マレーシア ペナン島 女一人旅 5日目

■パンをたべて出発

昨日買ったパンを朝食にいただいた。パン屋さんで選んだので楽しみにしていたのだけれどお味の方は自分には合わない味だった。やっぱりパンというのは国が変われば好みも大分かわるのだろうかな。もっともっと無難そうなパンにすればよかった、あるいは何も買わないでいればよかったと後悔。飲み物は結構美味しかった。

↑大きなクッキーのようなものなのだけど
不思議な味がした
↑こちらはピザっぽい総菜パン
↑こっちはセサミなんとか。こちらもいまいちだった ↑マンゴ味ヨーグルトドリンク おいしかった

■北京語タクシー

荷物をまとめて6時頃にチェックアウト。そしてタクシーを一台呼んでもらった。運転手さんは私が中国人だと思ったようで中国語で話しかけてきた。中国人かときかれたので日本人だけど中国語を話せるといったらそれはすごい!といって色々話をしてくれた。

その運転手さんはお父さんは中国系なのだけれどペナンで育った人らしくお母さんは中国の大陸から来た人だそうだ。話せる言語はマレー語、英語、北京語、広東語で、福建語はきいてわかるけれどあんまり話せないといっていた。おじちゃん曰く一番重要なのは英語と北京語(華人の間では「華語」という)だという。マレー語はマレーシアでは必要かもしれないけれど世界的にみて役に立たないという。マレー語はマレーシアとインドネシアだけ、シンガポールもマレー人がたくさんいるけれど彼らはマレー語を話さず英語を話すという。世界をみるなら英語と北京語だそうだ。私は妹もインドネシアにいた経験がありインドネシア語を少し話す影響もあり、また北京留学時代にはインドネシア華僑との日本人ハーフの留学生が数人いて彼らがマレー語を話しているのを何度かきいているのでマレー語を話すことを一種の羨望のまなざしでみていたけれどおじちゃんにいわせたらそれよりももっと英語と北京語に重点をおいた方がよいということだそう。

そして中国語のCDをかけてくれた。しかしたぶん年代が違うのだろう全然しらない曲だった。誰の曲かきいてみたら答えてくれたのだけれど私の知らない人だった。台湾の歌手だといっていた。やはり中華圏(北京語)の音楽は台湾が強いかなと思う。台湾にはいい歌といい歌手がいる。中国大陸でも台湾の音楽は人気だ。そういう意味では台湾のエンターテイメントはすごいかもしれない。

あっという間に空港についた。朝はやはりこまなくてよい。料金は最初にホテルのポーターさんに言われた金額を支払う。行きよりも高い金額だったけれど7時以前は割増料金なのだといわれた。その金額をおじちゃんに支払う。チップとかないので楽チン。

今回の旅行で一番中国語で話したのがこの運転手さんだったと思う。意外と中国語使用頻度は高くなかった、というより会話自体が少なかったのだろう。一人だったし一日目からバイクスリに遭遇して社交的になれない気分だったしね。

■ペナンの空港

空港はこじんまりとしている。チェックインカウンターは少し並んでいる。並んでいる途中いろんな人を観察してみるのだけれど私の前にマリーちゃんの大きなスーツケースと小さなスーツケース。そしてマリーちゃんの手提げ袋を持った若い中国系女の子とその父母がいた。父母は荷物が少ないので見送りのようだ。これから娘は留学先に帰るのだろうか・・・。マリーちゃんのスーツケースの札をみてみると宛先はカナダだった。彼女はカナダの大学かどこかに通っているのだろう。休暇でこちらにかえってきてまたカナダにもどっていくところなのだろう。カナダのどこかまでは住所がみえなかったけれど英語圏に憧れのある私にはとてもうらやましく思えた。他の人から見たら私は北京に留学をさせてもらって、かつ天津で働いた経験もあり十分うらやましがられるのかもしれないけれど、そこはまたないものねだりなのだろう、カナダで学校に通う彼女がとても羨ましく思えた。

私も天津で働いているときお正月やお盆に日本に帰国してまた天津に帰るときは両親に空港までおくってもらった。両親は「がんばってね」といって私を見送ってくれる。今まさに私の前にいる彼らはそのような状況なのだと思う。がしかし違うところもある。カナダは先進国。中国はそうではない。私は日本という先進国から天津に帰るとき、ああまたこれから汚い会社のトイレと士気の低い会社の同僚に囲まれて生活するのかと思ったら結構萎えたものだった。程度の差はあっても天津に戻りたくないと思うことが多かった。もちろん戻ってしまえばまた別の楽しみ方があり日本のことも忘れるのだけどね。そしてマレーシアのペナンからカナダに向かう彼女。それには私の「天津に行きたくない」といったような感情に似たものはないのじゃないかと思う。

もちろん物価が高くて大変だわ。美味しいママの料理や地元の料理が存分に食べられないわとか、英語がまだまだ苦手で困ることがあったらどうしよう。とかそのような悩みは彼女にもあるかもしれない。きっと彼女の悩みや苦労は私の知らないところで存在しているのだろう。まあただ私はうらやましかっただけだ。英語圏に滞在したことがないからね。

↑かわいらしいインテリアだと思う。
奥はチェックインカウンター
↑ストラッピングサービスというのがあった。
荷物が何かの拍子に開いてしまわないようにという
ものでスーツケースにも利用している人が多い

私のチェックインを担当してくれたお姉さんはマレーの人で頭にスカーフをまいていたかわいらしい人だった。彼女から「Kansai?」と聞かれるとなんか関空のチェックインカウンターの女の人達に見慣れている私は新鮮な感じがした。

チェックインが終わって出国審査に進んだ。のはいいけれどここでは飲み物等をもちこめないことに気がつく。列に並びながら昨日買ったジュースを一気飲み。なんだかむなしい。そして出国審査の前のセキュリティーでカバンのなかのミネラルウォーターも取り上げられる。飲む暇がないのならホテルにおいてきた方がよかったと思った。そして出国審査を終え後は自分ののる飛行機の出発ゲートの付近でまっているだけでよい。窓の外はまだ暗かった。まだお店もこれから開店準備をするところ、まだ開いていないところもある。特に買い物するものもなかったので椅子に座って待つ。

↑まだ夜が明けていない中のキャセイパシフィックの機体

搭乗時刻になり飛行機に搭乗する。この飛行機はクアラルンプールからやってきたそうだ。ということは今回はクアラルンプールでの乗り継ぎはなく香港へいってその後に関空という路線なのだと思った。来たときが関空→香港→KL→ペナンと2回の降機だったので一回でも減らしてほしいと思っていたのでうれしかった。がしかしそれは違うようだった。KLへは行かない、だけれどKLのかわりに今回は台湾に降りるのだ!ああぁぁぁ1回の乗り継ぎで帰ることはできないのね。つらい。しかもこれ正規運賃。お正月の旅行は本当に早めによいチケットを抑えておかないといけないと強く思った。

そんなこんなで出発した。行きには楽しんだ映画なのだけど帰りは画像も悪くて前の人も席を倒してきてよくみえないので何もみなかった。食事が運ばれてきてまだ前の人が席を倒したままで食べにくいので前の人にリクライニングを直してもらった(←これも結構勇気のいる仕事)そして香港到着。1日目に転んだ足の捻挫はほとんどよくなった。がしかし今日はかかとの部分が靴擦れしてそれがいたい。たくさんは歩きたくない。香港で降りた場所は次のゲートまでかなり遠い場所だった。係の人に中国語でいきかたをきいて見る。歩いていく単純明快な道をすすめられた。私は歩きたくないので電車?に乗りたいんだというとそれでもOKだけどわかりにくいかもしれないから気をつけてといわれた。そして乗り物に乗って近くのゲートまでいった。そしてセキュリティーチェックをして出国エリアへいく。

↑足が痛くて歩きたくなかったので電車で
このエスカレーターは長くて高さも4階分くらいある
↑機体までつながる歩道(これなんていうの?)が
とてつもなく長かった。左が入り口でまっすぐ進んで
右折してからも長い。右に奥にみえるのが飛行機

■香港から関空へ

 香港の空港は行きと同じように多くの人であふれていた。ここはアジアといえども西洋人の姿も多く(香港でトランジットの人も多いのだろう)アジアっぽさをあまり感じない。マレーシアの空港では表記が英語以外にもマレー語の表記がでてくるし、働く人もムスリムの人が多くその姿でエキゾチックさを感じる。香港にはそれがあまりないね。アジア人も英語を話し、中華料理もあるけれどエキゾチックとまでは感じられない。それは私が中国大陸に数年住んだからかもしれないが。

 香港の空港には人が多く、足も痛いので早めにすべての手続きをすませてゲート付近で待っていた。アナウンスがなり機内への搭乗がはじまった。うしろに並んだ人が中国大陸の友達から電話があったけどつながらないんだ…と話していた。国番号をつけてやってみたらいいよ、と連れの女性が話していた。ここは香港、中国からみるとまだ外国なんだよね。彼らも国外の電話料金になって大変だなと思った。そうだよ、結構たくさんの人が香港と大陸(深セン等)を行ったり来たりしている。大陸の携帯と香港の携帯と両方持っている人もいる。受信もお金がかかるはずだから香港にいるのに中国の携帯にかかってきたらすごくお金がかかりそうだね。と自分には関係ない心配をしてみる。

 機内ではとなりに中国人ぽい男の子が隣になった。20代前半、学生さんかな?話はしなかったけれど香港からのってきたのだけど、なんとなく香港人っぽい感じもあまりしない、彼は台湾にいくのだろうと私は勝手に想像した。あとで言葉を交わす機会があったのだけれど彼は台湾にいくのではなくて私と同じ関空へ向かっていたのだ。日本の学校に通っているのか日本語が達者であった。しかし日本人ではないようだから香港人か台湾人かあるいは中国人か、それでも違ったら華僑なのだろう。

 台湾に到着。私はどうしたらよいのかわからなかった。だって関空までいく人たち向けのアナウンスがないんだもの。機内に残る人の姿はすごく少ないので心配になってフライトアテンダントさんにきいてみた。CDで学んだ広東語にはとてつもなく自信がないので英語で質問した。関空に行くひとは降りてもよいし残ってもよいと。がしかし時間もながいわけではないので残ることをお勧めしますと言われた。そしておとなしく残ることに。周りをみてみると残っている人はほとんどいないのになぜか私の席3人席は皆残る人たちだった。ちょっと窮屈じゃないのって思ったけれど、隣の男子が違う席にさっそく移動したので私はもとの席で待機した。

 めずらしく隣の隣の席の方と意気投合したのでおしゃべりをした。彼女は日本にくらす日本人女性で、インドにヨガの研修?にいってきたところだったそう。驚くことに日本に旦那さんも子供もいて、彼らは快く「ママいってらっしゃい」と送り出してくれるそうだ。もちろん家族でいけるときは家族で海外旅行もするみたいだし、なんて素敵なファミリーなんだと思った!インドのお話は私のペナンバイク泥棒事件よりも相当強烈で私の旅行も生ぬるい旅行だったかもと思えた。もちろんそれは楽しくないとか意味がないという意味ではない。だってインドの話しはとても強烈だったから。

 話をきいていて勉強になるとともに私も色々旅したいなと思った。そして将来も仮に家族が増えたとしても旅行は続けていきたいなと思った。さあて次の旅行先はどこだろうか。一人旅行もさみしい部分はあるけれど悪くない、かならず出会いはあるもんだ、と思った。

終わり

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