースにはチョコのアイスクリームがのっていたけどジュースはもともと甘いのでアイスはいらない気がする。ガドガドは好きな料理なんだけどファーストフードだからやはりそれくらいの味だった。
↑昼食のガドガドとアボガドジュース
  
■マタハリデパート
 
 マタハリデパートはクタにもあってそこは少し高いイメージなのだけどデンパサールにあるマタハリデパートはクタのほど高価ではない。確かにデンパサールデパートよりは少し高いようだけど質もよさそうだ。ここでは買おうかなぁと迷った洋服があった。常夏の夏服って感じだったのだけどU子に子供っぽいといわれてやめることにした。自分では気に入っているけれど3歳も年下のU子にそういわれると、20代半ばの私は買ってはいけないような気がしてきた。確かにかわいい服だった。だけどもしかして私の歳の人はもっとシックな服をきるべきなのかしら?私が天津で3年半働いている間に自分のセンスだけが3年半前のままになっているのかもしれない。そういえば10年近く天津に滞在していた女性は年甲斐のないファッションをすることが多かった。27歳くらいでピンクのフード付セーターとかスヌーピーとかポパイのキャラクタートレーナーで会社にきてそしてその格好で日本人の集まりに出席したりしていた。髪もいきなり金髪にしてみたり、紫のきらきらした口紅を会社にしてきたり。そういうのって日本を離れて長いという要因もあるかもしれない。
 
 U子のアドバイスもあり私はその常夏ファッションは買わないことにした。そうだもう少し大人っぽい服を買おうと心に決めて。
そして今日の観光のメイン「ウブドのテガララン」へ向かった。
↑み〜んな、バイクに乗っている ↑NISSAN発見
↑交差点で仕事をする人。
↑旦那、子供、奥さんの三人乗り
↑家と屋台とバイク、の普通の風景 ↑車とバイクの共生。
天津でいうと車と自転車の共生だろうか
↑お祭のために家の前に飾りをつけている
 
■ウブドへ
 
 ウブドは芸術の街として外国からの旅行者たちに愛されているそうだ。山の方に位置しているのでビーチはないのだが外国人観光客が必ず訪れる場所だ。私は盆地育ちなので海よりは山の方が好きだ。ウブドは小さい町だからすぐに飽きてしまうということがわかってても、ビーチのそばのクタのような街よりも小さな山の街ウブドが好きだったりする。ウブドの町中は前回バリにきたときにまわったので、今回はウブドの街から少し離れた段々畑「テガララン」を直接目指した。
 
■テガラランはいずこへ
 
 ガイドブックを持ってきたし、バリ人のPがいるから大丈夫!と思っていたけれど、Pはテガラランにいったことがないようだ。同じく日本人でバリ滞在3ヶ月半のU子が唯一一度いったことがあるというのだけれど自分で運転していったことがあるわけじゃないのであまりあてにならなそうだ。地図をみてテガラランに続くみちをウブドの街中から北上していった。バリで道はあまりたくさんないので、一筋間違えちゃったなんてことは殆どなさそうだ。だから間違ってはいないのだけどいつになったらテガラランにつくのだろうか、私達はかなり長い間車にのっていた。一度「テガラランはこっち」という標識があったのだけど、それから先「ここがテガララン」という標識はみつからなかった。私達にある情報はテガラランはウブドから車で30分。途中段々畑がみえる場所があって「もしかしてここがテガララン?」と思うのだけど、そういう標識も無いし観光客がたまるような場所もないし、誰もしないし、U子も違うと思うというのでさらに車を走らせることにした。あきらかに30分を過ぎているのだけど、さっきのところより大きな段々畑が広がる場所はない。だけどさっきのところはそんなに大きくはなかったし、きっと後少し進んだら広い段々畑の光景が広がるのよ、期待を胸に待っているのだけど段々とさっき通ったところがテガラランだったのかもしれないと思えてきて運転手のPにも申し訳ないかなぁという気もして引き返すことにした。もっと広大な段々畑がこの先になるのかもしれない。だけどそれはもうずっと車を走られてきても見つからなかった。とりあえずは引き返してさっきの段々畑をみてみよう。
 
■郷愁の段々畑「テガララン」と物売り
 
 さっきの段々畑に戻った。道路沿いに数軒家がたっていてそこでお土産をうっている。観光客がきたことがわかったらしつこいセールスが始まるかもしれないと思ったので、なりをひそめて田んぼの方へ降りていった。幸いそのお土産屋の人は押し売りの商売はしないようででてこなかったのでゆっくりと段々畑で写真をとったりしていた。段々畑は所々南国の木が生えていて日本のそれとは違うけれどでも心地よい眺めだった。やっぱり自分は緑がすきなんだなぁと思った。日本では田舎育ちなので田んぼがすぐそばにある生活に自分では気づいてないけれど慣れているのかもしれない。そういえば中国にも段々畑の美しい農村がある。雲南省にいったときバスで山を越えるときにも綺麗な段々畑があったのを覚えている。それも広大だったけれど南国の植物はないからまたバリの段々畑はまた違った味がある。共通するところは米なのだろうか。田んぼを見ると米を食べる国の人たちは同じように思うのだろうか。たとえ南国の木が生えていても、緑の色が少し違っても。

↑民家の右側が道路
↑お土産屋さん
↑南国の木が沢山生えている


 郷愁に浸っていると地元の子供達が田んぼの方から駆けてきた。田舎の子は元気に遊びまわっていいねぇなんて思っていると彼らは物売りだった。おみやげ物の小さい猫の置物などを日本語で何万ルピー、安いよ安いよ、といってくる。割としつこい方だったけれど、中国の乞食の人のように足にしがみついて離れないということはないので私は簡単に対処していた。そしたら今度は観光バスがやってきて沢山の西洋人のおじさまおばさまがきた。そして子供達は新しい標的?をみつけてそっちにいった。バリ人を一人つれている日本人の若者より、西洋人のおじさまおばさまの方が裕福ということを知っているのかはわからないけれどがんばって営業活動をしていた。田んぼの方から農具を担いだおじいさんもやってきて、自分のかぶっている木の葉っぱでつくった帽子を西洋人さん達に売りはじめた。あきらかにちゃっちいし、おじいさんのかぶっているのを見てもわかるようにすぐに色が褪せてしまう帽子だ。でも西洋人のおじさまおばさまは結構興味を示している。「5ドルなら買ってもいいかなぁ〜」なんて声もきこえてきて驚いた。だめだめ5ドルは高すぎるよー!といいたかったけれど人のビジネスに口をはさんではいけない。正直で誠実であることを好む日本人、私も例外ではないけれど海外滞在や旅行でたくさんのトラブルを経験するうちに、「他人のビジネスに口を出さない」ということが自己防衛になるということを学んだ。だから高すぎるなぁと思ったけれど黙ってみていた。結局気に入って試着していたおばさんもかわなかったみたいだ。写真を撮っているとさっきの物売りの子供が興味津々でやってきた。写真撮ってほしいの?っていったら撮って撮って!というので撮ってあげた。モニターでみせてあげると「写真を撮ったから写真のお金ちょうだい」といわれた。それまで商売かいな。そういやー中国の観光地でもそういうことがあったのを思い出した。もちろんそういう場合は「ばかげている」とつめたい顔で無視。子供もすぐにあきらめてまた西洋のおじさまおばさまのところへいった。彼らはしつこくはないのだけれど、うまいなぁともったのが西洋人のおじさまおばさまに「Money for school」といって買ってくれというところだ。冷静に判断したらウブドは確かに山間でひらけてはいない。だけど観光地なのだから貧しくて学校にいけないという状態はあまり考えられない。だけどこれが西洋の先進国からきた人達にしてみたら、彼らの家は狭くて、独特の汚さがあって、物価も安いし貧しいと勘違いしてしまうのはありえるのかもしれない。それに学校にいけない子供達が、アジアのどの場所にどれくらいいるのかということまで把握している人はそれほどいないかもしれない。実際その学校に行くためのお金と称しておみやげ物を売ってどれだけの効果がでているのかわからないけれど、うまい手段だなぁと思った。
 
↑バスから西洋人観光客が降りてくると
物売りの子供たちのターゲットはそっちに集中
左で電話しているのは現地のガイドさん
↑葉っぱ帽子を試着するおばちゃん(手前)と
帽子売りのおじいちゃん(奥)
↑この写真を撮ってお金をせがまれた。 ↑物売りの子供たち
■ホテル マヤ・ウブド見学
 
 その後はホテルで働くU子のつてでウブドにある マヤ・ウブドというホテルを見学させてもらえることになった。P君も実はホテルで働くベルボーイ。だけど彼はそれ以外にも観光客にレストランを紹介してコミッションをもらうなどというビジネスをやっているので、普通のベルボーイよりもお金を持っていてそれだから自家用車を持っていたりする。
 話は戻ってマヤ・ウブドはウブドではかなり大きなホテル。峡谷と清流のもとでできるマヤ・ウブドのSPAはどこガイドブックにも載っているほど有名だ。日本人のお客さんも多いのでフロントに日本人スタッフの姿がみえた。
  
↑秘密の花園みたいなアーチ ↑駐車場には素敵な車!
↑キノコに見えたライト ↑写真曲がっているけどこれがマヤ・ウブドのロビー
↑空間を上下に上手く使った広々としたつくり ↑山の自然と
↑お部屋から段々畑も見える ↑歩いてくる途中にあったプール
写真
■豪華なお部屋見学

 お部屋はバリ人のベルボーイさんが案内してくれた。自分でとまるとなると300ドル以上かかるのでせっせこと写真を撮影。

↑プライベートプール ↑不思議な雰囲気の洗面所、
↑室内のお風呂 ↑天蓋つきのベッド
↑お部屋に入ってすぐのソファ、向かいには
キャビネットに収納されたテレビがある。
↑書き物などができるスペース
↑デスクの上にあった椅子 ↑置物かと思ったら鏡付き、
収納もできる優れものだった!
↑ロビーから部屋までの道
本当に広いホテルだと感じる
↑こんなかわいい建物にも泊まってみたい
↑南国の木にすかしてみえる夕暮れは日本のそれ
と違うなぁ
↑SPAへ行く(降りる)エレベーター乗り場付近から
下を望む。SPAは渓谷の側らしい
 
 見学を終わる頃にはすっかりと日が暮れていた。綺麗なホテルを見学するとすごく満たされた気分になれる。おなかも減ったしクタに戻って食事をしよう。
 
■クタのマタハリデパートへ
 
 急に思いついて食料品等を買いたくなりクタのマタハリデパートに寄った。このマタハリデパートは前回のバリ旅行でも行ったのでなんだかなじみの場所だ。なぜだか一度行った場所はもう何度もきたことがあるような場所に思える。バリは建物などが込み合って林立していないからだろうか。迷うこともあまりないし、当たり前のように歩いて進むことができる。入ったスーパーも大体どこに何が売っているかを覚えていたから自分でも驚いた。ほしいものはすぐに見つかった。そこで自分で天津に帰ってからインドネシア風カレーをつくるためにカレーの素とココナッツミルク粉末を買った。あとSATO AYAM(チキンスープ)の素とナシゴレン(焼き飯)の素もはずせない。お茶のティーバックなどをお土産にしようかなぁと見たのだけれどU子にどれがおすすめ?ときくと「ジャスミンティー」といわれたので速攻却下した。ジャスミンティーは中国北方に山ほどある。天津に住む友達にそれを買って帰ることはできないよ。あとバリのヘアトリートメントがききそうな気がしたので自分用に買おうと探してみた。アロマオイルとかSPAグッズとかが沢山並んでいるので見つけられなくて店員さんに「ホットオイルありますか」ときいたら男性のしかないといった。確かにギャッツビーとかの男性のものだった。私のとぼしい英語ボキャブラリーではヘアトリートメントはホットオイルだったのだけどインドネシアでは違うのかもしれない。もう一度試してみよう、今度はSPAでトリートメントのことをクリームバスというのでそれできいてみた。今度は正解!私の求むるトリートメントの場所を教えてくれた。GINSENGとかかれたトリートメントとWELLAのトリートメントが3種類あった。GINSENGは絵が書いてあったので人参だということがわかったけれど、このWELLAの3種はどう違うのだろう?と店員さんにきいてみたら、一つはドライヘヤのために、もう一つは・・・、、ベリーグッド。もう一つは・・・、だった。多分複雑で英語で表現できないのだろう。確かにカラーリングでいたんだ髪をキューティクルの内側から栄養補給!などと完璧なる英語で答えられても私がわからない。よくわからないのでそのドライヘヤ用のと人参を購入した。とても安かった。中国で買うトリートメント(中国ではホットオイルと書いてある)の数分の1の値段だった。これはうれしい。ボディーシャンプーとかのにおいをかいでみて思い出したけれど、バリの人からにおう独特の香りだった。あれは一体どこからくるのだろう。そういう香水があるのだったらいつでもバリを思い出せるように買ってかえりたい。U子にきいてみたら彼女も知らないといっていたけれどなにやら香水じゃなくてボディーローションのにおいらしい。おお、それで沢山の人から同じようなにおいがするのだろうか?!バリの香りはどのボディーローションからだろうか。気になる。それからスーパーの隣にドラッグストアがあった。バリの漢方薬で胸が大きくなる塗り薬があるというので友達に(自分にではないよ!)お土産にしようかなぁと思ったけれど、U子に言ったらそれかわいそうだよといってたのでとりあえず買うのはやめた。確かにあげて本当に使ってくれるかわからないし、もう少し簡単に喜べるお土産の方がいいかもね。

↑スーパーで買ったお菓子たち ↑右はケチャップをつけて食べるチップス
↑下がウエハースと上は揚げたお菓子(確か) ↑トリートメント2種


 マタハリデパートにはCD屋さんもあるのでいってみた。伝統的な音楽のCDはきっとここならあるだろう。ここはちゃんとジャンルに分けて置かれていたので、トラディッショナルというところで物色していると店員さんが何を探しているの?と話しかけてきてくれた。伝統的なバリの音楽というと一つおすすめしてくれたのでデッキでかけてきいてみることにした。確かにバリの伝統楽器をつかった音楽だった。伝統的な音楽に間違いはなかったのだけど曲調が暗かった。でもさすがに暗いとはいえなくて「他のおすすめはありますか?」きいてみたら次はバリの伝統楽器で日本の歌をカバーしたものを推薦してくれた。これははっきり言うしかないねー、日本の歌ではなくてもう少し元気がでるものがほしいといったら今度は明るいのを薦めてくれた。これだよー私のほしいのは!それを買い上げ。ちなみにバリではまだまだカセットが主流。車にも普通はカセットデッキしかついていない。CDはコピー版と正規のがあって値段が違うのでそれでわかるらしい。
↑これが購入したバリ伝統音楽のCD
 
■遅い食事
 
 買い物を終えると食事をするには遅い時間になっていた。P君にはお世話になったので一度ちゃんとおごらなきゃなぁと思って今晩はおごるつもりでいたのだけど遅くなってしまって申し訳なかった。しかもこのときになってU子が「そういえばバリ人はご飯食べる時間早いんだった」などと言い出してそういうことは早く思い出せよって思った。私達と行動したから昼食も夕食もすごく変な時間になってしまってすまなかったわ。今日は中国からきたセレブ(私のこと)がおごるねといっておいた。「そんなことしてくれなくていいよ」といってくれたけれど、スーパースターだから気にしないでといっておいた。
 「マルスワルン」というレストランに行こうとしていたのだけど時間がもう9時半だったのでそろそろ閉店になるらしくP君がプレンクンというチキンのおいしいレストランに連れて行ってくれた。U子曰く、P君は本職はベルボーイだけど自分のビジネスがあって普通のバリ人よりはお金稼いでいるから、道端にあるような安いお店にはあまりいかないらしい。もしかしえてセレブだといっている私の方が道端料理が多いかもね。
 プレンクンはバンドの生演奏もあるしバーなのかなぁと思ったけれど、料理もたくさんあるし飲み物から注文をとらないし違うようだった。隣のテーブルの一人のおじさんも、沢山料理を頼んで食べてすぐかえっていっていた。やっぱりレストランなんだろうね。このお店は鶏がおいしいということで、私はアヤムゴレン(鶏の揚げ物)とU子はからくない鶏の揚げ物を頼んだ。P君は鶏のステーキだった。この鶏も全部バリの小さい鳥なので一品一羽で食べやすい。フィンガーボールを出してくれるので、鶏は手でちぎって食べる。私はバリで暮らしていないけれど諸々の理由で食べ物を手で食べるのは実は慣れている。鶏だけじゃなくてご飯も手で食べることができる。バリに住んでいるU子の方が慣れていないようでナイフとフォークで食べている。今日は飲み物は生姜湯みたいなのを頼んでみた。昨日他の人が飲んでいるのがおいしそうだったので頼んでみたけれどもろに生姜の味で少しのみにくかった。ちょっと失敗。お勘定は約束どおり支払いは中国からきたセレブが支払った。予想していたとおり中国と同じで、「私が払うよ」と最初からいっていた場合は勘定のときになって「やっぱり私が」などという話はでてこなかった。支払いに関しては日本人だけが割り勘だとか特別なやり方をしているんだなぁと思う。
↑ライスと三種類の鳥料理 おいしかった〜! ↑地元のおじちゃんたちによる生ライブもある
 
 
■バリ人橋本さん登場
 
 P君のお友達から電話があってPの車をその人に貸してあげるのでこれからとりにくるらしい。バリ人らしいけれどこれから一緒に遊ぼうとかいっていた。U子の働くホテルで受け付けをしている男性らしい。U子はその人には日本人の名前がついているのだけれどその人はバリ人。なんでだろうと思ったらそれにはエピソードがあるらしい。その人(ここでは仮にバリ人Aさん)が受け付けで働いていて、ある日本人の橋本さんというお客さんの支払いのクレジットカードを機械にきちんとスリップができていなかったらしい。橋本さんは長期滞在だから宿泊料金はかなり高い金額。担当した人が自腹をきって払えばいいじゃないかといいたいけれどいえないような金額になってしまったらしい。それで日本に帰ってしまった橋本さんに連絡してクレジットカードの番号を教えてもらおうと試みたのだけれど、橋本さんがなかなか対応してくれなかったらしい。U子も日本人スタッフなので橋本さんと連絡を試みたらしい。対応してくれないので仕方なく会社の方にも連絡したりしたらなんと橋本さんから自主的にバリ人Aさんに連絡をとってきた。それで「あのねー君、お金払っていないからって会社に電話してきて金額とかいうもんじゃないよ」と言ったらしい。結局最後には無事橋本さんからの支払いはあったらしいのだけれど、皆がこの件を心配してAさんの顔をみるたび「橋本さんに連絡した?」とか橋本さん橋本さんというので、彼は自分で名前を橋本ですと名のるのようになったらしい。無事支払いが終わったからいいけれどずっと橋本さんが拒否していたならかなり冷や汗ものだと思う。長期滞在で一泊で10,000円くらいするホテルだと思うから。しかも落ち度はAさんにあるから余計に対処のしようもなくてハラハラする話しだ。
 そのA君がやってきた。はじめまして、橋本ですと。なんかコメディアン風に見える青年だったけど綺麗な英語を話す人だった。U子曰く受付をする人だから綺麗な英語なんだって。確かに、ホテルで働く人は比較的綺麗な英語が話せる。バリ人の英語はいっては悪いけどユニーク。インドネシア語とバリ語を少しできるU子に教えてもらったけれど、インドネシア語は一文が短くて、私は昨日○○にいきました、と完全な文で表現することはあまりないそう。「私は行った」「どこに?」「○○に」「いつ?」「昨日」という風に沢山のやり取りの中で言いたかった一文がみえてくるそうだ。だから英語で話すときも「単語一つ+Ya」でおわる。Yaはなんでもいつでもついている。たとえば「今日はフルムーンだから波が大きいね」といいたいとき、「Big wave ya」「Full moon ya」くらい省略されることがある。もちろん各自の英語レベルによるのでさっきいったようにホテルの従業員などはYaを使わないできちんとした文法で表現する。ただ文法を過度に気にしないで適当に話しても通じるのは東南アジア英語の魅力かもしれない。
 
■U子とホテルへ
 
 A君と4人で遊ぶという話もあったけれどボツになってPとA君、私とU子と別々に行動することになった。U子とホテルの部屋にもどって話をすることにした。U子に私のスイートルームを披露した。彼女は部屋を予約してくれるときに一度部屋はみているけれどそれは一階の部屋で、その部屋は私がスリップして蛇口をぶっ壊してしまったため修理のために2階に移ったのだった。2階はバルコニーがあってさらにいいかんじ。なぜか取り替えてくれたバスタオルの一つが足ふきマットになって返ってきてたのが気になるが・・・。
 U子とは1年半ぶりに会う。彼女は半年のインターンプログラムなのであと2ヶ月半で今のホテルでの仕事も終るらしい。同じく天津で将来の不安な現地採用をしている私としてはU子のことはきになっている。今の仕事が終わったらどうするのだろうか?日本に帰るのか、ここに残ったりするのだろうか?私が海外で3年半働いた後感じていることを少しアドバイスした。 

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