はじめての台湾一人旅

1日目 (移動)夜 台北着
2日目 台北市内観光、台北市内泊
3日目 基隆へ移動、野柳を観光、基隆へ戻り基隆泊
4日目 九イ分へ移動、瑞芳を経由し十分大瀑布を観光、瑞芳経由で九イ分に戻り九イ分泊

5日目 九イ分を観光、台北経由で、飛行場に近い南kanへ移動、南kan泊

6日目 (移動)南kanより飛行場へ、台湾さようなら

10月2日(月) 5日目

■民宿をでる

 今日もゆっくりと起床する。一人旅はこれがよい。自分のペースで朝起きることもできるし、疲れたらいつでも休めるからね。荷物をまとめて民宿に預かってもらうことにした。昨日チェックインのときにいたおばちゃんはいなかった。彼女のお母さんらしき人がいた。日本語を話す。昨日の毛を刈られた犬と一緒にいる。犬かわいいですね〜とお話をちょっとして私のリュックを預ける。預けるといってもただその中庭の椅子の上におくだけだけど。まあ誰も入ってきてとったりはしないのだろう。

↑柳園のすぐ近く ↑手前にも奥にも階段
↑手すり付階段 ↑電信柱付?階段
↑このように山の斜面に沿って道がある。この道と
道との連絡は殆んどが階段だ。

■ブランチ

 民宿の近くにある展望レストラン「好望角」でブランチをすることにした。佛跳牆(牆には草冠がつく)という台湾料理を頼んだ。この料理初めてきいた料理でお店のおばちゃんにどんな料理かときいたら、台湾の料理でイモとお肉とうずらの卵そのた色々入っている料理といわれたので美味しいそうと思い頼んだのだけどガイドブックによると「アワビやフカヒレ、内臓などを長時間掛けて煮込んだ料理」とかかれていたのでそれの簡易版なのかと思った。私は内臓が苦手なので入っていない方が逆にうれしい。実際味は八宝菜に少しにているかなという感じの不思議な味だったけれどご飯と一緒に食べるのに合うおかずだった。このカフェ・レストランはベランダがあってそこにもテーブルがあるのでそこで街の風景をみながら楽しめる。この付近のお店はみんなこういうつくりになっていると思うが場所によって見える景色も微妙に違うかもしれない。

好望角
瑞芳鎮九イ分基山街176号
TEL:2496-8276

↑好望角のお店の中 ↑佛跳牆、お茶もセットについてくる
↑展望できる外の席 ↑天気がよいと遠くまで見渡せる

 今日の散策を始める前に手持ちのお金が少なくなってきたので少し両替しようと思う。地図を見るかぎりこの街に銀行はないようだ。お店の人に銀行はないかきいてみると、銀行はやっぱりないのだけど両替は郵便局でできるとのこと。外国人が沢山訪れる観光地だもの両替ができないわけはないよね。ちなみに台湾の銀行のATMはある。もちろん中国の銀行のATMはない。

■郵便局を探して

 郵便局にいってみる。営業している。でもドアは開かない。よくみるとお昼は12時〜13時まで休憩時間だということだ。今は12時10分。なんかついていないなぁ。1時間ぶらぶらしてこよう。
ぶらぶらして気がついたけれど12時〜13時というのは閉めているところが多い。皆12時〜13時に食事をとって13時から観光を開始せよということなのだろうか。ここには都会の複雑化した生活というのはあまりないのかもしれない。そうそしてそれがこの街をさらに魅力的にしているのだとは思うけどね。昨日ビラ配りに励んでいた黄金博物館に行ってみたらここも休みだった。町並みを散策して写真でも撮ろう。

黄金博物館
瑞芳鎮九イ分基山街58号(九イ分老麺点向かいの小道を下に降りてすぐ)
携帯電話:0920-091661

↑お昼休み中だった黄金博物館 日本語のTシャツも売っていた
↑通りの風景、注目するべきは窓口のおばちゃん ↑よく見えないかもしれないけど本物のドレッドヘア
のようだった
↑山の斜面にそって立ち並ぶ民家 彭園

■彭園

 歩いていると「彭園」というものを発見した。説明書があったのでそれを適当に約してみるとこんなかんじ。

彭園、もともとは台陽(金黄)業股(イ分)有限公司の社員のためのクラブであった。この会社の董治長である顔○賢さん(○は金へんの変形みたいなの+欠)が職業病である珪肺(けいはい)病にかかってしまい、1948年、日本の東北帝国大学を卒業した彭慶火医師を九イ分へ呼びこのクラブを労働保険のある病院にし、台陽(金黄)業股(イ分)有限公司の付属病院とした。九イ分に住民に医療の機会を与える場所を提供するだけではなく、鉱山労働者に替わって労働局に職業傷害給付の申請をするなど、鉱山労働者の晩年の生活を保障した。金鉱が閉山後は彭外科病院とし地域の人々に貢献し続けた。1988年8月彭慶火医師が死去し病院は閉業した。当時を懐かしむために現在もその姿をそのままにしている。

という内容だった。日本の東北帝国大学とでていたので日本人?と思ったりしたけれど彭慶火医師という名前からしてそういうことはないよな。あとで調べて見ると医師は台湾新竹出身だそう。

■階段を歩く

 この街には階段が沢山ある。主要な通り「基山街」などは別にすると他の道と道はどのようにつながっているのか地元の人以外にはわかりづらいものがある。階段をおりて散策してみた。すっごく狭い道でこの先は民家しかないだろうと思うような道も他の場所へ続く道だったりするので行ってみるまでわからない。中には住んでいなくて廃墟となってしまっている家もあった。ガイドブックによるとこのノスタルジックな雰囲気が気に入って引っ越してくる人もいるということだけれど、同様に外に出て行く人もいるのだろうか。それともこの階段をいったりきたりしてやっと入れる車もおけない不便な家からでて主要な遠りに面した場所に引っ越した跡というだけなのだろうか。街全体として寂れている感じはない。台北から近いので毎週末は大勢の人がくる。週末ではない月曜日の今日も人が多いのでびっくりする。外国人は日本人女性2人組、というのも目立つ。あとは台湾人の家族連れやツアー客。平日なのにすごいなぁと思ったりする。

↑アパートの入り口廊下だと思う ↑雨がよく降るからかコンクリートが黒くなりやすい
のかもしれない
↑先が見えない階段はわくわくする ↑なんとなく少し南国風?
↑これも道なんだろうか ↑日常の風景、これくらいの道だと自動車が通る
↑いたるところに小さい階段がある ↑結構階段きつそう
↑緑が茂っていいねぇ階段 ↑これも一応階段
↑家の前にも階段 ↑しっかりとした階段
↑半分埋まっている?ように見える家 ↑この先民家しかないだろうと思うようなところも
道が続いていたりする

■郵便局で両替

 13時すぎたので郵便局へもどる。台湾での滞在はもう今日一日だけみたいなものなのであんまり沢山換金する必要はない。残りの残金とあわせて考えてあと5,000円くらい換金したらいいかなと思ったのだけどあいにく5,000円札をもっていなかった。あるのは1万円札か千円札は2枚。2,000円では少なすぎるかな。でも1万円両替したらすぐに使ってしまうからなー、少なめくらいの方がいいかな。今日夜泊まるホテルはいくらくらいだろう。そこから空港までのタクシー代がいくらで・・・なんて計算していて結局けちな私は2,000円両替するのみにした。2,000円は543元みなった。レートは0.2716。まあなんとかなるだろうとその時は思ったのだ。結局先進国である台湾ではなんとかならなかったんだけど・・・。
 ひとまず少ないながらも両替は済ませたのであと少しこの街をぶらぶらして台北までバスで戻りそこから今日の宿泊予定地南KANに行こう。

↑これくらいの幅があれば主要な道路! ↑洒落たつくりだけれどお店かな?
↑民家 ↑この階段を昇ると・・(左下の写真に続く)
↑いきなりでてくるドア ↑昔の映画館らしい
↑昨晩も写真に撮った『非情城市』のある
豎崎路
↑左の写真の真後ろを撮影
↑廃業した映画館のとなり

■豊かさ

 街の探索をしていて公衆トイレがでてきたので利用した。公衆トイレというのは中国では極力利用したくないものだけれど台湾のトイレはかなり綺麗。そりゃ日本の綺麗さには劣るけれど中国で長年暮らしてきた私にはこれだけ綺麗だったら十分。手を洗うお水もちゃんとながれるしとにかく綺麗に利用されているし掃除もされている。私がでていくとちょうど環境保全というかいわゆるゴミを集める仕事のおじさんがバイクにのってトイレの横にあるゴミ箱の回収にきた。おじさんは私がカメラをもって撮影しているのをみたので観光客だとわかったのだと思う。なんと「こんにちは!ようこそ((イ尓)好、歓迎光臨)」といったのだ。これには本当に驚いた。ようこそ(歓迎光臨)、という言葉を見ず知らずの人からいってきかされたことは、お店の「いらっしゃいませ〜(歓迎光臨)」以外ではなかったし、失礼だけれど中国ではゴミを集める人とはあまり学がなく態度も言葉も荒い、話しかけても乱暴な答えしか返ってこないイメージがつよすぎたので、台湾で同じ言葉「ようこそ(歓迎光臨)」をゴミ集めのおじさんから聞くとは思わなかったのだ。これにはほんとうにぶったまげたものだ。台湾と中国を比べる時よくいわれるのが台湾は中国より豊かでその分こころのゆとりがあるということ。本当にそういうことを何度となく感じることがあった。もしかしてこのごみ収集の人の場合はもっと複雑な理由があるのかもしれない。台湾ではどうかわからないけれど中国の都市部ではごみ収集という職業は田舎から出稼ぎに来た人が携わっていることが多い。そこで出稼ぎ労働者は都市部の人よりもはるかに条件の悪い労働環境で働いていることにストレスをひどく感じているのかもしれない。そうするとそれは中国の「都市戸籍」と「農村戸籍」とをきっちりと区別している政策も関係しているのかもしれないし、都市と農村部との貧富の格差が原因となっているのかもしれない。そういう風に考えて見ると一概に比較できるものではないけれど、台湾の公用語は北京語であるし、同じ言葉を話す同じ民族の人たちをどうしても比べてしまってその違いに驚いてしまうものだ。もちろんそれは同じアジアの国でもある日本が見習うところもあるだろうし、そこから私個人が勉強すべきところも沢山あるはずなのだろう。 

↑実に絵になるただの道 ↑斜面にそって作られた細長い
↑階段をおりるの図 ↑まるで秘密の花園に迷い込んだようですわ
↑左も右も壁で視界がさえぎられている階段
この先はどうなっているのだろう・・・。
↑こういう風に階段はくねくねと続いていく
↑斜面にそって家がたっているのでナイスビューの
家が多いのだろうなぁ
↑どこに続いていくのかわからないのが楽しい
↑鯉の泳いでいるミニ池。真ん中後部に黄色い管
からお水が注がれているのがみえるかな?
↑左のミニ池の後に設置されたからくり
白い管から急須を3つ経由して注がれている!
↑切り替えをしないと曲がりきれないU字カーブ ↑結構急な階段
↑誰も住んでいない廃墟 ↑中庭?に草が茂ってしまっている廃墟
↑傾斜にレンガを敷いただけの階段
昇ってみたけど民家専用だった。
↑上が覆われてて雰囲気の違う階段
↑庭に木材があったけど何に使うのかな? ↑この階段をおりたら確か公道だと思う
↑柳園近くの「頌徳公園」園内にあるモニュメント? ↑腕が立っている?
↑左の方角は「侯(石同)まで 2530M」と書かれている。
しかし左の方角をみると・・・(次の写真)
↑この長い階段道を2530M進んでと侯(石同)
へ行くというの??

■バイクで遠回り 

 歩き回って沢山素敵な写真も撮れた。そろそろ台北に戻った方がよさそうだ。民宿柳園までは階段を昇っていくとあと数分というところを私は歩いていた。この街は自動車が通れる道が少ない。その分移動はバイクが多いのかもしれない。バイクは大体の道は通れる。しかしバイクも通れないのが階段。この階段というのがこの街の主要な道路と道路の間を一番最短で結んでいるのだからバイクは遠回りしなければならない。
 歩いていると後からバイクの人がきた。そして「今何時か教えてください」といわれた。こういう人は天津でもいる。北京ではあんまりいなかったけれど天津では時計を持ち歩かない人が多いのか何回も聞かれた。
この男性も単に時間が知りたかったのかわからないけれど時間をきいたあと「君はどこの人だ?」ときいてきた。「日本人だ」というと彼の名刺を渡してくれた。特にホテルやお店で働いていてお客さんを集めようとしているわけではなかった。台湾に旅行にきていて今日これから台北に移動するといったら宿までバイクで送ってくれるという。すぐ近くだからいいよといったんだけど通り道だから送ってあげるよといわれた。通り道なのかな???と思いながらもまあ悪い人じゃなさそうだしいいかと思ってのせてもらった。その人は地元の人なので民宿の名前いったらすぐわかるのかなと思ったけど詳しい場所は知らないみたいだった。とりあえずバイクでは階段を昇れないので宿へ向かう道とは違う方向へと戻っていく、そして基山街の入り口まで戻った。そこから一番混んでいる基山街をバイクでつっぱしる。基山街は両サイドともにお店なので人が左に左にふらふらと見物しながら歩いている。その中を何度も何度もバイクが通るからのけてくれ、ということを伝える大声を出して進まなければならなかった。そういうのはちょっと申し訳なかったなぁ。少し坂になっているところは二人乗りなのでバイクは上がらないし。そして明らかにバイクで来たために遠回りになってしまっていた。通り道だから送ると彼が行ったのは確かだけれど、ちょっと道端で話したくらいで送ってくれるということになったのは何か他に目的があるのだろうか・・・。可能性は低いけど降りる時に「100元ちょうだい」といわれるとか?、日本人とどうしても結婚したいと思って焦っているとか? 台北に帰るまでストーカーされるとか?色々考えられるけれどどれも当てはまらないような気がした。
 無事柳園まで着いた。バイクを降りて私の日本の連絡先を教えて欲しいということなのでメールアドレスを書いて渡した。Eメールを持っている?ってきいたらPCが壊れたのでないということ。多分日常的にパソコンを使わない人なのかもしれない。でも日本の住所といって親が住んでいる実家の電話番号とか住所とか教えてそこに連絡をとられても困るしやっぱりEメールだけにした。もし彼の方が連絡がとりたいって思うんだったら他の人のPCを借りてでも連絡してくるだろう。じゃあ再見といって別れた。万が一待ち伏せとかされるということも考えて柳園の中で少しゆっくりすることにした。

■柳園の犬とおばちゃん

 柳園に入ると犬がほえた。昨日あったときは少しもほえなかったのに・・・。多分私が外から入ってきたから侵入者だと思ってほえたのかもしれない。でもなでてあげるとすぐにほえなくなった。毛を刈られているのでなで心地はバツグンによい。本来の姿とは違うスタイルになってしまっているのでかわいそうな気もしたけれどこうやって短くするとなで心地もよく、毛も落ちないし、さらに清潔感もでていいかもしれない。昨日の若いおばちゃんは外出しているようだった。朝私が荷物を預けたおばちゃんが留守番をしていた。「帰る?」ときかれて少し話をする。これから台北に行く?、また台湾に遊びにきたい?今度きたらまた遊びにきて、などといってくれた。そうだね九イ分にはまた遊びにきたいよ。

■バス停へ

 随分と重たくなったリュックを背負いバス停まで戻らなければならない。バス停は実は柳園から下へ階段を降りて自動車道までいくとそこはバスが通っているのでそのどこかでバスに乗ることができるように思った。がしかしその道のどの位置にバス停があるのかわからない。もしかしたら降りてみたもののバス停まで結構歩かなければならないのかもしれないし、最初にバスを降りたバス停(九イ分老街、基山街入り口)まで行くことにした。そこまでいくには遠いのもあるけれど基山街が人が多いので大荷物で歩きたくなかったのだ。でもそこを通ったおかげでまたまた「芋圓」をほおばることができた。昨日も食べた「頼阿婆芋圓」やっぱり美味しい。

■台北までバス

 バス停につくと日本人女性3人組がバスを待ってオカリナを吹いていた。九イ分でオカリナを買ったのだろう。私の持っているガイドブックにもオカリナのお店が紹介されていた。彼女達も台北行きバスを待っていたようで、台北行きバスが来ると乗車した。ガイドブックには台北から九イ分までのバス料金は70元とかかれていたので70元の小銭だけは確保していたのだけれどバスが到着してみたら90元だった。あれ?もしかして昨日乗ったバスの中に貼られていた10月1日から料金改正なのかもしれない。彼女達は3人と小銭を持っていなくて100元札しかないようだった。運ちゃんが後にならんでいた私が小銭を持っているかと思ってきいたのだけれど私は70元だと思っていたから90元は持っていない。ポケットを探してみて88元見つかった。「差多少?(どれだけ足りないんだい?)」と聞かれて「2元」だといったら2元まけてくれた。運ちゃんも一人10元ずつのおつりを用意しないといけないから大変なんだよね。日本人3人組の一人は中国語ができて「小銭がない」とか運ちゃんと意思疎通をしていた。でも私のことはまさか日本人だとは誰も思わなかっただろう。バスの中でも彼女達は色々日本語で話をしていた。一人は台湾の学校に留学していて日本のお友達2人が彼女を訪ねて台湾を訪れたみたいだ。そして一緒に観光してまわっているようだ。こういう海外旅行の仕方って結構いいと思う。言葉が少しでもわかる人がいて地理や観光スポットについて知っているその人と一緒に楽しみながら観光できるんだもん。留学している間は人によっては日本から人が沢山訪ねてくるものだから、観光スポットについて効率よく回るコツを知っている人もいる。私は留学中は誰も尋ねてこなかったので案内するのはとても苦手です、はい。

↑バスは川沿いの道を通る。途中の街 ↑赤い橋
↑橋通過!! ↑もうすぐ台北

■台北「忠孝復興駅」付近

 このバスは台北のMRT忠孝復興駅前が終着駅だ。バスの中でも考えてみたけれどやっぱりお金が少し足りないかもしれないので銀行を探して両替してみようかと思った。まだ銀行も開いている時間だ。地図をみて進んでみたのだけれど方向音痴なのか地図が読めない女性というやつなのか行きたいところと反対の方向に進んでしまったことに気がついた。反対側の方向に数ブロック進み「福華大飯店」にたどり着いてしまった。この福華大飯店、結構豪華なホテルだった。天津では大きなホテルはレートはあまりよくないけれど外貨の両替もできる。ここまで歩いてきたので一応入ってきいてみよう。私はこの豪華なホテルに不似合いな大荷物を背負った格好で勇気をだして入っていった。案内のカウンターがあったのできいてみると両替はしていなそうだ。かわりに銀行への行きかたを教えてくれた。簡単な地図を書いてくれたのでそれをもって再度出発。目的地は私がバスを降りた地点だからまたもどることになるのだけれど今度こそは両替できるだろうと思って出発した。
 教えてもらった萬泰銀行にたどりついた。それほど大きくない銀行だけど中に入ると「いらっしゃいませ、どのようなお取引をお望みですか?」ときいてくるスーツのおじさまがいた。外貨を両替したいというと「外貨の両替は3時半までなんです、レートはよくないけれど隣のそごう(太平洋崇光百貨)で両替できますよ。」といわれた。両替が3時半までというのは知らなかった。仕方ないのでそごうへ向かう。
 そごうに入るとすぐに案内カウンターがありかわいい制服をきた女の子達が忙しそうに働いている。そこで両替をしたいんですけどというと、身分証明書があればすぐにその場で両替してくれる。レートは確かによくない。26.5だった。駄目だろうなと思ったけれど「1万円のうちの5千円だけ両替することはできますか?」ときいてみた。できないんですといわれた。ここだったら日本円のたくわえがあるんじゃないのかぁ、その中から5,000円私におつりとして返してもらうことはできないのかしら・・・。となりが銀行なので担当してくれたお姐さんは電話してきいてくれたりしたのだけれど駄目だという返事だった。銀行にももしかしたらデパートにも日本円の蓄えは少しはありそうなものだけれど、その辺りは厳しく管理しているのかもしれない。人民元も持ってきていたので両替できないかときくとそれもノーだった。私はおとなしく1万円両替するか、あるいは恥をしのんでそごうに買物にきている日本人に「すいません1万円札を崩してもらえませんか?」ときいて回るかと思ったけれどそこまではしないことにした。レートは悪いしそんなに沢山両替する必要性は感じないけど仕方ないので1万円両替しましょう。1万円は2,650元に変身した。やっぱりお昼に九イ分の郵便局で最初から1万円両替しておいたらよかった。あそこならレートも悪くないし、結局1万円両替する必要があったんだから・・・。と思ったけれど仕方ない。けちな心がでてしまったからだろう。

↑そごう入り口前の広場 ↑素敵なお嬢さんONラッピングバス

■バス停を探す

 両替も終わり次の目的地は南KANだ。南KANは中正飛行場に行く途中にあるので中正飛行場行のバス停を探した。最初は大有巴士のバス停でまっていたのだけれどこれは南KANではとまらないようだ。大有巴士の運転手さんに南KANに行きたいというと「この道路の反対側にある長榮バスに乗りなさい」と教えてくれた。ライバル会社(?)のはずなのに親切に教えてくれるんだね。台湾のバス運転手さんは親切な人が多くてうれしい。
 長榮バスのバス停を見つけた。すでに人が並んでいるのでもうすぐくるのかもしれない。ここで間違えたくないので一応すぐ前にならんでいる女性にこのバスは飛行場の方向にいくのかきいてみた。「そうですよ、飛行場に行くの?」ときかれたので「南KANに行くんです」といってお話した。この女性とは話が弾んでバスの中でも色々お話した。
彼女は若く見えたけれど私と同年代の息子がいるそうだ。私がバス停でたずねてきたときいい人だと思ったのでお話をしたといっていた。私のことは20歳くらいにみえたって!!若い女の子が一人で旅行しているなんて勇気があることだ、息子にも貴女の話を聞かせて勉強してもらうわといっていた。お姐さんとは仕事の話など色々した。彼女が勤めている会社はミネラルウォーターを販売している代理店みたいだけど、今度は企業の幹部にマネジメントの教育をするという事業で中国大陸に進出する予定だそうだ。だから私も大陸に住むのよ!といっていた。台湾の人が大陸に住むってどういう感じなのだろう・・・。私も天津で働く台湾人のお友達を何人かいるけど皆40代くらいの男性だ。そういえば女子で滞在している人って一人もみかけていないわ。私の仕事は経理だというと、彼女も経理を学生時代に勉強したそうだ。だけど経理の仕事があまり好きでないので今の仕事をしているそうだ。うん私もよく思う。経理の仕事は自分では細かい作業が嫌いではないので向いていると思うけど、同じ作業の繰り返しなのでつまらないと思うことも多い。もちろん会社の大事な仕事の一部分だと思うし、数字やデータの正確性には責任をもたなければならないので間違えてはいけない。もっともっと社会のことや業界のことに目を向けて取り組んだら面白さも発見されるとは思うけど・・・。まあ経理が退屈だとか無味乾燥な部分が含まれるのは仕方ないことかなと思う。
 お姐さんはこれから台湾の南に位置する「高雄」に遊びにいくそうだ。住まいは南KANらしいのだけどそのすぐ側の桃園というところで降りて一度家にもどると言っていた。もし彼女がこれから高雄に遊びにいく予定がないのならば、私を彼女のお家に泊めてあげられるのにといってくれた。親切に優しい言葉をありがとうお姐さん!連絡先を交換しておいたのでまた中国か台湾かどこかで会いましょう〜!

■南KANバス停

 お姐さんも降りてしまった。南KANは確か次の次の駅くらいなのだけど降りる人がいなければ泊まらないのでよくわからない。何個か目のバス停が来たのでもしかしてすぎたかもと思って運転手さんにきいてみたら「過了(すぎたよ)」といわれてしまった。急いで降りる。ちょうどそのバス停で降りたおばちゃんが「南KANはすぎたよ。さっきの一つ前のが南KANなんだよ。少し歩いてもどったらいいよ、どこにいくの?」ときいてきた。泊まるところを探していると告げたら、「向こうの方の赤いネオンが見える?あの辺りにホテルはあるよ。歩いたら15分から20分くらいかかるかもしれないけど」と教えてくれた。このおばちゃんもたまたま私と運転手の会話が聞こえただけなのに親切に教えてくれるなんて優しいわ。ありがとうおばちゃん。おばちゃんは道路を渡り綺麗なマンションの方へと消えていった。おばちゃんそこに住んでいるのかしら・・・?と思いながら赤いネオンへ向かって歩く。

←これがバス停から見えた赤いネオン
「桂林汽車旅館」のネオン

■宿探し

 私は南KANの街というのはもっともっと辺鄙な何もないところなのかと思っていた。持ってきたガイドブックの地図には桃園は載っていても南KANというのは載っていない。多分桃園と隣接しているのだろう。どこからが桃園でどこからが南KANなのかいまいちわからなかったが赤いネオンのところまで歩いてやってきた。赤いネオンというのはモーテルの看板だった。モーテルを中国語で書くと「汽車旅館」「汽車」は中国語では自動車なので自動車の旅館ってことでモーテル。その辺りはモーテルの看板以外にも色んな看板があり賑やかな場所だった。きっとこの中にホテルというものがあると思って探してみた。観光客らしき外国人さんの姿もみかけたしこんなに華やかなんだ、絶対宿泊の需要はあると思う。モーテルだけでなくてただの旅館だってあるはずよね。
 不安はあまり感じていなかったのだけどこの繁華街、歩いても歩いてもホテルはみつからない。直感的にこういう道筋にはホテルがあるかなーってところを回って見るのだけれど皆無。アクセサリーの屋台を出しているおばちゃんにこの辺りにホテルはないかときいてみたら「みかけない」といわれた。「どこの人?」ときかれたので「日本人」というと、「自助遊(フリープラン)か?」と。そうだと答えると「あれまぁ、日本から来た女の子がまあどうしてこんなに肝っ玉が大きいのかしらぁ」と本当に驚いているような驚き様だった。結局おばちゃんは知らないようなので「警察にきいてみて」といわれた。警察かぁ、交差点によく立っているんだけど見る限りは見つからなかった。仕方ないもう少し歩こう。
 もう夜なので辺りは暗い。アクセサリー売りのおばちゃんがびっくりするのも仕方ないかもね。この街には本当にホテルってないのかもしれない。だとしたらおばちゃんは日が暮れてから外国人がホテル探して一人でさまよっていたら驚くのも仕方がない。モーテルのある辺りをうろうろしてみるとホテルをみつけた。「桂林商務飯店」ここは実は台湾に来る前にネットで調べていた時にみたビジネスホテルだ。その情報をみて私は最終日は南KANで宿泊することに決めたのだった。そう、南KANにもちゃんとビジネスホテルがあるんだから大丈夫だって思ったのだ。しかしビジネスホテルと呼ぶにふさわしいのか、豪華できらびやかなつくりになっている。かなり高そうだ。周りにホテルが一つも見つからないんだもん一応入って部屋の料金だけ聞いてみよう。もしかしてどこもなかったらここに泊まるしかないんだから。フロントの女性に「一番安い部屋はいくらですか?」ときく。「2300元です」ガーン思ったよりさらに高い。今までのホテル代は一度だけ700元だったのを除き全て500元だったのに、いきなり今日一晩で2300元ですかぁ。「あのう、もう少し安くしてもらえることはできないでしょうか、私は一人だし、それに学生で・・・あまりお金がないんです、明日は飛行機が早いから滞在時間も短いし・・・」と言ってみた。学生という嘘をつくのは心苦しかったが学生といって安くしてもらえる部分というものは学生でなくても安くすることができる範囲であったりする。私の身なりと顔とみて誰もバリバリキャリアウーマンだとは思わないだろう。もちろん不衛生ではないけれど学生のお気楽旅行といった感じだろうか。お姐さんも私の言ったことは信じているようだったけれど部屋代を安くすることはできないみたいだった、かわりに「向かいの桂林汽車旅館をあたってみたら?うちの系列だしここよりは安くて1780元だから。でも貴女は学生で滞在時間が短いからって言ってね、じゃないとモーテルは普通、貴女のような一人旅行の女性は泊めないから」といった。私は「謝謝」といって向かいのモーテルに向かう。モーテルには入り口にフロントがある。かわいいお姉ちゃんがいてでてきた。さっきのビジネスホテルのフロントから電話をいれてくれたみたいで事情はわかってもらえていた。ただここも宿泊代のディスカウントはできないという。朝7時の朝食が1780元にはついているのだけれど私は6時には出発しなければならないので食べられないからその分を安くしてもらえないか?とか、朝6時にはチェックアウトするから少し負けてくれないかと色々言ってみたのだけれど駄目だった。お姐さんはこの通りの突き当たりにもう一軒モーテルがあって値段はわからないけれどもしかしたら安いかもしれないので行って考えて見るのもいいかもしれないと教えてくれた。どこらへんですか?ときいたのに対してわざわざフロントからでてきて指をさして教えてくれたのでまた彼女達のサービスの高さに驚かされた。私がこのモーテルに泊まらないかもしれないのに面倒がらずに答えてくれるのだから。

↑この「麗晶汽車旅館」がすすめられた
突き当たりのモーテル
↑周りにお店は沢山有る

 歩いて突き当たりのモーテルに行ってみる。距離はすごく近い。そして近いから当たり前なのかもしれないけれどまったく同じ料金だった。ただこのモーテルにはモーテルではない「商務房」というのがあって「商務」というのはビジネス、「房」が「房間(部屋)」なので訳すとへんになるがビジネスで宿泊する人用のお部屋ということだ。その「商務房」の中をみていないのでわからないけれどそちらは確か1580元で少し安いそうだ。でもその部屋はもう満室らしい。だから結局はさっきと同じ1780元しかない。しつこいけれど私はもう一度明日は早朝の飛行機で6時にはチェックアウトするし、朝食の時間には間に合わないので云々と繰り返したが結果は同じだった。私はもう疲れ果てていた。親切にしてくれた桂林汽車旅館のお姐さんに申し訳ないなぁとおもいながらももう一歩も歩きたくないほど疲れていたのでこのモーテルに泊まることにした。1780元の宿泊費はとても高いものだったけれどまあ仕方がない。大いに教訓になった。台湾では安宿というのは台北他、観光地でホテルの多い場所にはあるけれど他の場所では期待してはいけないと。頭の中で計算してみる。台北で泊まったらどうだっただろうか。もし台北で最初の台北ホステルのシングルルームに泊まるとする。宿泊費は500元、でも空港まで遠い。たぶん5時すぎのバスに乗るか、それに乗り遅れたらタクシーだ。タクシーは空港まで1100〜1200元とガイドブックに書いてある。最高でも全部で1700元だ。それに比べて南KANは宿泊代1780元にタクシーがネットで調べた情報によると350元(実際はもっとかかったが)、あわせて2130元。うーんあんまり安くないね。ただ朝は台北に泊まるよりはゆっくりできるということと、そこに泊まることによってまた一つ多くの街を知ることができるという点において優位ではあるが。まあいい、今日で旅も最後なのだから最後の宿代が高くたっていいではないか。

■車がないのに?

 車なしで泊まった生まれてはじめてのモーテルは豪華だった。私にしては予想外の出費だったけれど受付にいる服務員さん達はやさしく丁寧だしこういう経験もいいだろう。台湾でお金がなくてモーテルに泊まったよ!なんてことはあんまり聞く話じゃないしね。

↑ここが入り口というかな。シャッターがあって車庫
がある。奥の階段から部屋に入る。
↑シャッターの開閉ボタン
↑ここからスリッパが用意されている。
なんとも至れり尽くせり。
↑階段の踊り場より部屋を望む
↑豪華なダブルベッド ↑ドレッサーとテレビ
↑左から出入口、キャビネット部、バスルーム ↑キャビネット部拡大
お湯ポットと冷蔵庫(冷えたミネラルウォーター2本入)
↑このバスルームがとっても広い!
奥はゆるいけどジェットがでるバス
↑バスルームの中に別室のシャワールームまである
シャワーは数箇所から出るようになっているのだが、
全部だすと水量が少なくなるのが残念。

■最後の晩餐をもとめて

 宿に荷物も置き、一通り宿の施設をチェック!今までの宿ではなかった部屋についている「お菓子」というものを発見したので早速ご賞味!お茶もジャスミンティーとウーロン茶と2種類用意されている。日本のお菓子満足したところでこれから最後の晩餐を求めて外にでることにした。このモーテルは外出するときに鍵を預ける。そして帰って来たら顔をみたけで鍵をだしてくれるというサービス満点の宿だ。フロントには露出は少ないけどカーレース場ではたらく女性のような制服の女の子と、男性がいた。どちらもとても親切。私が日本人だと知っているので「道はわかりますか?」とか気にかけてくれる。明日の朝早いのでタクシーを呼んでもらうように前もって行っておいた方がいいかと思って言ってみると明日の朝いってくれたら大丈夫だと。モーニングコールはいりますか?ときかれた。部屋のベッド横に電話があるのだけれどそれが部屋の電気をスイッチもかねているつくりになっている。フロントへの電話の仕方の紙をくれて「これでモーニングコールの時間がきまったら電話してきてください」といわれた。

↑立頓(リプトン)のティーバック ↑けんこう、銘菓と日本語で書かれている。
↑これが銘菓。サクサクとして美味しい

 今回の台湾旅行で食べられていないものは沢山あるがその中のどれかを今夜の最後の晩餐に食べたい。そうだ小籠包!!と思ってぶらぶらしてみたけれど見つからない。麺のお店はいくつか見かけたのでそのうちに麺でもいいかなと思いはじめる。大きな牛肉が特徴の牛肉麺とタンタン麺は食べたけれど後の麺類は食べていない。ガイドブックによると台湾で有名なのは、極細の麺の台湾風そうめんというべき「麺線」、台南名物の台湾風汁そば「担仔麺」などでもいいかなという気がしてきた。今度は麺に的を絞って散策。思ったけれど台湾の街の特徴なのか、それとも私が外国人だからそう思うのか、街の看板をみて「あ、あれはレストランっぽい!」と思っていってみるとクリニックだった。とか眼鏡屋さんだったとかそういうことが何度もあった。外に出ている看板の形が私のなじみの多い日本の看板と違うのか?中国とも違うような気がする。そうだなぁ、例えるならば上海の南京路の看板に似ているかもしれない。レストランの看板がありそうな場所を目指していくのだけれど的外れのこともありなかなかお目当てのお店はみつからなかった。結構歩いたかなぁと思ったところで鶏肉を表で売っているお店の奥で麺類なども食べられるお店を発見。従業員さんも女性2人。鶏肉が美味しいみたいでテイクアウトで並んでいる人が数人。きっと美味しいものが食べられるだろう、中に入って鶏油麺線を頼んだ。
 出てきた鶏油麺線は思ったより小さくて麺ばっかりだったけれど美味しかった。具というものは香菜(コリアンダー)とちょこっとかけてある茶色い天かすみたいなもの。それはなんだったのか今でもわからないけれどまあ適度にあっさりしていたので日本人の口にもあうと思う。
 お店をでて随分歩いたからこれからモーテルまで遠いかもなぁなんて思って歩き出すと実はモーテルのすぐ近くだったことを発見する。私はぐるーっと回ってきて結局は近所のお店で食事をしていたということだったのだ。自分の方向感覚が狂いまくっていることにショック。これも目を惑わす看板のせいだわきっと。

↑鶏の絵がインパクト大な「好吃鶏油飯 ↑店内の様子、表ではお持ち帰りの販売もしている
↑鶏油麺線 殆んどが麺だけど美味しかったよ

 さっき鶏専門店だったのに鶏肉を食べなかったので鶏のから揚げを屋台で買ってかえることにした。鶏排を一つ。その場であげてくれる。鶏排はかなり大きいので揚げおわるまで時間がかかる。ぼーっと突っ立って待っていた。あげあがった鶏肉に胡椒などのスパイスをかけてくれて袋に入れてくれる。う〜んいいにおいだ。早くあの豪華なモーテルに帰って食べよう!

↑鶏排を買った屋台 ↑鶏排すごく大きい

 明朝は早いので朝食べるパンをコンビニで買う。レジで支払いの時私の前の少年がアルバイトを募集しているのか?とレジの女の子にきいていた。レジの女の子達も十分に若いのだけどその少年が制服をきているのをみて「あなた18歳以上なの?」と聞き返していた。少年は「18以上だってば、身分証をみせようか?」とわらって答えていた。なんだか和やかな会話、日本風だなと思った。天津でも大方便利というコンビニがあるんだけどそこで働く人のイメージと日本のコンビニで働く人のイメージって結構違うんだよね。それに比べて台湾のコンビニで働く人というのは日本のコンビニで働くような若者のイメージがある。下手な説明だけれど台湾には日本に近いと思うシチュエーションが沢山ある。もしかして韓国にいっても同じようなことを思うのかな?
 豪華な部屋に到着。めちゃめちゃ近距離での食事と買物だった。南KANはもっと何もないところだと思っていたのでこんなに近くにお店があるとは思わなかったよ。豪華な部屋で鶏のから揚げを食べる。台湾風のモーテルの過ごし方?明日は早いのでこのモーテルを長時間満喫できないのが残念だが今日は早く寝ましょう、明日は6時半くらいには空港に着きたいので6時にここを出発するとして5時にモーニングコールをしてもらうことにしよう。モーニングコール・・・ふと中国語でなんというんだっけ?と思った。辞書はもってきていないし、ガイドブックに載っている中国語単語帳にもなかった。うーん、まあ適当にいったらわかってくれるかなぁ。頭の中で電話のシュミレーションをしてみる「あ、もしもし明日は朝5時に電話してください」って感じかな。受話器をとる「もしもし、明日5時半に・・・」といったとたん、「5時半ですね、わかりました」と終わってしまった。正直ここまで私という客の状況を把握してくれているとは思わなかったよ。すごいなぁと思った。感動的モーテルだった。

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