つぶやき日記

2004年  4月前半号

4月1日(木)

 愚人節(エイプリルフール)、去年のこの日に香港スターレスリー・チャンが自殺をした。今日でちょうど一年だ。当時は一番好きな香港スターがレスリー・チャンだったからすごくショックだった。レスリーがいなくなったら中国に滞在して意味がないとすら思って、なんともいえないむなしさを感じたものだった。でももう1年がたち人に言われるまで忘れていた。人の忘却能力というのもはすごいものだな。今でもレスリー・チャンは大好きで、彼がいなくなってしまったことを真剣に考え始めると胸が痛くなるけれど、思い出す回数が段々すくなったことは確かだ。彼の死が私の中ですでに受け入れられる現実になったのだろう。どこかで「死んでしまった人のことは早く忘れるに限る」みたいなことをいっていたけれど、本当にそう思う。人が生きていくには「死」のことばかり考えていてはいけないんだと思う。ないものを想うのって時に美しいなぁなんて思うけれど、実はとても悲しいことなんだよね。

4月2日(金)

 先日日本の会社でオンラインショッピングしたものを、会社に届けてもらうように指定してたのだけれど、帰ってきたら自宅に「郵便局までとりにきてください」という通知がきていた。送料も払っているのに、自分で交通費を出して時間をかけて郵便局にいくのは嫌だわと思って、お客様窓口にメールをだした。届け先を指定したように記憶しているのですが調べてください、滞在国の事情で指定届け先に送ってもらわないと不便ですと書いたら、早速返信がかえってきて、向こう側のミスで住所を間違えたしまったので直ちに指定した住所に送りなおしてくれるそうだ。もう郵便局に届いている荷物を無視してそれを受取人と連絡取れないという理由で日本まで送り返してもらって新たに日本から送ってもらったものを私の希望する住所で受け取るというもなんとも重複した無駄な行為で申し訳ないと思ったが、向こうのミスで私の望む場所に届けることができなかったんだし、その負担はやっぱり向こうの会社が負うべきよねー。たぶんサービスというものの存在しないところで暮らしているからだろう、サービスが得られるところでは最大限にそれを受けようと思ってしまうのは。日本のサービス精神というものには本当感服する。

4月3日(土)

 最近疲れていたので久しぶりによく寝た。そういえば4月。新しい年度の始まりとして4月が一番「始まり」という要素が強いように思う。1月は1年の始まりなんだけど中国にいるとお正月が1月1日じゃなくて旧暦のため、元旦は新年の雰囲気が極めて薄い。旧正月はもちろん濃厚な一年の年明けなんだけれど、我々日本人が毎年日付の変わる旧正月を起点にして新年を祝うのはまだまだ時間がかかりそうな感じだし、やっぱり4月だよなー。入社したのも4月からだし、天津に住み始めたのも4月。だから天津生活は2年が過ぎ、これから3年目に入るのだな。中国滞在は北京の1年間を加えると丸3年だ。3年という年月は言語学習の一つの節目で急激に語学が上手くなるときだっていうけれど、そんなのあったかな・・・。

4月4日(日)

 今日は日本人の皆で市場で鯛を買ってきて煮つけをつくった。日本から送ってもらったり、こっちのデパートで買ったりした調味料があるので満足する日本料理の味が作れた。

4月5日(月)

 会社の中国人同僚が、「昨日は家でお寿司を作ったんだ!美味しかった!」といってきた。巻き寿司を自分で巻いたらしい。私の周りの中国人は巻き寿司を作ったことがある人が結構多くて、お寿司といえば巻き寿司のことを思う人が殆んどだ。だからよく「家でよく寿司(巻き寿司のこと)作って食べるのか?」ときかれる。もちろん答えは「NO」。共働きの私の家庭では凝った料理はあんまり作られなかった。それでも働いて疲れて帰ってそれからご飯をつくってくれる母を尊敬しているけれどね。だって私なんて働いて帰ってきて自分で作って食べるものといえば、ご飯と岩のり、或いはご飯と味噌汁、或いははご飯に鰹節をかけて猫マンマ?だからね。心の余裕があるときはちゃんと料理もするんだけど、面倒なんだなぁ。

4月6日(火)

 今朝起きたら遅刻しそうな時間だったのであせった。急いで着替えて家を飛び出した。目覚ましを4つもセットしているのに起きれなかったなんて疲れていたのだろうか。

4月7日(水)

 2年ぶりにHSK(漢語水平考試)を受けようと思い問い合わせに北京の事務所に電話したら、相変わらずとてつもなく不親切な態度だった。「HSKのことについてききたいんですけれど」というと、「ん」という今まで寝ていたんじゃないかというような声が返ってくる。郵送にて試験の申し込みするときに何か特別な要求があるのですか?ときいたら、「郵便局でお金を送金するのは郵便局のことだから私達には関係ない。」とのお言葉。たしか2年前北京で留学生をしていたときにも一度電話して冷たい態度に悲しくなったものだけど、その態度全然変わっていない。中国語で話をするのが問題ない人はまだちょっと悲しくなるだけで一応用件はきくことができるけれど、まだ中国語があんまり流暢に話せない人や聞き取りに苦労してしまう人が電話したらききたいこともきけないのじゃないかと思った。中国語を勉強している外国人に対する態度にしてはきつすぎるぞ。

4月8日(木)

 昨日突然のように大家さんから来月の契約更新は更新しないと告げられた。このけしてあたらしくなく、しょっちゅう水漏れのする部屋がなんと50万元で売れるそうな。50万元といえば600万程度。8年ほど前に購入したときは40数万円だったのだから、明らかに100万円は値上がりしている。信じられない。築8年くらいで、東西向きで方角もよくないこんな部屋がそんなに価値があるのか。まあ私はどっちにしてもでていかなきゃならない。先月1年契約のADSLを始めたばかりなのに。ああ、また部屋探しだよ。中国での部屋探しはとっても面倒で嫌だ。

4月9日(金)

 本日は日本人のあつまりがあって某日本食レストランで100元のコースメニューだった。ムール貝とか和風ステーキとか食べれて皆は100元でいいの?なんていっていたけれど、私にとっては100元の食事ってすごく高いと思う。

4月10日(土)

 もうすぐ出て行かなきゃならない部屋なのに、下の階へ水漏れをしているので修理しなければならないらしく、今日は朝から大家さん(代理)と修理の人がやってきた。大家(代理)はあと一ヶ月でこの部屋はリフォームするからそのときに、大々的に水道管とかとりかえるのでそれまでこのままでと主張。下の階は水漏れのおかげで、天井にビニール袋をつりさげて傘をささなきゃならないんだ、今日問題を解決してくれなきゃ困るという。私が下の階だったらたまったもんじゃないなあとおもいながらも、出て行かされる部屋の修理につきあって家にいたら新しい部屋を探しにもいけない。できれば面倒なことは避けたいなぁと、、、思うです。

4月11日(日)

 昨日は結局お風呂場のどこから水がもれているのかわからないので、昨日一日水をつかわないで今日どこに水があるかでどこから漏れているか判断するという約束だった。大家さんが朝10時にきて水がもれていないからアパートの修理の人に電話してもうこなくてよいということで話をつけてくれた。なのに12時になった修理の人がきてもれているからといって湯船を剥ぎ取ってしまった。そして午後修理をするというのだ。用事があったけれどその湯船が剥ぎ取られてしまったらお風呂に入ることもできない。仕方なく用事に遅刻していくということで修理をしてもらった。お風呂を剥ぎ取ると中はレンガがコンクリートでくっつけてあるだけだった。水もたまっていてそれが下の階の天上からもれているらしい。どこかの管から水がもれているらしい。トイレも剥ぎ取って(って簡単に剥ぎ取れるその仕組みがよくわからないが)ドリルもつかって大掛かりな工事だった。2時間くらい工事してかなり汚くなって終わった。片付けは誰もあまりしない。終わったらさっさと帰っていった。これで直ったのかどうかしらないけれど、私が引っ越すまでの間は何も大きな問題がないことを願う。土日に家で修理につきそっているのなんて嫌だもん。

4月12日(月)

 今朝は天津駅の国際郵便局まで荷物をとりにいってきた。数日前に前出のオンラインショッピングのあて先間違いだったので再送してもらった分が今度は税関に引っかかったそうだ。税関に引っかかったらこの国際郵便局までとりにこなければならない。しかも昼休みの時間はやっていないし、土日もやっていないし、仕事をしている時間にしかとりにいくことができない。だから仕事におくれていくといって取りに行った。しかしEMSで送ったものは税関で引っかからない限りは送り先までとどけてくれる。それだからEMSの高い料金を払う価値があるのに、国際郵便局までとりにいくんじゃ、船便とまったく同じなんだよ。しかも再送だから前の同じ金額で同じ送状なわけだよ。それでひっかるなんて運がわるかったんだろう。なんでひっかかったのかきいてみたけれど、金額が高かったから課税のものがあるとおもったんだろうといわれた。金額は再送前とまったく同じですよ。

4月13日(火)

 「暇日100天」という新聞には個人で投稿している部屋の賃貸や売却などの情報欄があるので、そこに載っていた「部屋貸し出します」の人に勇気を出して電話してみた。親切な人で話し方から気質(中国っぽい表現だなぁ)の高い人だとわかった。まだまだ部屋は全然きまらないけれど、とりあえずはじめてかけた電話の対応がよくて安心した。ちょっとだけ気が楽になったよ。

4月14日(水)

 会社の中国人同僚に引っ越さなきゃならなくなったといったら、不動産やのチラシをもってきてくれたり、人に聞いてみてくれたりしてくれてちょっと感動した。皆忙しいので社交辞令で「聞いてみてあげるよ」といって音沙汰のない人が殆んどだけど、中には外国人が部屋を探すのは大変だと心配して色々してくれる人もいるのだ。天津の人はそういう親身になってくれる人が多いのでいい。

4月15日(木)

 1年ぶりくらいに天津の友人と会った。急に連絡がきてうちに遊びに来ることになった。会ったらいきなり「君の中国語は1年であんまり進歩していないね。やっぱり話すのが遅い」とかいわれた。現地で実際毎日中国語をつかっていて進歩していないことはないだろう・・・、と思ったけれどまあ所詮外人だからね。ネイティブのようにはなかなかなれないよ。「尖閣諸島について話しあおう」、とか一瞬言われたけれど話をそらしておいた。話あいたくないわけじゃないけれど、話し合って解決するわけではないし、結論に達するものではない。どちらかが譲歩して話し合いを終わらせるしかないんだし、ここではできれば「ふーん、そうなんだ」で終わらせられる話だけでよかった。かわりに社会主義と資本主義についての学校で教わった教育とか毛沢東思想について教えてもらって結構面白かった。

       

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