つぶやき日記

2005年  1月前半号

1月1日(土)

新年快楽!明けましておめでとうございます!今年は当サイトの運営をはじめて2回目に迎えるお正月です。今年も更に深い中国ライフをお届けしたいと思いますので、皆様よろしくお願いします!さて本日は実家でおせちとお雑煮と鍋物を食しました。久しぶりに食べる日本食、かつお正月特別の料理に感動しまくりです。食べるもの全てがおいしかったです。

1月2日(日)

本日は買い物にでかけた。1年に2度しか日本で買い物をするチャンスがないのでいろいろと買いたいものがあるのだけれど、なかなか欲しいものは購入できなかった。某靴のお店へいったらナイキなどのスニーカーがお正月で多少安く売られていた。手にとって見るとやけにつくりが雑だった。ボンドみたいなのがはみ出していたり、縫い目が粗かったり、本当にこれは某メーカーのスニーカー?と疑ってしまうような。もしかして日本にも偽物が流通するようになってしまった?とまで思ってしまったよ。結局買わずに帰ってきた。日本に帰ったら質のいいものを購入できるという感覚になってしまっているけれど、これからはそれも自分で注意して選ばないと質のいいものは得られないのかなと思った。

1月3日(月)

ペーパードライバーにならないために、実家に帰ったときは親の車を借りて運転する。助手席に親に乗ってもらってナビゲートしてもらってやっと安心して走行できるくらいなのだけど、今日は初めて立体駐車場へ入った。比較的ゆとりをもってつくられた坂だったので、ぶつかることもなく上まであがったのだけど問題は駐車券だった。幅を駐車券を取れるくらいまでよせられず、窓を全開にしても無理なのでやむを得ずドアをあけて降車して駐車券を取った。後ろに車もきているしあせった。こんな様子じゃ買い物も限られた場所にしかいけなさそうだよ。

1月4日(火)

昨日の運転は散々だったけれど実は今日はじめての免許の更新へ行ってきた。もう免許を取得して3年もたっていたのだ。今までに数えるほどしか運転していないし、しかも周りの人に注意をしてもらえるように毎度初心者マークをつけて走行しているくらいだから相当運転に自信がないのがわかってもらえるだろう。でも中国行く前に急いで取得した運転免許書を失効したくないし(海外にいることはやむをえない事情をみなされるので後れて更新することもできるようだけれど)日本に帰っている間にちょうど更新ができてよかった。次の更新は平成20年のはじめらしい。そのとき私はどこにいるのだろう。3年後何をやっているのだろう。

1月5日(水)

今日は日本から天津へ帰る日。31日に高速道路が一部通行止めで空港まで車でいけなかったので、出かける前に高速道路?に電話して確かめた。今日は大丈夫みたいだ。高速は今日から仕事始めの人が多いからなのかすいていた。途中山間は雪がぱらついていたりしてたし雪のため徐行になっていたけれど、問題なく空港までついた。チェックインをすませ、ここまで送ってくれた両親とともにおそばを食べていざ出発。関空はセキュリティーチェックのところで見送りの人とお別れになる。今日は外人の送られる人と日本人の送る人の涙のお別れのシーンもなく、そしてこういうお別れも何度目にもなって、特に悲しい感情もなく事務的に親とお別れしたのだけど、その後セキュリティーチェックを終えて下の階にいって出国ゲートも越えると、上階から親が手を振って私の行く方向へ少しでも長い間私を見届けられるように歩いてきていたので、ちょっと悲しくなった。わざわざ車で送ってくれて、お別れしてからもずっと見てくれているなんて、その愛に私はちゃんと応えられているのかなぁって。ちょっとおセンチ?になる瞬間だった。
 それから飛行機は無事離陸後、無事北京空港に着陸したのだけど、北京では少し雪が降っていた。もしかして天津までの高速道路は通行止めになっているかもしれない。天津にいる友達にメールしてみたらやっぱり雪がかなり降っているらしい。空港の駐車場から発着している天津行きバスのところできいたら高速は通行できるとのこと。あと15分ほどした5時15分に出発するからということで、高速が通れないことも考えて電車でいくことも考えたけれど重たい荷物をもって移動するのも嫌だし、バスの人の言葉を信じてバスに乗ることに。5時15分に時間通り出発し、いつもより時間がかかり1時間でやっと高速の入り口までついた。すると高速は通行止めになっていた。運転手は色んなところに電話して乗客にも相談して、一般道で帰ることにした。一般道もいくつかあって、道路によっては渋滞してかなり時間がかかる恐れがある。雪のためスピードも出せないし3時間はかかるといわれた。10時に帰れたらいいほうだよって。そんなぁと思いながらも、回りをみると今日帰れるだけ幸せかもという気になった。大きなバスだったのだけど暖房が壊れて窓に氷がつき始めた。窓側に座っている私は寒くて凍えそうだった。疲れているけれど全然眠れなかったよ。お腹もすいているし、食べ物も買わなかったのでただひたすらバスで考え事をしたりして待つしかなかった。連れもいないし、知らない隣の中国の人と会話する気もおこらなかったし、バスの中に日本人の人もいたけれど席が離れていたしそこまでいってわざわざ話す気も起こらなかった。ただ早くついてくれーと願っていた。
 結局私達の進んだ道路は少しも渋滞しなかったので6時間弱で天津についた。渋滞してしまった道路をとおったバスはまだ帰ってきていないらしい。私は運がよかったほうだろう。天津市内は雪もとけていたし、タクシーもすぐつかまり無事家に帰宅。11時過ぎていた。本来ならば北京空港からは2時間15分でつく。そこから家にタクシーで帰っても8時には帰宅できる予定だったのに、とんでもなく時間がかかった。あの寒い窓際に6時間弱も座っていたなんて今考えても少し驚いてしまう。ああ、疲れたよー。今回の帰国は行きも帰りも雪に見まわれ高速が使えない帰宅だった。冬の移動は大変だなぁ。

1月6日(木)

今日から出勤だ。日本にいるときは美味しい日本料理を食べて(お母さんありがとう!)天津でまたあまり美味しくない食堂の料理を食べることなんて考えられなかったけれど、帰ってきたらお腹はすくものでいつもどおり沢山食べている自分がいてちょっと悲しかった。この食欲と食べる量は、昨晩日本から帰ってきたばかりの人じゃないよ。せっかくちょっとスリムになれるかななんて思ったんだけど考えが甘かったみたいだ。

1月7日(金)

会社に行って日本に帰国したときの話をしてみたり、お土産を交換したり、しばらくあっていなかった同僚とも話す話も沢山あり、まだ完璧に現実に引き戻された感じはない。あと数日したらお正月気分も抜けてまた毎日のルーティンワークに悶々としてしまうのかもしれない。仕事とはそういうものなのかな?と思ってみるけれど他の仕事もやったことがないからわからないなぁ。

1月8日(土)

1週間強のお正月休みの振替で土曜日の今日は出勤だ。普通中国の会社はお正月のお 休みは1日だけだったり3日だけだったりだけど、私の勤めている日系企業はお正月に お休みがもらえて日本に帰ることができる。日系企業でも中国の暦にそってお正月は 長期のお休みを設けないところも多く、お正月を普通の日としてすごす日本の人も多 い。彼らは普通旧正月(今年は2月9日)のお休みを利用して日本に帰国する。私の旧 正月は大体いつも中国で旅行に行ったり或いは天津でのんびりと過ごしたりしてい る。日本に帰っても平日で誰も遊んでもらえないだろうから日本には帰らないし。今年はどうしようかな。

1月9日(日)

今日は瓶に入った調味料を日本に送るように頼まれたので郵便局へいったのだけど、 割れ物であるということと液体というので送れなかった。液体は飛行機に載せることができないらしく、船便でしか送れないそう。船便だと日本まで2ヶ月〜3ヶ月はかかる。そし て割れ物は万一瓶が壊れたときのために、水を吸収する布類を中にいれ、木箱で梱包して持ってこなければならないらしい。その木箱は郵便局には置いていなくて自分で既製品を探すか、自分でつくらなければならないらしい。どこで手に入るのかと郵便局の人にきいても自分で探してくれといわれたし、作り方なんてもっとわからないよ。木材をどこで手に入れるんだ?のこぎりと金槌と釘をかってきてアパートの部屋で日曜大工?そしてそうやって送ることができても2〜3ヶ月もまたなけ ればならないそうだ。気の遠くなる作業にちょっとめまいがしたよ。何でも便利な日 本から帰ってきた私にはいきなり課せられた難問のようだった。

1月10日(月)

「高不成,低不就」という言葉を教えてもらった。結婚相手とか、仕事とかに対し て、望んでいるもの(高)は得られず、得られるもの(低)は気に入らなくて、心が きまらない状態のことを言うらしい。30歳くらいの日本のモデル出身タレントKについてそう思うと中国人の同僚はいっていたんだけど、そのうち自分も同じこと言われ るようになりそうで怖い。

1月11日(火)

英語と日本語が上手い秘書の中国人の人とお話をしていたら、最近になって、前回受けた日本語検定の1級の点数がわかったといっていた。発表はとっくの昔だったのだけど、その頃ちょうど日本から天津へ戻るころで受験票を日本に残したまま帰ってきて合否がわからなかったそうだ。今回日本の友達が受験番号を調べておしえてくれらしくそれで問い合わせして合格がわかったらしい。彼女曰く受けたときから絶対受かっているという自信があって、その通り受かっていたということ。でも良く考えたら半年前くらいに秘書として入社してきたときにすでに1級を持っていると誰かにきいた。それはどういうこと?ときいたら、私は受かっていると自信があったからそういうふうに書いたといった。私はびっくりしてはっきり合格がわかっていなかったのに1級合格って書いたの?っていったら、面接のとき合格証書を見せるようには誰にも言われなかったし、実際結構いい点数で受かっていたといった。それにしても自信だけで1級ってかけるなんて、私はびっくりしてしまったよ。受かっていなかったら詐欺行為にあたるんじゃないのか?自分で受かっていることに自信があってもその語学の能力というのは第三者にその能力を有していることを判断してもらうのが検定なんじゃないのかなって。まあ中国では学歴をごまかしたり、証書まで偽造するくらいだから、こんなの可愛い程度かなっていえるのかもしれないけれど、日本で過ごしたこともある日本通の彼女だからこそ、なおさらびっくりしちゃった。

1月12日(水)

冬なので日が沈むのが早くて、会社を出る頃はまだ明るいけれど最寄のバス停につく頃にはもう暗くなっている。それから帰り道の道端で野菜とか果物を買って帰るのだけど、真っ暗で痛んでいる野菜とか果物をわざと売りつけられたりする。夏は自分の目でみて選んで買うけれど今は暗くて全然見えない。りんごを買ったら家に帰ってみたら腐りかけててびっくりした。会社の中国人の同僚にいったらみんなそうだといっていた。暗くて見えないから仕方ないとかって。じゃ、冬はずっとそんな野菜を買わなければならないのか。

1月13日(木)

今日はあと4日後に帰国してしまう韓国人のお友達と遊んだ。その韓国人はバーで知り合ったお友達だけど、天津には短期出張で2ヶ月ほど滞在していたそうだ。中国語はできなくて英語だけだったけれど、綺麗な英語でなかなか楽しくお話できる人だった。今日は彼らは明日がお休みだということで今日会うことになったんだけど、電話を待っていてもなかなかこない。てっきり一緒にご飯を食べるのだと思っていたので7時くらいには電話があると思っていたのだけど結局8時半くらいに電話があって、いま上司をご飯をたべているから後30分くらいかかる、それからでいい?といわれた。断るほど時間も遅くないしOKして待っていたら30分後の9時に電話があってでかけることになった。COZYCAFEというバーにいっておしゃべりしたり、踊ったりしたんだけど、オール英語のシチュエーションに、時間も遅くなって明日仕事がしんどいなぁというのとで、段々と疲れてきた。彼らと話をするのは楽しかったし、もうすぐ帰国してしまうから本当なら一緒に遅くまで楽しみたいんだけど、夜更かししてしんどい思いをするのは嫌だ。23時くらいになってやっと、今日は何時に帰らなければならない?って聞いてくれたので今すぐにでもと応えたら、今日は最後だから帰らないでくれとかいわれた。それはもちろん冗談なんだけど、そのまま踊りに行ってしまったり、もう一人の人は永遠に私に話しかけてくるし全然帰れなかった。24時になってやばいと思って勇気を出して先に帰るといった。そしたらあと一曲だけといって伸ばされるし、自分が楽しみたいという都合だけでのびのびにしている彼らに腹がたってきた。結局帰るってときになって、彼らは残ってまだ遊ぶので私に帰って欲しくないといわれるし、私の都合も考えて!って思った。最初はとてもいいひとたちって思ったけれど一気に嫌な人になってしまったよ。最初は一緒に帰るからって待っていたのに、結局彼らは残ることになったし、それなら最初から早く帰ればよかったと後悔もしたし、家に着いたら電話してといったのに電話したらでないし、ちょっとむかついた夜だった。

1月14日(金)

留学生の溜まり場、アリババレストラン&バーへいった。フィリピン人の友達に連れて行ってもらったのだけど、気象台路を横に一本はいって、そのまた小さい道へ入ったところにあるアリババという西洋料理レストランは、外国人で一杯だそう。私達がいったときもお客さんは西洋人ばかりだった。しかも話の内容からすると学生っぽい。ちょっと多国籍を思わせるようなインテリアに、城壁にはペンで沢山の落書きが残されているのだけど、日本語も結構あってびっくりした。○○大学の松○さんという人の結婚とか、私達とっても仲良しなのという女の子の名前とか、私は中国が大好きですとか、そこは初めていったのだけどなんか留学生のときの気分に戻ったようで懐かしかった。メニューも他のバーとか西洋レストランに比べてすごく安くなっているし、他のレストランと違ってオーナーが50代くらいのおじちゃんなのにかなりぺらぺら英語を話すし、ウェイトレスとウェイターも英語を理解するというところが、留学生がたまる理由なんだろうね。なんか留学生じゃない私もたまにはいってそんな気分に浸りたいなぁと思うようなところだ。

1月15日(土)

 今日は中国語が苦手な友達をつれて知り合いの中国の人が経営している美容院へいった。友達は金髪にカラーリングしたのだけど、黒髪から金色に変わるまでが時間が早くて驚いた。私が日本でカラーリングするときは色がでにくいという髪質の問題もあると思うけれどすごく時間がかかったものだ。その人は液を塗り終わっていないのにもう一部が黒髪から明るい茶色に変わっていた。ものすごく早く染まる液を使っているのだろうか。カラーリングの出来上がりは、知り合いだからいえなかったけれど、生え際に少し染まっていない髪があるし、全体をみて白っぽい金髪のところもあれば黄色い金髪のところもあって、正直あんまり綺麗じゃなかった。まあ本来ならば250元くらいするところを100元にしてくれたので知り合いであることの恩恵を十分うけているのだけどね。そこは顔のエステもあってエステシャンのおねえさんが待っている間に話しかけてきて、貴方の眉毛は薄いから刺青で書いたらどう?とすすめられた。一回書いたら一生きえないし、もしかして将来眉の形が気に入らなくなるかもしれないしやりたくないといったら、眉の形は貴方の顔の形とかに合わせて書くから、一番貴方に似合ったもので気に入る気に入らないの問題じゃないといわれた。それに書いたらお手入れも楽だし、立体的で自然よといわれた。一番その人にあった形とそこまでいわれても、やっぱり気分で眉の太さや形を変えたりしたいし、いくら刺青技術が開発されても刺青が立体的で自然なことはないだろう。中国では眉とアイラインの刺青はめずらしいものでもないけれど、日本人の私としてはやっぱりできないな。

       

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