7日目 シェムリアップからKLへ、そしてマラッカ観光
■トゥクトゥクで空港まで
今日はついにシェムリアップを離れる日だ。最初到着した日はトンレサップ湖クルーズ時における様々なショックから早く帰りたいって思ってしまったがついに帰る日になるとちょっと名残惜しさがでてくるものだ。ホテルの人と記念撮影をして写真を送ってほしいからとE-mailアドレスをくれた。挨拶程度しか交流をしていないけれどそうやって言ってもらえてうれしい。
あらかじめドルさんに空港まで送ってもらうように予約しておいたので時間になったらホテルの前でドルさんは待っていた。ドルさんともトゥクトゥクをバックに記念撮影をする。空港までの道のり、もうこういう景色も見納めになるのかなと思うと、ぼこぼこした道のり、目が痛くなるほどの砂埃、突然降ってくるスコールもすべてを記憶しておきたいと思った。
↑警察の車に警察官らしき人たちが座っていた。 いつもこうやって移動しているのかな? |
↑空車のトゥクトゥク |
↑タイルを敷く作業をしている女性達 | ↑ガソリンスタンド TELAとかかれている |
↑出勤途中だろうか?きちっとした服装の男性 | ↑突然動物がいるのもカンボジア |
↑ラッキーアンコールインターナショナルスクールが あるようだ |
↑カンボジアの土の色で汚れてしまっているがトヨタ のカローラ |
↑何かのお店のようだった |
■空港到着
空港に到着した。ドルさんにトゥクトゥク代を支払って「サンキュー」とさようならをする。ドルさんはいつもと変わらない笑顔だった。彼らはこうやって毎日のように新しい観光客を迎えてまた送り出していくのだろう。ドルさんという真面目なトゥクトゥクドライバーに出あえて私たちのシェムリアップ観光はとてもよいものだった。最初の車ドライバーは車だから快適だけど自分の英語と観光知識に自信を持ち過ぎているかんじで口数が多すぎるし次の日もその車を頼んで当たり前のような態度とかが私たちには不快だった。その点ドルさんは英語は基本的な交流ができるくらいだけどその分もの静かで私たちは助かった。値段もぼったくりではないし、帰り道に私達は急に行先を追加することがあって、私たちはその場所までおろしてもらってOKにしようと思ったけれどドルさんは「I Wait」といってその場所でまっていてくれた。変なお土産屋さんとかお勧めのお店、なんてのにも連れて行かれなかったし真面目にトゥクトゥクで商売をしている感じだった。そういう真面目な人に会うと心が洗われるようだ。やはり外国人相手にぼったくろうとするトゥクトゥクドライバーもいるから特にそう思う。
↑これが空港の入口 | ↑オレンジ色の屋根とモニュメントと結構かっこいい 空港だと思う |
↑これがエアーアジアの搭乗券 うすっぺらいけどエコなのよね?! |
■さようならシェムリアップ
離陸して窓からシェムリアップが見える。最初は田園風景とか緑とかなんだけどトンレサップ湖がみえてきた。上からみるとかなり大きい。海と見間違えるほどとガイドブックにかかれていたけれど大きさ的にはそうかもしれない。
↑離陸してすぐ、田園や道がみえる | ↑緑も増えてきた |
↑トンレサップ湖だろうか。 この茶色の水の色になかなか慣れなかったけれど 豊富な淡水魚やその漁獲高などシェムリアップにな くてはならない存在だろう |
↑このアテンダントさんはインド系のようだった。 多国籍な感じもエアーアジアの魅力の一つかも |
↑ヌードルを頼んでみた | ↑こちらは機内食風のお食事、もちろん有料 |
■またきたよクアラルンプール
無事クアラルンプールに到着した。シェムリアップさようならの気分も早々と忘れさり、さて今日はマレーシアでの観光の最終日でもあるのでどこにいこうかと頭はそちらの方に夢中だった。
KLでお友達になってSさんとNさんが迎えにきてくれていて本日の観光もつきあってくれるということだった。ひょんなことから知り合いになった彼らだけどそうやってよくしてくれることはとてもうれしい。久しぶりだねー!といいながらSさんとNさんに再会。荷物をうけとりSさんの車にのった。空港を利用するときって荷物がいつもより多いから自家用車って本当にありがたい。ラッキーだなとつくづく思う。
今日はKLの町を観光するのかとおもっていたらドライバーのSさん曰く、今の時間はKLの町は渋滞がひどくて移動時間がかかりすぎる、それならマラッカに行く方がいいとマラッカ観光をすすめてくれた。そうだな〜、今回ここを離れてから再度遊びにくるとしてKLとマラッカどちらが訪れにくいのかといわれるともちろんマラッカの方なのだから連れて行ってくれるといわれている今いっておいたほうがお得だろう、ということで私たちはマラッカ観光にでかけることにした。もう午後だったので早くはなかったけれど幸いKLから乗る飛行機は夜中1時25分発と遅いので時間は結構あった。
■マラッカの車窓から
私はチャイナタウンというものに非常に興味があったけれどSさんもNさんもマレー系マレーシア人だし、妹もインドネシアとかマレーには興味あるがチャイナタウンにはそれほど興味をもっていないようだ。ということでチャイナタウンには案内されなかったけれど、漢字&英語の標識のあるチャイナっぽいところは通ったので今回はこれでよしとしようかな・・・。
↑英語と中国語とがまじりあった世界 | ↑洋中折衷ってかんじかしら? |
↑車を駐車したところの向いのビル |
■マラッカ観光
まずはサンチャゴ砦、独立記念博物館あたりを写真撮影する。独立記念日がもうすぐということで国旗等できれいに着飾られている。そして勉強のためにも独立記念博物館に入ってみる。
↑サンチャゴ砦 | ↑独立記念博物館 独立記念日8/31前なので旗がいっぱい! |
↑人力自転車トライショー トゥクトゥクとは全然雰囲気ちがうね |
↑独立してからの歴代の首相だろうか? その前に立つチコ |
↑博物館内にあった1942年〜1945年の日本支配 時に日本政府が発行した紙幣のようだ。 |
↑日が暮れた後のサンチャゴ砦 |
↑独立記念博物館のライトアップバージョン |
■ショッピングセンターで小腹をみたす
少しお腹が減ってきたのですぐ傍のショッピングセンターでホットドックを食べる。
↑ショッピングセンター内 | ↑笑顔の店員(写真)と並ぶ笑顔のチコ(生身) |
■夜のスタダイス広場
スタダイス広場とはオランダ広場ともいわれて、スタダイス(シティーホール)、クライストチャーチ、クロックタワー(時計台)がある広場のこと。マラッカでも一番有名な観光場所らしい。もうすでに夜になってしまっていたが、それなりに写真がとれたのでよかった。
スタダイスとはオランダ語で「シティーホール(市庁舎)」。1641年にオランダが、ポルトガルからマラッカの支配権を得た後の1650年にオランダ総督の住居・役所として建設され、18世紀まで利用されたそうだ。
クライストチャーチはキリスト・プロテスタント派の教会で、1753年にオランダ人が建設したもの。マラッカ占領100周年の記念事業として1741年に建設開始し、完成まで12年間かかった。教会内部にはレオナルド・ダヴィンチ「最後の晩餐」の複製画がある。
クロックタワー(時計台)は華人豪商タン・ベン・スィ氏が亡くなった父親「タン・キム・セン」に弔意をこめて1886年に建立された時計台。オリジナルの時計は英国製機械式だったそう。大切に手入れされ96年間使用され1982年改修の際、日本の「セイコー」が1982年8月31日の独立記念日に寄付したそうだ。
↑クライストチャーチ | ↑噴水とスタダイス 幻想的な写真に仕上がった |
↑クライストチャーチとお花畑 | ↑スタダイス |
↑クロックタワー(時計台)下から見上げた図 | ↑ライトアップされた木 |
↑噴水の前で | |
↑噴水達の向い 銀行と風車があるようだ | ↑道路 |
■夜景
スタダイス広場以外にも綺麗な夜景が見える場所があった。ぼけているけれどそれなりに綺麗に写真がとれた。マラッカにはいろんな顔があるなと思った。足早に観光しただけなのでまたマラッカもゆっくりみにきたいと思った。
そろそろKLに戻ったほうがよさそうな時間になってきたので私たちはマレーシア新国際空港へ向かった。
↑情緒あふれる夜の色があった | ↑こちらはちょっと現代的だけど綺麗だね |
↑ショベルカーかな? | ↑空港に到着、ここで送迎の車を降りる |
↑空港入口と対面するように立つタワー |
■空港にてSさんNさんとさようなら
SさんとNさんには今回とてもお世話になったし、彼らと一緒に回ることによって効率的に観光することができたと思う。マラッカには自分たちだけではこんな短期間に訪れるなんてことができなかったと思うし、今回ここに紹介できた場所は二人と一緒にまわることができたからこそみられたものだったと思う。お世話になりっぱなしで何もこちらからしてあげることがないのが恐縮だったけれど今できることは「ありがとう」といって帰ることしかない。日本に帰って一緒に撮った写真をメールで送ろう。
■上海経由にて
早朝上海に着いて乗り換えまで3時間弱くらいの時間があった。かといって空港の外にでるほどの時間はないように思えたので空港内でボーッとしていた。経由便は安いけどこれがちょっと辛いね。
TOP 旅行記 プロフィール 掲示板 チャット 日記 笑話 お菓子 映画 リスト フォトレポート
コラム 100の質問 天津街ガイド 過去Top 暮らし方 ブログ