写真だけでごめん 雲南旅行

2001年冬休みにいった雲南個人旅行の写真
普通の写真をデジカメで撮影しなおしたものなのであんまり綺麗ではないのはお許しを

■西双版納(シーサンパンナ)まで

 西双版納とは日本語にすると「シーサンパンナ タイ族自治州」というらしい。雲南省(これが省の中でも大きい)の最南端に位置する。つまりここはラオス、ミャンマーと国境を接していてここを経由して東南アジアへ行く旅行者もたくさんいるとう地だ。同じ中国といっても北京とは全く違う。北京から一番近い国境というと、北朝鮮?それともモンゴルだろうか?とりあえず北京等の北方に暮らしていると国境を意識することはほとんどない。気候も昆明よりもさらに暑い。日に焼けた人が多いのも特徴的だ。

 ちなみに移動はこれまた大胆にも昆明からバスで移動した。北京→昆明の列車が人生最長の列車乗車であるならば、昆明→シーサンパンナのバスは人生最長のバス乗車である。つまり、そのバスは24時間の所要時間だった。一応ベッドのようになっているが硬いし形が変でとても狭く、荷物が盗まれないかどうか気になるし、山道でものすごく揺れるし、静かではないし、このバスではベッドがあっても寝るというととができないのではないのかと思った。が結局何時間かは寝れたと思う。もう絶対にこんな長時間のバスは乗りたくないと思ったけれど今となれば貴重な経験をできたかなと思った。しかも驚いたことにそのバスには私たち以外にも外国人が乗っていたんだよね。私たちのすぐそばに中国語が少しもできないバックパッカーの女子が一人、そして後の方には英語しかできないような西洋人バックパッカー男女混合が数人いらした。日本人の女子の人とはお話したけれど20代前半から半ば、英語留学をするために集中的にお金をためて、それが予想以上にたまったそうなので留学の前に香港から東南アジアへ行くバックパックの旅にでたそうだ。英語はそれなりにできるそうだが中国語は一言もできないそう。ガイドブックを片手にここまでやってきてそうだ。本当すごいよ〜。彼女はこの旅でバスに乗っているときどうしてもトイレにいきたくなって一言も中国語話せないのに頑張ってバスをとめてもらったらしい。すごいな〜、そこでトイレ最中に自分だけ置き去りにされたらどうするんだろうって思っちゃったけれどそういう問題は発生しなかったらしい。とにかくすごいなぁと思った。

■西双版納(シーサンパンナ)到着

 バックパッカーとまではいかないまでも私たちも宿を決めて出発しない個人旅行者なのでまずは宿探しから始まる。バスが到着するとかならず客引きがいる。ホテルだったりタクシーだったり。その時は人数はあまりいなかったがホテルの客引きおじさんが一人いてその人が結構しつこかった。やけに「交通賓館、交通賓館」と連呼する。うざいから無視。交通賓館なんてとまんないよって思って私たちもめぼしいホテルをガイドブックでみつけてそちらへ向かう。するとそこは交通賓館だった(笑)交通賓館って私たち向きの安いホテルだったんだね。そしてさっきのおじさんも今度は「交通賓館、交通賓館」と連呼はしなかった。日本人か?とかそんな話を少ししたように記憶している。

■観光

 シーサンパンナの観光はどこで手配したのか忘れてしまったけれど現地発着ツアーというのに参加したように思う。ツアーコンダクターといっていいのか、ものすごく若い少女、20歳くらいじゃないかなぁ〜と運転手、こちらも同じく20歳くらいの男子、そしてなぜかその彼女みたいなのがついてきている。運転手の彼女はずっと一緒だったわけではないけれど一緒についてきていたように思う。なんで?って思ったけれどそれについては私たちも何も言わなかった。彼女もまた同じように若い女の子だったし言うのもなんかかわいそうだしね。

 コンダクターの人(つまり彼女ではない人)が迎えにきてくれて車で出発した。ツアーといっても私たちだけ。運転手とコンダクター、および彼女はシーサンパンナの方言で話す。ツアコンさんは私たちとは普通語(北京語)で話す。じゃなきゃツアコン勤まらないしね。

 観光最初の日は野象谷にいった。そこは野生の象が見られるという場所。がしかし運が悪かったら何もみられないそうだ。ロープウェイに乗った。野生の象の声が聞こえたような気がしたけれど姿はみられなかった、残念。

 その次の日以降に訪れたのはガンランパ風景区、熱帯植物園の名前はしっかり覚えている。そして多分、シーサンパンナタイ族園と原始林公園かな。なにしろ時間がたちすぎてて正確には覚えていない。

↑入ってすぐ綺麗なクジャクのお出迎え ↑ロープウェイからの景色
↑ロープウェイを降りたところに子犬が2匹いた。
なんかいつも怒っている表情に見える
↑こちらの子犬は少し優しそうな表情
↑シーサンパンナ観光2日目
ここはどこだったか覚えていないのだけれど、どこか観光地だったかな?
↑こちらはタイ族園の寺院だったかな・・・
↑ここからは熱帯植物園だと思われる。
南国の植物は成長が早くて大きい
↑パイナップルのような不思議な果実が横にできていた
↑こういう植物もめずらしいと思った ↑隣に石があって偉い人が植樹した記念のようになっている。
「江澤民同士」に見えるが…
↑かわいいでしょ?
この植物は見たことがなく摩訶不思議だった
↑南国の植物に囲まれて水辺にてたそがれるワラシ
↑少数民族の人たちの暮らしをのぞいた ↑少数民族の地域にも漢族の漢字があって不思議な感じ。
↑泊まっていたホテルからの眺め 
普通のアパートのベランダに皆お花があるのが印象的だった
北京では冬が寒くてあまりないからね〜
↑さっそく現地で買った民族っぽい衣装を試着してみる。濃いピンクと濃い黄色の2色買った。その後洗濯してみると衣装と同じ色の水がいっぱいでた。
↑シーサンパンナ観光2日目
炎の輪くぐり〜!
↑こちらは生活しているというよりは、生活を展示紹介している。
お姉さんも民族衣装をきているがやる気なさげ
↑こちらはショー、色々な民族の踊りや歌を鑑賞できた ↑モンキー、多分シーサンパンナ原始林公園と思う
↑クジャクがたくさんいた。動物園や公園以外でみるクジャクってはじめてかも

■現地の人と交流

 シーサンパンナでは現地の人と交流があった。当時私たちはまだ留学1年もたっていなくて中国語も不自由だった。だけどシーサンパンナには屋外で卓球とかゲームとかする場所があってそこで遊んで楽しかった記憶がある。誰と遊んだかというと最初ホテルの部屋にいるとドアがノックされた。ドア穴からのぞくと中国人男性が立っている。誰だろうと思って中国人っぽく「誰YA?」と聞く(←だれや?ではなくてシェイヤ?と発音する)すると中国人男性なんかいうんだけど聞き取れない。しかし帰りもしない。よくみるとバス停で交通賓館の客引きしていたおじさんだった(←よくきくとおじさんっていう年齢ではなくお兄さんだった)。
 女二人旅でおじさんがいるドアを開けるのはどうかと思ったけれど悪そうな感じの人ではない、夜更けでもないしまあ大丈夫かなぁとあける。やっぱり交通賓館のおじさん、もといおにいさん。大体なんでこの部屋に泊まっているということを知っていて訪ねてくるんだろうかと思った。がしかしその辺は全く本人は気にしていないことのようだった。
 話し始めた。何を話したか覚えていないけれど話していたら思ったほど憎む相手ではないということが分かった。話しも面白かった。そして友達と遊ぼうということになってでかけたんだった。
 お友達は一人は名前に虎がつく人で漢族、もう一人は少数民族の人でツアーガイドをしている男性だった。交通賓館の男性も漢族のようで前に日本人の彼女がいたといっていた。その彼女が旅行で南京にいったときに現地の人に日本人だからって殴られたとかなんとかいっていた。
 彼らと卓球等のゲームをして遊んだ。料金は私が知らない間に払ってくれていたみたいだ。そして遅くなったのでアドレス等の交換をして別れた。当時は私たちも留学生の身で携帯はもっていなかった。今の留学生はきっと長期なら持っているのだろうなと思うけれど当時は1年の留学で携帯を持っている人はまれだったな。私たちが留学している地でこういう風に現地の人と交流があれば中国語ももっともっと上達するし中国に対する理解も深まるのだろうにと思った。やっぱり北京とシーサンパンナは同じ中国といえどもものすごく離れているし、旅行にだってそうそう来られる場所ではないからね。北京にもどってしばらくして中国語と日本語の相互学習をする相手ができてその相手はなんとシーサンパンナ出身だった。その人は北京大学に入学ではなくて勉強しにきていた女性で私が北京滞在中にシーサンパンナに帰ってしまったんだよね〜。その後1、2度メールで連絡したけれどやっぱり帰ってしまうと遠いなと距離を感じた。

次なる目的地は雲南省大理だ

大理へ

旅行記TOPへ

TOP 旅行記 プロフィール 掲示板 チャット 日記 笑話 お菓子 映画 リスト フォトレポート
コラム 100の質問 天津街ガイド 過去Top 
暮らし方
 ブログ




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!