つぶやき日記

2005年  4月前半号

4月1日(金)誰も祝わないエイプリルフール

オランダ人とフランス人とアラビア圏の友達に今日はエイプリルフールだねっていったけれどまったく反応がなかった。唯一香港育ちのシンガポール人から、私をだまそうとするメールがきて一瞬ひっかかりそうになったけれど、後の人はエイプリルフールなんて祝わないよというような雰囲気だった。まあ、日本でもそうだったかな・・・。

4月2日(土)ニューフェイスと遊びに行く

今日は天津にきて間もない日本人の女性2人と夜でかけた。洋食レストラン兼踊れるバーなのだけど、テーブルについてオール日本語で会話を楽しんでいたら、となりのちょっと酔っている中国人が一人に話し掛けてきた。彼女は中国語がわからないので、「わからない」って軽く断っているのにかなりしつこく話し掛けてくる。私たちも人たちと話をする気もなかったので、私も中国語がわからない振りして「いいです」って何度も断った。一度はあきらめたと思ったけれど、また来た。今度は空いている私達の席に勝手に座ってきた。また「一緒に踊ろう」とか「どこから来たんだか?」とかをゆっくりの中国語と下手な英語で話し掛けるのだけど、私たちはわからない振りして断る。それを何度も繰り返して席に戻るかと思ったら、今度は彼の連れが椅子を持参して座ってきた。その人だって同じようなものだ、中国語しかしゃべれないし、彼が来たところで私達の間で話がはじまるわけじゃない。「座ってもよい」とか私たちは一言もいっていないのに、彼らは自分のジャックダニエルとポップコーンをもってきて、私達に総無視されるなかお酒を楽しんでいる。かなりのしつこさだった。結局帰ってくれたのでよかったけれど、天津にきたばかりの2人にいやな思いをさせてしまったかなぁと心配してしまった。日本人同士できていると、外人だというのがばれて中国人かあるいはアフリカ系の人にしつこく話し掛けられることがあるのでちょっと大変だ。

4月3日(日)靴の修理

お気に入りの靴(ヒールの余り高くないパンプス)のヒールが履きすぎで壊れたので修理に出した。履きすぎで底もはげていたし、靴の表面も少し汚れていて、布で綺麗にしたりしなきゃなと思ったのだけど、日本的感覚で修理にだしたらそういうのも一緒に手入れして返ってくるのかなぁと思って何もしなかった。伊勢丹1Fにある靴修理の場所に頼んだのだけど、直すように頼んでいたヒールは直っていたけれど元のヒールの高さとは違っていた。汚れていた表面は汚いままで、底も何もされていなかった。ただヒールが元とは違う高さに直してくれていただけだった。これが高級デパート伊勢丹での修理なの?!と思ってしまった。まあ修理の基準がそんなものなら仕方ないか。

4月4日(月)また風邪?

日中は29度になったらしい。朝出掛けは寒いし、温度差が大きくまた風邪ひいたみたいだ。こんな時期に風邪ひくなんて嫌だ。ずっと変だった喉はもっと痛くなっているし(涙)早く寝よう・・・。

4月5日(火)手抜き料理?

お手軽さの味をしめて、入れて煮るだけでOKの「李錦記」でスペアリブをまた作ってしまった。本当に楽チンだ。安くないお肉を買ったら煮込みすぎても硬くならないし。本当に便利でいいものだわ。

4月6日(水)融通のきかない大家

大家に来月で契約切れるけれどどうする?一年単位で契約してくれなきゃ他の人に貸すよといわれてしまった。仕事があと一年あるかわからないから半年にして欲しいといったら、半年なら面倒だからあなたに貸さないといわれてしまった。この大家さん融通がきかなくて嫌になる。私も1年以内に何もないとはいえないし、契約期間はそれほど長くないほうがうれしい。3ヶ月契約のところは少ないから、大体半年で契約したいのに、この大家さんは無理そうなので、今の部屋は気に入っているけれど他に移ろうかと考え中。週末にでも不動産へいってみよう。

4月7日(木)甘いマンゴに遭遇!

最近いつも帰りに果物を買ってかえっている。よく買うのは苺、バナナなのだけれど、今日買いに行ったらお客さんのおばちゃんが、この痛みかけたマンゴが美味しいよとすすめてくれた。痛みかけているから見た目が悪いけれど熟していてすごく甘いそう。1斤(500g)4元だというので、1斤買って食べてみた。中国には甘いマンゴはないのかと思っていたけれど、バリで食べたマンゴを思い出すくらい甘くて美味しかった。幸せ。

4月8日(金)引越し前の憂鬱

引越しをする可能性が高いのでそろそろ部屋にあるいらないものを減らしていく準備をしていかなければならない。日本から送ってもらったインスタント食品とか、雑誌類など使うものを使って捨てよう。ああ、引越しって面倒くさい。準備も、荷解きもそうだし、その後の電話回線やネット回線の移設や、大家さんとの契約を交わしたり、お金を払ったり・・・。それより先に新居を探さなきゃならないしな・・・。

4月9日(土)旅行中のアメリカ人

外人の溜まり場Aで日本人同士で飲んでいたら、となりの席のアメリカ人が話しかけてきた。なんでも3ヶ月山東省のビンジョウという都市(私もきいたことがない、天津から四時間くらいらしい)で子供に英語を教えて、その仕事が終わったのでアメリカに帰るまえに天津と北京を旅行しているというそうだ。中国語は全くできない。天津に知り合いがいるみたいでもないみたいで、一人でここまでやってきて、そして天津についたその日のうちに、そのAという場所をきいて足を運んできて、そこで中国人と韓国人の友達をつくりはたまた、私達日本人ともお話して、すごい行動力だわ〜とおもった。なにより、一目見ただけで外国人とわかる外見で、外国人などいないだろうビンジョウという小さな街で暮らしていたというそのことも敬服したよ。

4月10日(日)HSKとTOEICの教材購入!

天津図書大廈へいってHSK高級とTOEICの問題集を買ってきた。TOEICは2002年にはじめて中国で開催されるようになって歴史が浅いため、問題集も教材も少なかった。そのなかで日本の教材を翻訳したカセット付教材を一冊(45元)、HSKは問題集を2冊かってきた。HSKの問題集はTOEICや他の英語の教材と比べて、薄いし、カセットもついていないのにやたら高い。きっと外国人しか買わないから、値段が高くても売上に影響しないとでも思ったのだろう。外国人から多くお金をとろうという考えがそこにも存在しているように思えてならない。

4月11日(月)HSK申込み!

会社を午後抜けて、南開大学までHSKの申込みに行ってきた。人が多いかなと心配していたけれどそれほどいなかった。申込みに来ていた外国人はほぼ99%が韓国人、しかも皆80年代生まれ。日本人も1人も見なかったし、何か他の用事できていたロシア人を2人みただけで回りは全部ハングル語の世界だった。しかも彼等は若いから話も、行動も、私にとって目障りで耳障りに思えてしまった。おしゃぶりみたいな飴をなめながらへにょへにょそこら中を歩き回り、そしてその間ずっと話続けている。もちろん私も北京に留学していたその当時は同じようにうるさくて目障りな行動もしていたのだろうけれど、こんなに韓国人の中に日本人1人とか2人とかのマイノリティーになったのはほぼ初めてですごく耐え難いプレッシャーがあった。たぶん彼らみたく若くないという、コンプレックスもあるんだろうな。唯一、中国人の事務員さんと話すとき、自分の中国語があきらかに彼等より流暢だということが、自分に自信を与えてくれることだったかな。嗚呼、HSK頑張ろう、一番高い級11級をとるぞぅ!

4月12日(火)リンゴマンゴをはじめて食す

いつも果物を買うお店で今日はリンゴマンゴという赤いマンゴを勧められた。前回の甘いマンゴは小さくて皮がオレンジで、今回はそれの3倍以上の大きさだ。小さいマンゴよりも甘くて美味しいからためしに買ってみて!といわれて、1斤(500g)8元と、果物の中では高い方だけど買ってみた。マンゴの種は意外と大きいので、小さいマンゴだとむいたり切ったりが面倒くさい。逆に大きなマンゴは一回皮をむけばよいので楽だ。味のほうは確かに甘くて美味しかった。でも私は小さいマンゴの味の方が好きかな。誰かお客さんに出したりするには、小さいマンゴは切ったら小さくなりすぎるので、このリンゴマンゴくらいの大きさが必要かなと思うが、私が家で食べるには小さいマンゴがピッタリだ。

4月13日(水)HSKの自信無くす

HSK高級の模擬試験をしてみたら、総合の部分の点数が意外と悪くて自信をなくした。特に漢字を書くところなんて全然答えが思いつかなかった。11級をとるには8割以上正解しないといけない。こんなんで11級・・・とれるのだろうか。ああ、不安になってきたよ。とにかく問題集をときまくるしかないよなー。

       

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