6日目 トゥクトゥクで足をのばして観光

■朝食&ホテル撮影

 明日にはこのホテルをチェックアウトするので朝食を食べてついでにロビーの写真をとっておいた。こじんまりしたホテルだけど清潔感もあるしよいと思う。スタッフの笑顔もよいしこのクラスのホテルを希望する人にはお勧めだ。

↑フロント ↑涼しげな椅子で休むチコ

■トゥクトゥクで出発

 今日もドルさんのトゥクトゥクで移動なのだけど今日は少し遠めの遺跡を観光する。アンコールワットやタプロームのような超有名観光場所じゃないのでコースも自分達できめてトゥクトゥクの料金交渉をしなければならない。昨日ドルさんがいなくて他のトゥクトゥクドライバーと料金交渉したときにめちゃくちゃ高い金額を提示されたりしたのでもう私たちはドルさんを信じて最初からドルさんに頼むことにした。もちろんちょっとした料金交渉はするけれどドルさんは最初に提示する金額がそれほど高くないのでそれからちょっと値切るぐらいにしている。やはりぼったくられないで気持よく交渉を成立できるドルさんは最高だ。ということで今日も早速出発。

↑川のほとりを動物たちが歩いている ↑こういう田園風景をみると癒される
↑色が奇抜だが給油に使うようだ ↑お店の人が使い古したペットボトルのようなもので
給油してくれている
↑給油以外にもお店も兼ねているようだ ↑掃除道具
↑お姐さんのお店でも給油油をあつかっていた ↑本業?は籠の販売のようだ
↑めずらしい植物をみつけた、なんだろう?

■バンテアイ・スレイへ

 本日の最初の目的地はバンテアイ・スレイ。ガイドブックによると「女の砦」の意味をもつ寺院で、当時のアンコール王朝摂政役のの王師ヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建てられたそう。小さい寺院なのだけれど赤色砂岩とラテライト、屋根の一部にレンガも使われた赤色の美しい寺院だ。観光する前にガイドブックを熟読していなかったので写真を撮ったものもどこがどこの部分か今となってはよくわからず。したがって説明書きがないけれどご了承を。しかしここはレリーフが繊細で赤色の美しかったのが印象的だった。こじんまりしているとことも、暑い中観光するうえではポイントかもしれない。ここには東洋のモナリザと呼ばれるデバターがあるらしいが、残念ながら観光中はそれに気がつかなかった。

↑入口(東桜門だと思う) ↑リンガが並ぶ参道
↑敷地内にあるくず入れ ↑こういうのが繊細で綺麗だと思う
↑これはもとは何だったのだろう・・・
↑こういう門の先は何か気になる
↑働くママと子供

■バンテアイ・スレイ傍で昼食

 遺跡を見終わったらちょうどお昼の時間だったのでそのすぐそばにあるお店で昼食をとることにした。アンコール遺跡での食事はお店が遺跡そばにしかないように思うのでそこでとるのが無難かと思う。料金体系は違うかもしれないけれどトゥクトゥク運転手さんたちもそういう食堂で食事をしていた。お客さんは私たち以外に西洋人の観光客グループもいた。

↑Sagikoというブランド?のミックスフルーツジュース ↑野菜のたっぷり入った炒め物
↑中から店先を望む、暑いので日陰にずっといたい

■地雷博物館

次は妹が行きたいと希望していた地雷博物館。これはもともとの場所より移動したようでシェムリアップの町からはかなり遠くなってしまったらしい。なのでトゥクトゥク料金交渉の時もこの博物館の名前をだすと料金が上がってしまったがせっかくカンボジアにきたのだし、今だたくさんの地雷が埋まっているカンボジアの状況を知るためにも博物館にいってみたいと思った。
 アキラ地雷博物館という名のこの博物館はカンボジア人、アキ・ラ氏が運営する博物館でここにある地雷はアキ・ラ氏が撤去・安全処理を施したものらしい。中をのぞくとその数に驚かされるし、大きな地雷、小さな地雷と様々な地雷があった。写真や文字での説明書きも豊富にあり、少しかも知れないが当時のカンボジアを知ることができる。

インターネットで検索してみるとアキラ地雷博物館のサイトというのがでてきた。

これが入口から入ったところ。両脇に並んでいるのは
撤去された地雷達。大きい!
↑博物館の中は説明書きと今までに撤去された
地雷の数々が展示されている
↑大型タイプ ↑様々な形のものがある
↑外では子供たちが作業をしていた ↑地雷!!危険!!というサイン
↑アキラ氏の撤去した地雷
本当に数が多い!
↑作業中の男の子たち。一人は右腕がないよう
だったが地雷でなくしてしまったのかもしれない。
カンボジアにはそういう人がたくさんいるのだと思うと
胸が痛くなった。もちろん地雷で亡くなってしまった方
も大勢いるだろう。悲しい現実だ

 地雷とそれによって被害を被った人たち、そのほんの少しだけれどそれを見て心はとても重たくなった。館内にあった絵で印象的だったのは子供たちが外で遊んで地雷を発見してしまった場合。子供たちは地雷だとわからないので爆破されて腕や足がとんでしまったり亡くなったりして親が悲しんでいるという絵。子供たちが自由に外で遊べないということも悲しい。まだまだ沢山の地雷が埋まっているそうだが一日でも早くそれらが全部撤去される日が来ることをただただ願う。

■アンコール遺跡の車窓から

 地雷博物館を出て次の目的地へ向かった。途中高床式の家屋がみえた。

↑綺麗な田園、緑が美しい ↑高い床の下(一階部分)はバイクの駐輪と
涼む場所になっているようだった
↑なにかクメール語で表示がされている
通行止めかな?
↑木の上にのぼっている少年発見
↑トイレの標識 ↑トイレの正しい使い方が絵で表示されている
これ中国にも設置したらよいのでは?

■バンテアイ・サムレ

 バンテアイ・サムレは「サムレ族の砦」という意味をもつそうだ。訪れる人が少なくゆっくりできる遺跡だ。

↑中庭のような感覚
第一周壁と第二回廊との間
↑たぶん中央祠堂だと思われる
↑あちこちにレリーフ(破風)がある ↑棺のようなものがあった
↑猿が阿修羅をつかまえてお尻にかみつくレリーフ ↑足だけになっている

■フォーチュンテラー?

 中央祠堂の中ほど、棺があるところにお爺さんがいた。なんでもフォーチュンテラー(占い師)だという。言葉は英語を話しているのだけどききとりにくくてよくわからないのだが占ってくれるそうなので私も妹も占ってもらうことにした。占いっぽい作業をして結果を教えてくれたのだけどかろうじていくつかの文章のなかから単語が数個ききとれるだけなので意味は自分で勝手に解釈するしかなかった。シヴァ神かヴィシュヌ神かの名前がでてきたのは覚えている。しかし意味はわからなかった。でも私はあからさまに「わからない」という顔ができずとりあずうなづいていた。そしておじいさんの話が終わるのを待った。話は終わったようだ。「サンキュー」と料金を支払ったらおじいさんは「写真をとりましょう」といった。なかなか観光化したフォーチュンテラーだなぁと思いながらも了承して一緒にとる。するとめちゃくちゃ近くに体を寄せてきたので驚いた。そりゃやりすぎじゃないか?!と今でもその写真をみて思う。なんか神聖なイメージを勝手に持っていたんだけどそれが今のでぶち壊されたかんじだ。

↑この棺?のところにおじいさんはいた。ガイドブック
によると方形の石の箱は死者の灰を流すのに使用
され、排水口にはカーラの彫刻があるそうだ
↑真剣に意味を聞き取ろうとしているところ
↑近づきすぎだろ!

■再びアンコール遺跡の車窓から

 次の目的地までの移動にアンコールワットの周りの濠を通る。アンコール遺跡の道路はそれほどたくさんないので何度か同じ道を通ったりした。

↑作業着?制服?をきて休憩しているらしき人達 ↑自転車の荷台に大きな荷物を乗せ走る人
中国でもよくみかけるね
↑自転車で走る観光客 ↑何かのあつまりがあるのかな?

■キリングフィールド

 ドルさん観光の最後の目的地はキリングフィールド。その名前からして楽しい場所ではなさそうだが、ポル・ポト政権下に大量虐殺が行われた処刑場のことだ。ここで数千人ともいわれる人が殺されたそうだ。ここは慰霊塔がありその隣に僧院があるので僧の姿もみられた。

↑慰霊塔 ↑たくさんの頭がい骨が見える
↑頭がい骨以外の遺骨の数も多い ↑となりの建物は僧院となっているそうだ

↑中には仏陀の一生を絵にした絵があり興味深かった ↑かなり広々とした僧院だった

 ここでトゥクトゥクでの観光コースは終了した。ドルさん今日もありがとう。明日はついにシェムリアップを離れる日、空港まで信頼できるドルさんに送ってもらいたいということで明日の予約もしておいた。一日目にあの車運転手リッツィーを断ってよかったと思う。クーラーのついている車は快適だけど観光地での温度差に余計疲れを感じるかも知れない。トゥクトゥクも目にゴミが入るのが難点だけど風を感じて結構涼しい。トゥクトゥクでの観光もおすすめだ。

■かき氷屋さんで

 明日帰るということを仲良くなったかき氷屋さんの人たちにも伝えたいと思った。帰るからといって何もできないけれど何も告げずにいなくなるよりもよっぽどいいと思った。ガイドブックについているクメール語集の単語を組み合わせて「明日日本に行く」みたいな文を作ってみたように思う。そしたらちゃんとわかってくれて残念そうなリアクションをとってくれた。今度はいつくる?のようなことは聞かれなかった。しかし最後までおいしいかき氷と和気あいあいとした会話を彼らと楽しめたのでうれしかった。そういう人と人とのふれあいが一番海外旅行で得られてうれしいものだ。

■友人と合流してカンボジアの踊り鑑賞

 ちょうど妹の友人もシェムリアップに観光にきているということでそちらのカンボジア踊りツアーに便乗させてもらうことにした。レストランでビュッフェをいただきながらカンボジアの踊りのショーを鑑賞できるというもの。ビュッフェの種類もかなり多くて味も美味だった。外国人のお客さんが多く、ショーもいささかエンターテイメント性が強いように感じないこともないが、快適な場所で美味しい食事を食べながら伝統舞踊が見られるのはすばらしいことにも思った。

↑かなり広い会場。おしゃれな空間だった ↑きらびやかな衣装に伝統的な踊り
↑どのこもメイクばっちりで綺麗だった ↑このあと舞台にあがって一緒に記念撮影できた

■ナイトクラブへ

 シェムリアップにはおしゃれなバーがたくさんあるのだからおしゃれなクラブもきっとあるはず。合流したお友達と私たちは夜のクラブへいこうと計画していた。しかし彼女たちはツアーで参加しているので現地ガイドさんがいてその人はホテルまで彼らを送り届けるのがお仕事となっている。いったんホテルに戻ってからナイトクラブへ繰り出せばよかったのだけどビュッフェ会場から直接いったほうが時間も節約になるかなと思ってガイドさんにいったのでガイドさんも心配してついてきてくれることになった。そうすると運転手さんも付いてくることになり運転手さんの残業代が発生するという問題が発生したのでガイドさんがお勧めするクラブへつれていってもらいガイドさんは私たちと一緒にのこり運転手さんは帰るということにした。
 ガイドさんがつれてきてくれたところは外観はよかったのだけど中にはいると日本でいうクラブとは違って中国ではよくあるんだけど男性が女性をつれてくるクラブのようだった。男性同士、女性同士で踊りに行くというかんじのところではなかった。がしかしもう中に入ってしまったし、ガイドさんに「ここはつまらなそうなので場所変えたい」などとはいえなかった。仕方ない、シェムリアップのこういうタイプのクラブを楽しむしかない。飲み物を頼んだ。音楽も古くはないけれど私たちの求めるタイプとは違っていた。しかしどれも社会勉強にはなるだろう。トイレにいくと化粧の濃いお姐さん達が一生懸命お化粧をしていた。ここでお仕事をしている人たちだろうか?トイレにはトイレを専門に片付けをするおばちゃんがいた。手を洗ってふく紙が見当たらなかったのでうろうろしていたら身振りで場所を教えてくれた。まあ私もクメール語ができないし、おばちゃんも英語ができないと思われるので身振り手振りしか方法がないのだけど(笑)
 それなりに観察してそれなりの時間になったのででることにした。あとはトゥクトゥクで帰宅するのみ。ガイドさんとはここでお別れした。

■ナイトバーへ

 そのままホテルに帰ろうかと思ったのだが、先ほどのクラブはいまいち満足ができなかったので昨日いったバーストリートにちょっとだけいってみようということになった。確か歩いて行けるほどの距離だったと思う。
 バーストリートはやはりおしゃれなお店がいっぱいで、中には踊れるようなスペースのあるお店もあったのだけど今日は時間も遅くて疲れてしまったので席について飲み物を飲むことにした。2階があり生バンドがあるお店にはいった。音楽もほどよい大きさで2階から外が見渡せて面白かった。となりの席は韓国人カップル(夫婦かも)のようで途中から生バンドの演奏に合わせて社交ダンスを踊りだした。それが結構息が合っていたので他のお客さんから拍手が起こっていた。二人は回りも見えず(いや見えていたのかもしれない)自分たちの世界に没頭しておどりまくっていた。それがずっと続くので体力あるんだな〜と感心した。飲み物も飲み終わったので今日は帰ることにした。妹のお友達と「また日本でね」とさよならして歩いてアンコール・スターホテルまで帰った。帰りトゥクトゥクの客引きがうざかったけど歩いて帰れる距離なので歩くことにした。。ここシェムリアップはカンボジアで一番治安がよいらしい。確かにそう思う。夜なのに女の子二人で歩いていても危険に思わない。まあ犯罪が起きるときには起きるのでいつでも危険を察知するアンテナを張り巡らせてできればそれらを避けないといけないと思う。

7日目へ続く

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