■旅行を終えて

 今回の旅行は今までの中国旅行の中で一番となるような素敵な景色をみれた反面すごく疲れた。体力的には片道10時間の移動、10月初旬の山中の涼しい天候、そして中国人の友人李とずっと一緒にいたのが疲れた。中国の男性は女性に対してとてもやさしく、荷物をもってくれ、ドアをあけてくれる、女性に道路の外側を歩かせない、でかけたら家まで送ってくれる、などのことを徹底して習慣としている。今回の旅行でも李が色々世話してくれ助かった。たとえば食事のとき、10人くらいで一つのテーブルを囲んで中華料理を食べるが、テーブルが回るようになっていたら自分の食べたい料理が遠くにあっても自分でまわしてとることができるが今回食事をしたところはまわるようになっていなかった。そんなとき日本人の奥ゆかしい(と自分で思っている)私が、「わたしこれ食べたいの!」と手を伸ばして自分の食べたいものを手に入れることをやりづらい。テーブルはかなり大きく、料理の味はともかく量は多く一つ一つが大きなお皿に盛られてお皿はどんどん増えていく。そのなかから自分の食べたい料理を長いお箸でとるのは結構大変なのだ。遠慮していたら食べたいものは食べられないし、そういうとき李がとってくれたりするのでとても助かった。私は中国語は専門的内容でない会話なら話すのも聞くのも何の問題もないが、さすがに服務員にお茶をたのんで忘れられて何度も催促をしなければならないとき、中国人のように大声で「おい、お茶もってきてよ!」と叫ぶ気にはならない。日本の、主張をしなくても話しかけたら無視されることのない文化の中で育ったので、私が話しかけて無視されたらならば更に何度も繰り返して要求する気力は起こらないのである。だから、李が気がついて私のかわりにお茶を頼んでくれてうれしかった。李は私と違って大きな声を出すのがお得意の様子だったし。それも男性が女性にしてあげるべきことの一つに入っているみたいだった。

 写真撮影でも非常に助かった。ごみのようにいる観光客のなか写真スポットで写真をとるのは至難の技だ。待っていたら人がきをきかせて写真に入らないようにのけていてくれるなんてことは皆無に近い。ここは撮れそうなときにさっと入って、誰も勝手に入らないように見張り、入ってきたら即「のけてください」といってどけてもらってやっと一枚の写真が撮れるのだ。比較的奥ゆかしい性格を備えている日本人には難しいと思う。私も李がいなかったら写真はもっと少なくなっていたと思う。

 またガイドの説明がわからなかったときに李にきくことができた。李の場合興味がなくて聞いていなかったり、聞いていても答えられないことが結構あったけど、基本的に聞き逃しても大丈夫だという安心感をもてる。例え道に迷ったとしても中国人がいれば大事はないだろうし、地方の方言しか話せない人と話さなければならなくなっても、外国人はおてあげだけど中国人同士ならなんとかなったりする(方言の種類にもよるが)。

それに買い物で騙されることが少なくなる。観光地だというのもあるし、もともと中国ではその地の人じゃなひとを騙そうとする。外から来た人といえば中国人でも他の都市から来た人は含まれるのだけど、外国人となったらその騙される額が違う。私がもし中国人の友人とではなくて日本人の友人ときていたら、日本語で会話しているところを聞かれて中国人じゃないと判断されカモにされる可能性が大になる。それに私も四川の田舎のとうもろこしがいくらだとか相場がわからなくて言い値で買って損するかもしれない。

 逆に私が一緒にいて疲れたと思ったことは、やはり考え方の違いだろうか。私が普段中国の人と接していて思うのは、その人の教育程度などの文化的レベルによって、考え方、人との接し方、さらには使う単語すらも全く違ってくる。たとえば大学生の使う単語と工事現場の人の言葉はあまりに違い、同じことを言うにしてもそれぞれに違う単語で説明しなければならない。考え方、人との接し方もしかり。李は中国の湖南省の田舎の生まれで軍隊に入り重慶に派遣され、その後人脈で他の仕事をしたりして今の仕事にたどりついた。軍隊で厳しい訓練を受け、自分を誇る気持ちを持ち、さらには軍人さんの待遇で自分は特別という気持ちを持ち、市政府でコネを利用していい生活をする、そんな生活で彼の思想はとても一般的ではなかった。私は九塞溝や黄龍の景色をみて本当に感動した。確かに疲れたけれど歩き回ったり山に登ったりするに値するほどのものだった。他のツアー参加者も大部分が「このツアーは問題が沢山あるけれど、九塞溝はやっぱり綺麗だったな」という意見だった。しかし李は「九塞溝は面白くない、俺は重慶でとってもいい生活をしているのだ、こんなのは人のおくる生活ではない。」というのだ。「バスに1日中乗って疲れて、九塞溝も黄龍も面白くなくて、お金もなくなって、つまらなかったよ。」「山なんて俺の田舎に山ほどあるし、唯一よかったのは、西遊記のロケに使用した「珍珠灘」くらいかな。」こんな意見の人と一緒にいるのは疲れた。確かにバスは疲れた、料理も美味しくなかった、旅行社の按排も行きとどいていなかった。しかし、あんな綺麗な場所が面白くないなんて。まあ人それぞれ感じ方が違うから、そんな彼の意見を尊重することにして、それにしても一緒にきた友人と旅行の感動を一緒に味わえないのは一人旅よりも空しいものなのではないだろうか。中国では旅行はまだ裕福な人のもので、皆が旅行を心から楽しめる程ではないというのは理解している。旅行などはまず自分の衣食住など基本的な環境が整って初めて楽しめるものなのだ。それは充分わかっている。ただ李は給料は普通の人より少ないけれど会社が与えた私用にも使える車があるし、市政府のお偉いさんと毎日食事にいっておごってもらえるので食べるものに困ることはない。彼の友人の女性もお金持ちで彼に服を買い与えたり、現金を上げたりしている。彼自身はお金持ちはではないけれど、「上」の生活を彼は身近にしているのである。だから私は綺麗な景色を楽しむことはできると思っていた。忙しい仕事の間に旅行にいくことを楽しめると思っていた。それがやっぱりそれだけの精神世界がないということがわかって空しかったのだ。別に一人で旅行に来たと思って一人で楽しんでいたらいいのだけど隣で面白くないとか、俺は重慶ではこうこうだ、などと連発されると、この人とは理解しあえないなぁと思うのであった。

 そんなこんなで私の旅行の感想は複雑なものだった。最後に総括して一言でいうならば九塞溝、黄龍は最高に綺麗なところで、私の中国旅行のNO.1に輝いている。バスに10時間乗らなくても成都、重慶からも飛行機でいけるようになったし、日本にいる方にも自信をもってお薦めすることのできるところだということ。中国人との交流に関しては、さらに様々な面から中国が理解できた収穫の多かった旅行だった。

6日目 「天津へ戻る」へ




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