2度目のバリ旅行記

1日目 (移動)夜 デンパサール着
2日目 SPA クタの街(テロの日)
3日目 バロンダンス ヌサドゥアでマリンスポーツ ドリームランドビーチ ウルワトゥ寺院 ケチャダンス クタ
4日目 スミニャクで買い物 デンパサールで買い物 ウブドのテガララン クタ
5日目 キンタマーニ高原 タナロット寺院 デンパサール市場 クタ
6日目 クタ観光 クロボカン、スミニャックのビーチ クタ 夜飛行機
7日目 (移動)夕方 天津の家に戻る

10月5日(水) クロボカン・スミニャック・クタ

■両替

今日はバリのお祭りの日でもありイスラム教のラマダン(断食)の始まる日。
 朝起きて荷物の準備、朝食は昨日買ってもらって残ったお菓子を食べたらお腹いっぱいになったのと、かつ時間がなかったので食べずにチェックアウトした。Dとは10時に待ち合わせ、荷物を預けて(といってもインターネットルームに置くだけ、ネームタグなどは無い、きっと「荷物取りにきました」という人に渡すのだろう)Dのバイクで出発した。
 最初に両替所にいって1万円両替。レートは88.3だった。最終日に一万円両替して883,000ルピアなんて使い切れないわー、ああ私馬鹿だなーと思ったけれど実際は全部使ってそれでも足りなかった、もっと馬鹿っぽいよね。両替所には日本人カップルがきていた。Dが話し掛けておはなししていた。ダンスをみにいきたいといっていたけれど今日はお祭りだからやっていないそうだ。この両替所の周りも洋服屋さんが沢山ならんでいるけれど閉まっている店が多い。開いているお店の方が少ないかも。

おすすめ両替所
PT.DIRGAHAYU VALUTA PRIMA
AUTHORIZED MONEY CHANGER
JL.Legian No.6 Kuta
Phone:(0361)755738 Fax:(0361)755760


■テロの場所へ

 その後は今回のテロのあった「クタスクエア」へいく。もちろん立ち入りはできないが遠くから眺める。沢山のお花があって、テレビ局のキャスターが2名放送していた。キャスターなのにあんまり綺麗じゃなかった。

↑ここがテロのあったクタスクエア
今は立ち入り禁止
↑警備の人がいる
↑警察の車
↑亡くなった人を悼むお花だと思われる ↑こちらも立ち入り禁止
↑赤い看板のあるところがテロの現場らしい
↑BALI LOVES PEACE
We pray that god will bless the victoms
their loved other and Bali island
With love, peace and care
とかいてある。どこかのアートギャラリーの作品のよう
↑たくさんのお花があった
↑リポーターのおねえさん ↑違う局のおねえさん
↑リポーターがいるからか人が集まっていた

■2年前のテロ記念碑

 次に2年前の大きなテロの記念碑に行った。Dはみつ編とマニキュアをしてくれる所を探して回ってくれてた。お祭りのために殆どのお店は閉まっているのでなかなかみつからないみたいだ。私は写真をとって死亡者の名前が刻まれているのをみていた。日本人の名前をやっぱり見てしまう。本当にかわいそうだということしか言いようがない。すると「かわいそうだね」と日本語が聞こえてきた。振り返るとサングラスをして日本の若者みたいなバリボーイが私に話し掛けていた。「日本人死んじゃってかわいそうだよね。こないだのテロでも1人死んじゃったよね。かわいそうだよね。」私は「うん、そうだね」と答えていたけれどナンパみたいなものだった。「一人できてるの?」ときかれて「こっちに友達いるから」と答えたら「こっちの人(インドネシア人)?」ときかれて「そうだ」というとかなりあっけなく「じゃあ、またね」と消えていったからね。彼は東京に住んでいるらしく私が中国にいることは行っていないので連絡先を交換しようとーと言われるか、或いは一人だったらほぼ100%「これから案内してあげるよ」となるのだろう。実際後で日本人の女の子2人つれて歩いていた。本当にナンパの国だなぁ。ちなみに私の友達Dも彼のこと知っているらしい。彼はバリの人じゃなくて、ジャワの人でお父さんが日本にいるらしく彼も日本で暮らしているらしい。休みで今バリにきているといっていたけれど、親族でバリの人がいるのだろう。Dにお友達?ってきいたら「よく会うからね」と。そりゃそうだろう。バリで日本語話せる人コミュニティーは狭すぎる。

↑二年前のテロの記念碑 ↑亡くなった方の名前が載っている
↑テロの記念碑のすぐ右横 ↑テロ記念碑の向かい

■みつ編に挑戦

 それからDが探してきてくれたみつ編とマニキュアのお店へ。記念碑のすぐ近くで、アクセサリーを売っているお店でみつ編などもやっているらしい。マニキュアがすごく下手でベースコートもトップコートもなかった。柄もどちらがいい?ってきかれたそのどちらもかわいくなくてでも「かわいくないから他のがよい」なんていえないのでそのうちの一つ選んだ。案の定?できあがりはあんまりよくなかった。これだったらこないだのマニキュア、剥がれててもそのままの方がましだったかも。やっぱりこういうのは値段に比例するもんだね。SPAでやってくれたマニキュアはそれだけの価値があったわ。
 みつ編は初トライだったのだけど結構満足した。できあがりは黒人と東アジア人のハーフみたいだったよ。変貌したので満足だ。みつ編も硬く編んでくれたので自然に取れるということもなさそうだし。所要時間は30分〜1時間くらい。マニキュアとあわせて200,000ルピアなり。
↑みつあみ後

■Dの友達のサンダル店へ

 終わったらお腹がすいてきたのだけど、Dは今日からムスリムの断食のため日が明るいうちは飲食を一切しない。バリではイスラム教だけじゃないので、他の宗教の人が断食時に食事をすること等をムスリムの人は気にしないように思ったけれどそれでも私が自分からお腹すいたというのは気がひけた。Dが「お腹すいた?」ときいてくるのをまとうと思った。
 みつ編も観光も終わり次はDのお友達の経営しているサンダルのお店へいった。サンダルは一足すでに買ったのだけどDのお友達のお店は安くてかわいいのがあったのでまた2足もかってしまった。お友達のお店diahは店主のDのお友達がdiahさんというからそう名づけたそうだ。ヨーロッパに輸出しているらしい。インターネットで海外ではやっている形を選んで模倣して作ってヨーロッパに送っているそうだ。だからヨーロッパで大人気!といっていた。diahさんはジャワ島出身で英語もできてすてきな女性。私が中国の某日系企業で働いているといったら彼女も某日系企業で働いていたそうな。給料が安くてやめたとかいっていた。

diah
Address:Legian Kaja 492A Legian Kuta Bali
Phone:(0361)7878040
E-mail:dairydya@yahoo.com


■昼食

 お腹すいた?ってきいてくれたので、日が沈まないうちは水も飲まないDには申し訳ないとはおもいつつも私が断食することはやっぱり不自然な話だし正直にお腹すいたと答えた。Dはバリで少数に入るイスラム教徒としてずっといきているわけだから、人が食べてて自分が食べないという状況にはある程度慣れているのだとは思う。とくに日本人のガイドをずっとしてきて日本人のことを理解している。もうしわけないけど一人ご飯を食べることにした。
 場所はわからないけれどローカルな麺のお店につれていってくれた。ここにもえびチップスがあるのだけどshinchanというブランドがついていた。クレヨンしんちゃんのshinchanだ。ちゃんと絵もプリントされているしちゃんと登録しているのだろうか。ふとみると華僑らしき女性が二人、一人はみたことあるなと思ったら2日目にSPAで帰りの車で待っているときにみかけた華僑の人だった。ここら辺で仕事しているのだろうか、同僚と昼食にきているようだった。

■田舎っぽい風景のクロボカン

 ガイドブックに田舎の風景がみられると書いてあったクロボカンにリクエストしてつれていってもらった。クロボカンといったらDに何もないよ〜刑務所があるだけ、といわれたけれど他の地区はもう何度もいったのでクロボカンにいってみたかった。バイクにのってぶんぶん。クロボカンは確かに田園があってのんびりした風景だった。刑務所も住宅つづく通りにいきなりでてきてあまり厳かな雰囲気がなかった。私のイメージする刑務所って人里はなれたところに寂しく建っているものかと思ったからびっくりだった。そしてクロボカンはあっというまに終わってスミニャックに入ってしまった。いいの満足だったから。

■西洋人の多いスミニャック

 クロボカンからそのままスミニャックに南下すると、沢山の西洋人の別荘があった。この辺りは西洋人が多いそうだ。スミニャックのビーチの近くだからバカンスでやってきてこの辺りに泊まるかな。静かな住宅街のようでもあった。
 そのままスミニャックのビーチへ。入るときに1,000ルピアが必要だった。昼過ぎなのでビーチはすごく暑かった。みつ編はもうすでにしているので「みつ編みつ編」とは客引きされなかったけれど「マニキュア・ペディキュア」とおばちゃんが緩やかな客引きをしていた。クタのビーチほどは物売りがいないみたいで西洋人がたまっているのもわかる。おばちゃんにサンオイルを塗ってもらって横たわっている西洋人女性もいるし、サラサをワンピースみたいにまとってきてビーチにきたらそれを敷物にして(もともとはそういう用途)体を焼いたり。バカンスの雰囲気とのどかさどちらをも兼ね備えたようなビーチだった。私は一人で波打ち際で遊んだ。深爪とマリンスポーツ時に割れた爪とで足の爪のコンディションはよくなかったけれどでも天津に戻ったらこういう海で遊ぶことはできなくなるからと一人童心にもどって遊んでいた。砂浜に面白い模様があるなーと思ったら蟹の巣だった。山育ちだから見たことがなかったわ。Dは眠たいのか日陰で昼寝しているから一人で海辺で戯れる。

↑青い空が綺麗 ↑ビーチは広々としている
↑親子でほのぼの、なんて絵になるのでしょう
↑欧米人が多い ↑カップル
↑蟹の家 ↑光がまぶしく綺麗


■お土産を購入

 アロマグッズが買いたいと急に思いついた。Dにいったらクタのきのこストリート(ソフトドラッグのようにハイになれるというきのこの料理が食べられるストリート、このきのこは日本では食べられないらしい)にあるおみやげ物店につれていってくれた。中にはいったら「いらっしゃい」と日本人のおっちゃんが座ってた。おじちゃんはお店の人とお友達みたいで見るからに長期旅行者というかんじ。というかバリに出張者とかいないから殆どが旅行者なんだけど、おじちゃんはこれから半年ほどバリで暮らすらしい。ホテルの値段きかれて一泊2500円といったら「高いね〜俺は400円だよ」っていってた。かつては私の地元の百貨店で働いたこともあるといっていたけれど今は働いていないみたい。日本は高いから生きていけないよーとかいっていた。「お仕事は?」とかきいても適当な答えしかかえってこないおっちゃんだった。そのくせに人のことは詳しく質問してくるんだよねー。店の前を通りかかったバリの衣装をきた女性をさして「ああいう格好したらもっと現地の人っぽくなれるよ」と言われた。「もっと」ってなんだ。みつ編して東アジアと黒人さんのハーフみたいになっているけれど、一目で日本人だと判別してくれたから私も日本人っぽいんだなぁなんて思ってたけど違ったみたいね。
 そこはアロマグッズ専門店じゃないのだけれど、今日はお祭りでやっているお店が少ない。ここで選ぶことにした。においつきのキャンドルと蓮の香りのアロマオイル(ボディオイルにしてもOK)とシルバーアクセサリーを3種類買った。お店のお兄さん達は日本語がうまくてびっくりする。全部日本語で話して全然不自然じゃないもん。Dもこれくらい日本語が流暢だったら話がはずむかなぁと思ったり。男の店員さんが3人くらいいるけれど一人の若い子は髪の毛を赤っぽくそめてワイルドなかんじがかっこよかったよ。Dもこれくらいかっこよかったら絶対話もはずむだろうね(失礼な私)

■夕食をU子と食べたかったが・・・

 飛行機は今晩なので最後にU子と食事でもしたいねーと前日いっていたので電話屋WARTELに行った。電話料金って統一なのかと思っていたけれど各WARTELによって違うようだ。今まで何も考えずにホテルの近くのWARTELを使っていたけれど高い安いがあったんだね。Dは安いWARTELにつれていってくれたけれどそこのおばさんは珍しく英語ができない。私の英語での問いかけに返ってくるのはバリ語かインドネシア語かわからないがとにかく私が理解できない言葉だった。U子に電話してみる。携帯もでないし、働いているホテルも受け付けの人にきいてもどこにいるかわからないと。仕方ないU子との最後の晩餐はあきらめる。

■日没後に最後の晩餐

 バリの日没は6時半くらい。日が沈むと断食中のDも食事をとることができる。6時半になって一緒に食事をした。クタの私のホテルの近くのローカルレストランにいった。今日はお祭りだからやっていないお店が多い。ナイトマーケットもいつもは何軒ものお店が客引きしようとがんばっているのに今日は一軒しかやっていない。バリの人はお祭りを重視しているのかもね。Dがいっていたけれどバリにはお祭りが多くて大体毎月あるといっていた。そのたびにお祭りのために街の人は田舎にかえるから会社も休みになるそう。ジャワ島ではバリほどお祭りが多くないからバリで働くのがいいよ〜といっていた。そうだなぁ将来は休みの多い国に住みたいな。月単位の長期休暇があってお昼にシエスタがあると最高だねーと妄想。中国は日本よりも休みが少ないからちょっと不満。
 そのローカルレストランはDも近所に住んでいるのにはじめてで、でも人が沢山入っているからきっとおいしいだろうってことで選んだ。インドネシア料理の家族経営のファーストフードっぽかったけれど、料理はおいしかったのであたりだった。やっぱりおいしいレストランには人が集まるのね。外人さんも多かった。隣にはバリ人男性と西洋人女性の一家、子供が男の子二人西洋人顔でかっこよかった。右隣にはバリ人の初老のおじさんが西洋人のおばさんだった。おじさんの方が西洋人のおばさんを案内してつれてきてあげていた感じだった。あとはバリ人の若者が多かったかな。テレビをみてて思ったけれどシャンプーなどのコマーシャルとかにでてくる美人な人はインドネシア人にみえない。Dにきいたらインドネシア人と西洋人のハーフなんだって。インドネシア人は東アジア人と違ってはっきりした顔立ちなので西洋人との子供はかなり西洋人に近い顔になるように思う。東南アジアの肌の色も白くなって、私達からみるとインドネシア人には全然みえないよ。D曰くそういうハーフは沢山いるらしい。あとDは日本人とバリ人のハーフがすごくかわいいという。肌の色が東アジア人で顔立ちはバリ人みたいなはっきりした顔になるかららしい。確かに想像してみたらそうだ。インドネシア人の目鼻立ちは私達のっぺり顔の日本人にはうらやましいよ。でも同じ東アジア人である中国人のことは綺麗だとはいわないんだよね。理由は見慣れているからだって。華僑はインドネシアには沢山いるし、インドネシア育ちの人は外国人らしくないから外国人である日本人とは違うんだって。ふと思ったけれどインドネシアでは現地の人と華僑の人は仲がよくない。そういうことも関係しているのかもね。だって中国人と日本人の顔ってかなり同じようなものだもん。
 料理は最後に大好きなカレーアヤムを食べた。お皿にご飯をいれてナシチャンプルの具としてもディスプレイしている鶏肉をのっけて、カレーをかけて裏にもっていった。もしかして電子レンジであたためるだけ?と思ったけれどでてきたときには、あげたガーリックもかけてくれていたしたとえ電子レンジでもおいしかったから許すわ。やっぱりカレー大好き。
 料理は飲み物とあわせて25,000ルピアだった。私が払うからといったんだけどDが払おうとするのでレジのところで2人ともが代金をだしたら、お店のバリ人がやっぱり私の方のお金をとった。そのときDになにかバリの言葉でいっていた。そして私に「社長さん ありがとう」といった。やっぱり彼も日本人の方が裕福だということをわかっているのかしら・・・。Dには「女の子が払うっていっているんだから甘えときな」といったのか或いは「日本人の給料はもっともっと高いんだぜ〜」といったのかわからないけれど、でもバリと日本では物価が全然違うことは事実。いくら中国で安い料理が食べられるといっても私の方がDより同じ金額で受ける影響が違うのは確かだし、そのことでどう思われても仕方ないと思っている。だって事実だから。あからさまに日本人は金持ちだといわれることに腹がたったりすることもある。だけど私達は収入が高くてそして物価も高くていろんな出費があるということ、そのことを中国の人が理解することは無理なんだよ。そういう状況になったことがないから想像もつかないしわからないだよ。理解のある人は頭の中でわかってもらえるけれどそれでも日本人は金持ちという認識は変わらないし、日本で稼いで中国で暮らせばいいじゃないかと思っている。駐在員ならまだしも私達現地採用の状態で暮らすならば日本での年金や保険、帰国費用などの日本の物価水準で支払わなければならないものがあるということをわかっていない。やっぱり理解できないんだから私もがんばって説明することもしないし、それはそれで放っておいている。社長って呼ばれても笑ってかえせるよ。

■U子に再度連絡

 食事も終わり再度U子に連絡した。フライトは夜中だけど最悪このまま連絡とれないで天津へ帰るということもあるのかも?ちょっと不安がよぎる。電話をしてみる。でない。また数分して電話をする。今度はでた。なんか携帯にプリペイドカードの金額がきれているので受信のみしかできなくなり、かけなおしができないそうなので連絡がとりにくいということらしい。まだ仕事中。仕事も終わりそうにないそうなので、とりあえず9時過ぎくらいにホテルに一度いってみるからということで電話をきった。よく考えたらホテルって近かったから何度も電話しないで行ってみたらよかったのかもしれない。

■Dのめい

 それからバイクで空港の周りをドライブする。Dがこの辺りで以前バイトしていたらしい。日本人の女性とバリ人男性が結婚して住んでいる家があってそこでお掃除とかのバイトをしていたそうだ。奥さんも日本語を話せる人に掃除をしてもらいたかったみたいで、日本語が話せるDがそこで働いたと。確かにDは発音がすこぶる下手だけど日本語で会話することに慣れている。Dは日本語を勉強する学校に通って学んだんだって。お金がないから3ヶ月だけ通ってそれからは習っていないと。その後はバイトで日本人と接して日本語の能力を向上させていってたんだと思う。そしてそれだからどこの日本人の奥さんがどこの家に住んでいるとかすごくよく知っている。この家に日本人の女の人がいてインターネットショップをやっている等など。バリは日本人多いけれど地域が狭いから日本人社会も狭いかもしれないなぁ。
 それから日本人が住んでいたりする住宅街とは雰囲気が大分変わって庶民の家ばかりが続く所にでた。D曰く庶民の場所だといっていたけれど、中国では貧しい人が平屋に住んでいるからそのイメージが強くて、その人たちの平屋が貧しいのかそれとも普通の庶民なのか判断がつかなかった。「着いたよ」とかっておろされたのはDのお兄さんの住んでいる家だった。2人いるお兄さんの日本人と結婚した方じゃないほう。ジャワ島出身の奥さんと子供が一人いる、そのお兄さんの方。お兄さんの家なのにお兄さんはでてこなくて、私はお客さん扱いされることもなく仕事場みたいな事務所に入って座らされた。そしてお兄さんの子供だけがつれてこられた。日本だったら誰かの家にいくとなると「おじゃましまーす」といって入って、お客さんにお茶とかお菓子がすすられてもてなされ、家族もご挨拶、というのがイメージだけどここは外国でかなり適当だった。
 Dのお兄さんの子供はとってもキュートだった。天然パーマで髪の毛がくりくりしてて、目がとってもぱっちりしている。何もしゃべらなかったら美少女にみえるけれど実はうるさくてお金のかかる子だそうだ。最初私にあってみつ編で変な髪している外国人だから警戒しているのか何も話さなかった。まあ話してもバリ語しかわからないそうだから私と共通言語がなくて会話できないんだけど。しばらくしてその子は外にでていってそれからママが入ってきた。私をみてすごく楽しそうだった。なんでだろうと思ったけれど、なんでも子供が私をみてそのあとママの所にいって「ママ〜!私もおんなじ髪がしたい、私も同じ手の爪にしたい!!」といってきたからだそうだ。私は子供に警戒されているのかなぁと思っていたけどそんなこと思われていたんだね。今度は私の足の爪にもペディキュアが塗ってあるのをみつけだして「ママ〜!私もこれやりたい!」といいだした。子供の態度にママさんも回りの人もすごくうけてて私もなんだか心が洗われた。一瞬この頭と爪で結構なお金がかかるものなので、先進国の人だけが遊んでいいわねーっていやみに思われたりするのかと心配したけれど、子供はそんな心はなく純粋に私もやりたい!って思うその純朴さに私も感動した。彼女とは一言も言葉が通じないし、子供と遊びなれていない私は一緒に遊んで楽しませてあげることもできないけれど、彼女の純粋さに私が色々教えてもらえた感じがした。
 その子をみてて思ったけれどバリの子供は大人なみにアクセサリーをつけている。その子はピアスにネックレスに指輪だった。全部ゴールドなので多分純度の高いものだと思う。Dにきいてみたらそういうのは子供の祖父母とかおじさんおばさんとかがプレゼントするらしい。ゴールドはバリでは高級なものなので子供にプレゼントしてお金が必要になったときに売ったりするそうだ。それなら悪い人が子供からアクセサリーを取ったりするんじゃないか?ときいてみたんだけどそういうことはあまりないといっていた。プレゼントされたら家族がこれが誰がくれたの?と子供に何度もきいて「○○ちゃんから」と子供がちゃんと答えるらしい。あの小さな指に指輪がついている姿などみるとすぐに大きくなってつけられなくなるのにって思うけれど売るから心配しなくてもよいんだね。くりくりした目にアクセサリーをきらめかしてくねくね歩くバリの子は本当にかわいくて魅力的だった。

↑やんちゃなので動き回って
写真がぶれてしまった
↑こうやって見ると本当にベッピンさん

■U子の働くホテルへ

 それから5日間泊まったサヤンビーチホテルに荷物をとりに行って9時すぎにU子の働くホテルへいった。U子は仕事で忙しいだろうからホテルを見学だとかゆっくり話をする時間はないだろう。ただ私はDのバイクで二人乗りして空港にいくのにスーツケース一つとさらにダンボールを持っていくのは大変なのでダンボールの方を同じくバイクで二人乗りのU子に持ってきてもらおうと思ったのだ。それでダンボールをもってきた。「U子さんいますか?ときいて中でまった。このホテルは最近4つ星になっただけあって綺麗でホテルの男性もバリの衣装をきていて綺麗な英語をしゃべる。私の泊まったサヤンビーチホテルもアットホームでよかったけれど、こういうちょっと高級な感じもいいなぁと思った。サービスもよさそうだし、ここだったら爪が割れたからアルコールがほしいといっても探してくれそうな気がするわ(サヤンビーチホテルにはアルコールはなかったんだよね(涙)
 しばらく待たされてU子登場。夜になっても日本人のお客さんをアテンドしたりしなきゃならないなんて結構大変ね。ホテルのガードマンがいっていたけれど最近お客さんが増えているのに日本人スタッフは一人だからU子は結構忙しいのだそうだ。ホテルのお仕事って天津でもお客さんに時間関係なく呼び出されてプライベートが全く無いといわれるけれど、観光客のもっともっと多いバリでも大変なんだろうね。ダンボールをU子に渡して一応ホテルとU子訪問の証に写真を撮ることに。ホテルの従業員さんも一緒にはいって撮影。従業員さんはみんな気さくに話しかけてくる。中国で働いてるっていったら結構驚かれる。今中国で働く日本人は増えてきているけれど、私くらいの年齢の女性が日本をでて働いているというと驚くみたい。特に私は外国では実際の年齢より下にみられることが多くてこのときは満23歳のU子より年下に見えたらしい。それって一体何歳?ってかんじだけど。そして中国に3年半というとさらに驚かれる。長いな〜そんなに中国は面白いのか!と。そうだ考えてみたら留学とあわせたら4年半も中国にいるんだよなー。長いな〜。天津には6年7年10年15年と私よりもっと長く滞在している人がいるから普段はあまり意識しないけれど普通に考えたら4年半って短くはないよな。外にでたときの周りの反応って色々考えさせられるわ。
 U子とは空港で待ち合わせして私は先に行くことに。ダンボールを渡してあるから絶対に遅れないできてくれよ〜。

↑ホテルで記念写真



■最後に麺

 そろそろ空港に向かおうかと思ったときにやりのこしたと思ったのは「ミーアヤム(鶏麺)」だった。本当は今日夜ご飯にそれを食べたかったけれどDにバリでは一日でお米と一回も食べないとあまりよくないと言われたので私もそうだなぁと思ってカレーアヤムを食べることにしたんだった。だからミーアヤム(鶏麺)が名残惜しくなってきた。まだ時間はある。空港のすぐ側のDのお兄さんの家からクタ市場の屋台まで戻った。それでお持ち帰り用に袋にいれてもらった。そしてまた空港へ向かう。途中でお箸がないことに気づく。どうやって食べよう〜。というとDが近くに友達の家があるからそこでスプーンをもらって私がそれをもって飛行機に乗って、明日Dが新しいスプーンを買ってそのお友達の家に返しに行くという。いやそれは本当に申し訳ないよといったら、大丈夫という。いやーでもそんなことさせたら私が冷淡な人使い人みたいじゃないか〜。でもスプーンを今から買えるお店もなさそうだ。結局お友達に貸してもらうことになった。

■空港に到着

 空港も4回も利用すると顔なじみの場所になってくる。最初は広いな〜なんて思った空港も今ではすぐに行くべき場所がわかってしまう。チェックインカウンターがどこにあって、二回にイミグレがあって免税店があることも記憶している。ひとまずチェックインしよう。Dにあとででてくるからといって手荷物とミーアヤム(鶏麺)をもってもらってチェックインに入っていった。「すいません、北京までいくのですか?」ときかれて「そうです」と。そうです、私はめったにいないと思われる、バリから日本経由して北京までいく日本人なのだった。中国人で個人旅行でバリへ来ることは殆どないからこういうチケットをとる人もいないだろう。それに中国の人がとるとしたらシンガポール経由のシンガポール航空だ。
 チェックインしたらひとまずは安心。そとに出ようとしたら「チェックイン後に外にでることは禁じられています」と書いてある。うげー、そんあことあるのか?と思ったけれどテロもあったことだし警戒態勢になっててもおかしくないか。すると「JALで大阪にいくMr.○○、カスタマーセンターまできてください」と呼び出した。私だ。しかもMr.って私は女よ。まあいい、とりあえずカスタマーセンターに呼び出されたという理由で外に出られる。空港の人にカスタマーセンターにいきたいといったらドアを指差された。そこでは中に入っている人が自由に外にでていっているじゃないか。ああ出てもよかったのね。そんならあの禁止の張り紙はなんだったんだー。

■U子達とお別れ

 外にでるとU子と友達Pがいた。アナウンスしたのは紛れもなくU子。まだ時間もあるのに私がみつからなかったから焦ったのかしら。ダンボールをうけとりPとセレブ(私)との記念撮影をして、U子とちょっとお話した。仕事が終わって空港に早く行かなきゃって焦っているのに、ホテルのバリ人同僚達に「このダンボールは何?」とか「お友達は何の仕事しているの?」とか興味津々できいてこられてちょっとうざかったらしい。私も中国で働いていて同じように感じることがある。相手は興味津々で話しかけてくれて、それを無視したりしたくないのだけど急いでいるときとかその急いでいるのを相手がわかってくれなくてその話し掛けられること自体をうざく思ってしまう。大体日本人は生活リズムが早くいつも急いでいるけれどそれを他の国の人はわからない。だから「なんでそんなにいそいでいるの?」って思ってくれる人はまだしも、大体の人がその急ぐということとか、相手の時間を邪魔しているという意識とかがまったくないのだ。日本人は言わなくてもわかってほしいという考え方だけど海外では周りはわかってくれないので自分で主張しなきゃならない。「私はこれから何々だから時間がないの、またね〜」と。

■Dとお別れ

 その後U子達にはあとでもう一回お別れするからといってDのところへ行った。なんでこんなにこっちでさよならして、またこっちでさよならしてって面倒くさいことをしなきゃならないのか。これにはまあちょっとした理由があってのことなんだけおど時間が有効につかえなくていやだわ。Dのところでさっき買ってきたミーアヤムを食べる。今食べたらDのお友達に借りたスプーンを返すことができる。さめてしまったので屋台で食べたときのおいしさはなかったけれど、はやくスプーンをかえさなきゃね。
 Dには今回色々ガイドしてもらったから本当に感謝している。空港をでるときにかかるお金(確か2,000ルピア)を渡したらそれは素直に受け取るのにガソリン代って20,000ルピア渡すと受け取らない。友達が大切だからねと。申し訳ない気がした。レンタカーのお金やチケット代などは私が出したけれど食事は彼が出してくれたことが多かったから彼も彼なりに出費がかさんでいると思う。ここは日本じゃないから小さいお金のことをあれこれいわないようにしているけれど、そういった小さい出費もつもりつもって結構なお金になっているのかと思うと本当に申し訳ない。私は彼のあまりうまくない日本語にイライラしたり、一人で自由に歩き回れないことにストレスを感じてよく不機嫌になったりしていた。それなのに「私に何か間違ったことがあったならばごめんなさい、許してください」と言われて逆に私が悲しくなってしまったよ。そんなことないんだよ、Dは少しも悪くない。案内してもらわなくてよいとかってはっきり断る勇気のない私が勝手にDにイライラしたりしてしまっている、大人気ない私なんだと思った。「中国に帰ってもがんばって」ありがとう。D、しばらくはバリにこないだろうけれど次に来たときは是非また会いましょう。
 私はまたU子と最後の挨拶があるのでってことでそこに残って、Dを一人で帰らす私も冷たい奴だと思った。私を送りだすために空港まできてくれたのにその私が出発するところを送り出さずに先に帰ってもらうなんて消化不良になりそうなやり方だよね。 

■ギリギリに搭乗

 またU子と話したけれどそろそろ時間的にやばいかなと思ったのでU子達ともさよならしていざ搭乗。バリから出国の際10万ルピアを支払って免税店の辺りを急いで歩いていると「JAL便に乗る人ー」と空港の人に呼ばれてしまった。私がもう最後らしい。ごめんなさ〜い。セキュリティーチェックも割り込みさせてもらって急いで機内へ。
 機内はあんまり乗客が乗っていなかった。これから雨季に入るし今回のテロもあったしこれから観光客も減るんだろうなぁ〜と思いながらZZZ・・・。おやすみさ〜い。

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