つぶやき日記

2005年  1月前半号

1月16日(日)

今日は不調のため第一中心病院にいった。12時すぎにいったら午後は急患のみというのをわすれていた。外国人専用の国際医療中心は先生を呼んできてくれるのでいつでも診察は可だけれど、薬は急患用のしかないし、支払いをして領収書を発行することができない。仕方がないので診察だけしてお金を渡して、明日薬と領収書をとりにくることにした。

1月17日(月)

仕事のあと第一中心病院へ昨日のお薬と領収書をとりにいった。薬も領収書もちゃんと用意されていたのだけど、なんと領収書の名前の漢字が一つ抜けていた。訂正して印鑑を押してもらわなければいけないのだけど、この時間だともうできないそうだ。「じゃ、ここに領収書おいておいて、直しておくからまた取りに来て」と簡単にいわれたけれど、私が名前を書き間違えたわけでもないし、この病院に何度も通っているのに何故だ?そして何故私がまたわざわざ足を運んでとりにこなければならないのか。私に非はないから、私がもう一度ここにくる必要はない、訂正したら郵送で送ってくれといった。看護婦さんは自分たちに権限は無いから婦長に明日電話してくれといった。仕方ない明日電話することにしよう。

1月18日(火)

仲の好いフィリピン人の誕生日が明日だったのだけど、夜12時になって寝ていたら電話があった。寝てたんだけど皆で誕生日のお祝いに飲みに行くらしい。彼等は皆バンドの仕事なので夜1時半に終わってそれから食事や飲みにいったりなのらしい。寝ていたけれど起きてそれに合流した。フィリピン人8人と中国人2人と私日本人1人だった。殆んどがタガログ語だけれど英語と中国語もたまに入り、中国人の一人なんて殆んど英語話せなくて交流とれないけれどお酒飲んで愉快になっていた。フィリピン人のほうも殆んどの人が中国語があんまりわからないから英語のできないその人とは会話が難しいのだけれど、乾杯!とかYOU DRINKとかボディーラングエッジで会話して楽しそうだった。

1月19日(水)

先日の病院の領収書の件婦長に電話してみた。婦長さんは丁寧な言葉づかいで説明してくれるのだけど、結局はどうして印鑑が押せなかったとかそういう説明ばかりだ。私の要求は私がもう一度とりに行く理由は無いので送るなり、誰かが届けてくれるなり何か方法を考えて私の手元にもってきてくれということだった。婦長さんは郵送はなくなるかもしれないし、看護婦は皆忙しいからもっていくことはできないの、誰か同僚も人とかにとりにきてもらうこととかできないかしら?とかいう。そりゃ同僚を探したら近くに住んでいるひとがいるかもしれないけれど、問題はこっちがそんなことをする必要があるのかないのかということだ。私は何度も責任という言葉をだしたけれど、彼らには責任という言葉は存在しないかのように、その言葉をさける。結局郵送はOKということになって住所などを告げた。そしたら郵送料金は貴方が負担してくださいというのでまたそこで間違ったのは誰なんだ?という話を私がするは目になった。一体いつまでこうなんだ。結局は婦長がどうにかしてくれるということで郵送料金も払う必要もないということでまとまった。はあすごい時間がかかったよ。なんで外国人専用の窓口でもこんなに面倒なんだろう。

1月20日(木)

年末からひいている風邪がひどいので、向いの席で仕事している女の子が酸梨を煮たものを飲んだらいいと教えてくれた。酸梨とは緑色の普通の梨よりも小さくて酸っぱい梨なのだけど、それを小さくきって氷砂糖を少し入れて煮てその煮汁を2日くらい連続して飲んだらせきがよくなるそうだ。おばあちゃんの頃からずっと使われている方法でとってもいいらしい。会社帰りに早速買って作ってみた。氷砂糖がなくて白砂糖をつかったけれど、結構美味しかった。私はもともと風邪をひいてもせきはでないほうだったけれど、乾燥してて砂塵の多い中国北方ではたまに咳のでる風邪を引いてしまう。毎回風邪薬を沢山飲むのも嫌なのでこういう自然な方法はいいなと思う。明日も作って飲んでみよう。

1月21日(金)

今日は会社の日本人上司のおごりで食事会だった。18人参加で2つのテーブルにわかれるのだけれど、中国人の部下は皆日本人上司の座るテーブルに座りたがらない。さっさと上司の座らないテーブルに座って、座りきれない人は自分で椅子を持って来てまで座ろうとしていた。上司の座るテーブルはあまりガラガラなのも体裁が悪く、上司側に座る人がそっちのテーブルに何人か指名して座るようにいったのだけど誰も動こうとしない。上司も特に嫌われているとかいうこともないので気にしてはいないけれど、それでもあからさまに一緒のテーブルに座りたくないというのも失礼なことだろう。結局は何人か性格がきつくない人を呼んで(性格がきつい人はよんでもこないか、きたら呼び寄せた人を恨むだろうから)うまく席はまとまった。前菜である涼菜が運ばれて飲物も揃って、上司が一言挨拶でもしたほうがよいかなというとき、上司の座っていないテーブルをみると、乾杯もせずにもう食べ始めていた。上司の横に座っているひかえめすぎてリーダーシップのない中国人課長(男)が、向こう側の係長(女)に、「こっちはそろそろ始めようと思うけれど」といったら、係長は「こっちはもうはじめているわよ」と前菜を口に入れながら、こちらをちらりとみることもなく言いのけた。一体誰の好意でこの会が開かれているのか、誰かおごってくれるのか、ちゃんとわかっているのか?失礼すぎてあきれた。普通はおごってくれる上司と皆で乾杯して、上司が箸を動かしてから皆食べ始めるのじゃないか。礼儀がいやで一緒のテーブルに座りたくなかったのはわかるけれど、そういうのは最低限の礼儀だと思う。当たり前のように食べて当たり前のように帰って行った。感謝の気持ちというのは、対象が大勢になるとなくなっていいものなのか。私より年も5つ以上も上で、既婚で子供もいて仕事は結構しっかりしているあの係長があんなに失礼なひとだとは思わなかったし、それに続いて大勢の部下が同じようにしているのに驚いた。上司のテーブルに座った人も、あっちのテーブルに座っていたら同じようにしていたのだろう。誰もおかしいと訂正する人もでずに終わっていったのだろう。

1月22日(土)

犬が何か匂う。洗ったのだけど匂う。何故だろう・・・何か汚いものを食べたのかな・・・。

1月23日(日)

今日は初めてオリンピック大廈の地下のバーへいってきた。他のバーと違ったのは、広くて年齢層が低いということ。外国人はみかけなかった。たぶんいるのだろうけれど西洋人はみかけなかった。フィリピンバンドも歌手の女性が少し年上な感じだけど、男性の歌手のほうは少年見たくわかかった。お客も年齢層が低いし中国人が多い。他のバーと全然違う雰囲気だった。

1月24日(月)

今日から公認会計士さんの期末監査が始まった。また没完没了(とどまることなく)資料の請求がくるのだろう。いつも資料を一つだしたら、次ぎはあれ、みたいに統計的に求められることが少ない。最初にどんな資料が必要なのかと全部いってくれたらいいのにといつも思う。しかも提出した資料が勘違いかなんかで内容にあやまりがあったりすると、君はいつもこんな間違いをして、といってきた。あなたは上司ですか?みたいに思っちゃったよ。

1月25日(火)

今日は中国人の友人がトラブッているので話をききに12時くらいまでつきあった。彼女は22歳で私よりも年下の天津人なんだけど、大好きな彼氏(某貧富の差が激しい国の外国人)にお金を大分かしているらしく返して欲しいけれど返してもらえないのでついにパスポートを気づかれないように取り上げたらしい。相手は最初は憤慨してI hate youとまで言われたらしいけれど、今度は返してもらうためにhoney I love you.I will marry you.作戦にでてきたらしい。それでどうしようと色々悩んでいるらしい。彼女はこういった手段でことを大きくしたくなかったらしいけれど、私が見ても誰が見ても真実の愛じゃなくて、男が中国人の彼女を利用しているとしか思えなかった。男は同じく国出身の彼女が北京にいてよく北京にでかけているし、他の地にも女がいるような雰囲気もある。以前天津の前にいたところでは、中国人女性のヒモみたいになって裕福な生活をしていたらしい。それでも甘い言葉で彼女を愛しているように思わせるのはその国特有の特技のようにすら思うよ。たしかにかわいい男性で、あの顔と特技の甘い言葉で甘えられたらいうこと信じてしまうのもわかるような気がする。貸したお金を返してもらわないと彼女もどうしても困るとかいうことはないけれど、彼女の月給以上だし、私も彼女の損失をこれ以上大きくするのはみていてかわいそうだった。とりあえずパスポートはお金を返してもらうときまでは渡さないようにとアドバイスした。でも殺意をいだかれるかもしれないから会うときは身の安全を確保してといって。確かに殺人の多い国出身でもあるからね。ああ、心配だわ。

1月26日(水)

今は春節の長期休暇に何をするかという話題でもちきりなのに、春節に一緒に遊ぼうと約束していた人と喧嘩をしたために私は急に暇になってしまった。旅行行きたいといっていた友達も帰国することに決まってしまったし(帰国組はこの時期チケットをもうすでにとっている)もしかして誰も一緒に行ってくれる人いないかも?という状態。本当にひとり天津ですごすことになったらつらいな。せっかくの9日間の休みなのに。まさか中国人見たく残業代を稼ぎに残業したりもしたくないし。うーん、どうにかせねば。

1月27日(木)

最近友達になった韓国人がこれから4年駐在するといっていたのに急に帰国することになった。なんでまた?とおもったけれど会社が派遣する人を他の人にかえる事にしたらしい。せっかく友達になったばかりなのに悲しいわ。やっぱり帰ってしまったらいくらメールとかチャットとかでつながっていても疎遠になるものだしね。まして違う国の人だしね。何も話すこともなく帰っていってしまった。海外にいると別れの経験が日本国内にいるよりもよりリアルで多いように思う。そのぶん人と人の出会いは大切にしなきゃって思うのだけどね。

1月28日(金)

本日は日本へ帰任する人の送別会だった。あんまり親しくはしてなかったけれど、自分もいつか帰るときになったら沢山の人とあって帰りたいと思うと思ったので私も参加した。参加者は天津在住8年9年なんて人もいて、私のように天津3年北京1年の人はまだそれほど長くないほうに入る。けれどこれからどこでどうやって暮らすのかとか、結婚はどうするのだろうとか、色々考える。企業の派遣できている人は企業からの命令にそって赴任帰任するので何も考えないでいいからいいなあなんて思ってしまう。現地採用の私は仕事をいつ辞めるのかもいつ日本に帰るのかも全部自分できめなければならない。逆に言えば選択を自分でできるということなのだけど、そうすると何も大きな出来事のないうちはそのままずるずると日常を続けていくだけだ。誰かが帰国するたびに私はいつまでここにいようとか考えるのだけどそれに具体的なプランがでてこない。私もずるずる10年とかいてしまう人になるのだろうか。

1月29日(土)

今日はいぼをとりにいこうと以前いったことのある公安医院へ。以前は大きなイボを一つとるだけだったけれど、今回は小さいイボも全部とらないとまたどこかに伝染するといわれたので、手の指と両方の膝の内側と全部で12個くらいとることにした。痛いのが嫌なので今日は手だけでいいといったのだけど看護婦さんは、一回でやらないと治療費も高いし、伝染するんだからこんなの残しておいてどうするの!?としかられた。仕方なく全部することにしたのだけど、麻酔を全部のイボにうってくれなくて、小さいイボだといってもすごく痛かった。一瞬だけどそれで皮膚を溶かすような感じでイボをとる。麻酔の注射もいたいけれど、麻酔をしてくれなかったところは半端なく痛かった。特に膝の内側なんてもともと痛くて泣いてしまった。病院で泣くなんて子供じゃないんだからって思ったけれど、まじで痛かった。終わっても「日本でやったら全部のイボにちゃんと麻酔してくれるのに、なんでこんなことに・・・」と悲しさがこみ上げてきた。しかも12個もとったので値段は炎症を抑える飲み薬もあわせて700元を超えた。一万円の治療がこんなに痛いのか・・・。前は一つのイボだったから当たり前だけどちゃんと100%で麻酔してくれたし、今回は麻酔してくれないなんて聞いていなかったよ。看護婦のおばちゃんも、泣かないでもう終わったよとガーゼを涙拭きにくれたけれどそのやさしさを是非麻酔を打つやさしさに是非かえてと思った。

1月30日(日)

日曜日は朝寝坊ができる貴重な日なのに、朝9時に全く仲良くない人から電話がかかってきた。電話番号は登録していたけれど、おそらく初めてかけってきた電話だと思う。朝も早いし何か急用か?!思ったら、「○○さんの電話番号教えてください」だった。私もその○○さんと仲良くないし、探したら名刺がでてきたけれど一体何故私にきくのか全然わからなかった!!電話をかけてきた人も仲良くないし、しりたい電話番号の人の仲良くないし、でも朝9時に起こされてそれから眠れなくなってちょっとむかついた。

1月31日(土)

1月も最後。中国とは全く関係ないけれど、今月はプライベートで私の生活がまったく変わってしまうような出来事があった。今年日本にかえったときに神社でかった、女の人のお守りという猿のお守りも早速なくなってしまった。おそらく私の身を守るために身代わりになってくれたのだとは思うけれど。プライベートがごちゃごちゃしてて、且つイボの痕も少し痛いし、1月後半はかなり不調だったけれど来月は是非ハッピーにしたい。正直海外で一人で暮らしていて何か落ち込むようなことがあったときは、親も昔からの友達も周りにいなくて本当につらい。どうしたらいいのかわからなくて途方にくれる。それでも自分でここでの生活を選んだんだから、そんな辛さに負けないように頑張らなきゃならないんだよねー。明日があるさ、明天会更好!で頑張らないと。

       

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