写真だけでごめん 西安、洛陽、開封旅行

2001年1月末ー2月初めに行った西安、洛陽、開封旅行
普通の写真をデジカメで撮影しなおしたものなのであんまり綺麗ではないのはお許しを

■西安

↑城門 ↑城壁の上にのぼる
↑鐘楼 ↑ムスリムの飲食街
↑どこだったか忘れた 蒋介石蔵身処 華清池の裏にある驪山の中腹にある
西安事変の時蒋介石が身を隠した所だそうだ
↑大雁塔 ↑大雁塔の上から見える西安の町並み
←西安では電車の中でお話した人の下宿を貸して
もらえることになったのだが寒くてお風呂もないところ。
テレビもなくすることがないのでパイナップルをかじる

 西安で泊まらせてもらった下宿というのが北京からの列車(寝台じゃなくて座席)で少しお話した大学生のおにいちゃんの部屋だった。彼は両親と一緒に北京旅行にいってきた帰りで西安にある下宿ではなくて近郊の実家のある銅川市に戻るのでその部屋は休みがあけるまで使わないということだった。彼にはルームメイトがいるのだけどその人も実家に帰っているか何かで下宿にはもどらないので自由につかってよいとのこと。隣の部屋の女の子にも紹介してくれ、彼の友人である姚さんという人が次の日から私たちの観光につきそってくれたのだ。列車の中では何を話したのか記憶にないくらい存在感のない人だったのだけど、日本人女の子が2人で宿もきまっていないということを心配して親切にしてくれたみたいだ。お友達の姚さんがガイドしてくれたおかげで効率よく西安市内の観光ができたし、美味しい食事も食べられた。本当に感謝感激だ。あれから彼等にあっていないけれど今も元気で暮らしているのかな???
 さてその宿なのだけど感謝と感激をしたものの私たちにはシビアだった。私たちも北京の大学の寮に住んでたのだけど留学生寮というのはやっぱりめぐまれている。お風呂では暖かいお湯がでるし暖房も他の建物より早く入る。北京の冬の寒さになれてきているとはいっても所詮は温室育ちだったのかもしれない。彼の下宿は暖房器具が炭をつかうタイプだった、私たちにはどうやって使うのかわからないし、使うとなると炭を買わなければならないのだろう、じゃぁどうやって?ということで暖房なしですごした。寒い。ベッドというのは2人部屋だから2人用の大きさなのだが板を載せているだけのベットで硬い。そしてなによりトイレが怖かった。男女共同のトイレが一つあるのだけど電球がきれているので真っ暗なのだ。夜は何も見えないのでどこかでつまづいてずっこけてしまわないか、はまってしまわないかとおそるおそる歩いて進んでいった。朝になって私たちが起きることには必ず一つのう○○がそこにあった。どうしてながれていないのだろう・・・暗かったから??ということで夜も朝もとっても怖いトイレだった。お風呂はないので段々気持ち悪くなってきた。最後の日には姚さんにいって安いホテルに移った。そこは共同シャワールームだったけど暖かいお湯で快適だった。安ホテルに移ることは私たちが学生なのにぜいたくできるとか、彼のお友達のお部屋は劣悪で住めないと言っていることになるかもしれないので言いにくくて我慢していたのだけどやっぱりお風呂に入らないのはつらいということで最後の日だけ移動することにしたのだ。

■洛陽

 ここでもすでにかなり寒かったので観光する気力が失われ始めていた。龍門石窟までいってみると川の側なので風がとってもきつい。観光客も非常にまばらだった。石窟の音声ガイドが借りれたのだけど日本語がなくて中国語だったと思う。意味もわからないし寒くて笑顔がなかなか作りづらい観光だった。

↑龍門石窟の入り口に立つ ↑龍門石窟は大同の雲崗石窟のように色がついていない。
↑ダウンジャケットで着膨れしているワラシと比べて
も大きい
↑小さい仏像も沢山
←川が綺麗にみえた。

 洛陽でとまったホテルも部屋にお風呂がついているのだけどお湯が熱いのがでないし、何故かエアコンから冷風がでていたのに気がつかずつけっぱなしだったので更に体が冷えた。

■開封

 今回の旅行で一番天候が優れなかったのが開封。寒さ全快で今すぐ帰りたかった今回の開封滞在。また暖かい時期にゆっくり訪れたい。

↑吹雪の中の撮影 ↑雪の白と赤が綺麗といえばそうだけど、大体いつも
風が吹いて寒かった。マフラーもお洒落でなびかせて
るというよりは風で勝手になびいている。
↑見所は沢山あったのだろうけど寒くて写真を撮る
ので精一杯だった。
↑帰りのチケットを購入するために開封駅
チケットを購入できると一安心

 開封駅ではとっても稀な経験をした。2001年の1月23日、中国では旧暦の大晦日、その日に北京天安門広場で法輪功信者による焼身自殺が図られた。その信者達はこの開封市出身なのだ。そのため開封駅から北京行き列車にのる人には法輪功信者かどうかのチェックが入ったのだ。そのチェックとは・・・??
 こういうことは教科書の中でしか存在しないことだと思っていた。日本ではあまり他の宗教の人を弾圧するとか規制するということがないから私が存在しないと勝手に思っているだけなのかもしれないけれど、とにかくびっくりだった。
駅の待合場所からプラットフォームに入る指示がでた。皆が我先にと押し寄せてくるのですごく混雑しているのだが誰かが「踏めー!!踏めー!!」と叫んでいる。人ごみの中にいるので足元なんて見えやしない。何を踏むんだ?と人ごみにまみれて進んでいくとそこには皆に踏まれている法輪功の教祖「李洪志」絵があった。まさしく踏み絵。踏み絵で法輪功信者を発見して彼らの北京行きを未然に阻止しようということなのか?なんだかわからないけど怖かったので私も一足踏んで進んだ。人の絵(もしかして写真かもしれない)を踏んだりしたくないけどこれで踏まなくて「お前は法輪功信者か〜!」とつかまえられるのはもっと怖い。誰かの上にたつ人になったならば写真や絵がこういう目にあわされることもあるのは仕方ないことなんだよーなんて都合の好い解釈を考え自分で納得しておいた。
 踏み絵は無事クリアされたのだけどこの列車の乗り心地は最低だった。乗客が農民みたいで大荷物をかかえている。列車がついても降りる人が降りるのを待つこともできずにわれ先に前にいる人を押す。そこに女性がいようと子供(いないようだったけど)自分がとにかく早く乗りたいということだった。駅員がすぐ側で「先に降りる人から」とどなっているのだけどモラルがないから何をいわれてもかまわない。やっとのことで乗車する。列車は汚かった。その上煙草を吸い痰を吐く。うるさく話をするし、私たちの日本語がきこえたら「日本鬼子」といってにやにやしている。はやくこの場所から解放されたいと思った北京行き列車だった。

おわり

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