中国を知る コラム

◆有効期限◆ 2005年5月18日

最近中国である80歳過ぎのお金持ちの老婦人が新聞で結婚相手募集を掛けましたら、なんと300人もの若い男性が応募してきたそうです。最年少者はなんと20歳!その老婦人と結婚することにした若い男性は「どうして?」という人々の疑問に対して、次ぎのようにこたえたそうだ。「人は札がほしいとき、その札の発行年月日なんて気にしないんだよ!

◆買い物と年上に見える理由  2004年2月23日


 中国の人は実年齢より上にみえることが多いのだけど、そのことについて在日10年強の中国人の方面白いことをいっていた。その人は中国人を連れて秋葉原に買い物にいくときに、何度も何度もつれている中国人たちに「秋葉原で騙されないか」、「中古品を新品といって売ることはないか」、「不良品や偽物を買ってしまう可能性はないか」等としつこくきかれたそうだ。そしてその人は、実年齢より5〜10歳以上も年上に見える彼らは、日常的な買い物でそんなに心配して神経をぴりぴりさせなければいけないから、なるほど顔にも皺が増えてしまうのだと思ったそうだ。

 中国の方ですら中国人が実年齢より年上に見えてしまうということにまず驚いたのだけど、この説は一理あると思った。私も中国にいると顔をしかめることが日常的になってしまった。値段交渉ができる場所(大型ショッピングセンターくらいしかない、つまり買い物の殆ど)での買い物は私にとって戦闘だ。買いたいものをみつけると声を高らげて、「いくら?」「へっ、こんなものそんなに高いわけがない」「そんなに高いならいらない」となどといって値段交渉しなければならない。「あ、これいいなー、もうちょっと安くして」なんてやんわり言うと適切な価格より高いままで下がりらない。買う気満々でも全然興味ない顔していないと向こうの思う壺なのです。もちろん経済的に余裕のある方はわざわざ時間と気力を使って値段交渉する必要もないような気もするが、もともとの言い値が何倍にもなっていることが往々にしてあるのだ。価値のないものを騙されて高いお金で買う、しかも日常的に、となるとなんとナンセンスなのだろう。特に地元民らしくない言葉の人や、見た目がお金をもってそうなひと、物の相場を知らなそうな人には、最初からふっかけてくる確率が高い。だから買い物は戦闘みたくなり、いつも騙されてしまったのではないか、損をしてしまってむかつくとか考えなければならないのだ。そしてそのことが人の外見すらも買えてしまうのだろうか。日本で7年過ごして天津に戻ってきた中国人同僚がいっていた、久しぶりに中国に帰ってきて食料品を買う買い物がとっても疲れると。

◆未年冬生まれの女の子     2004年3月8日

 同僚が旧暦のお正月前に出産した。おめでたいことなのに、会社では色んな話がとびかう。問題はお正月前、つまり未年に生まれた女のコだからそうだ。 ここでは未年の冬に生まれた女の子は、運勢がよくないというか結婚するときに姑にいやがられることがあるそうだ。理由はというと、冬の羊は食べる草がないから運が悪いそうだ。同僚の子供は女の子でお正月がきていないから未年の冬生まれになってしまう。しかも帝王切開で予定日より早く生まれたそうだ。こちらでは一人っ子政策のため帝王切開が非常に多い。人為的に帝王切開で早めに出産したりすることもあるらしい。今回はそういう人為的操作がなかったにしても、他の同僚の意見は、「あと1日2日もたせて申年生まれにしたらよかったのに、ましてや女の子なんだし」ということだ。本人達はおそらくそれほど気にしていないのだろうけれど、まあ結婚するときまでに子供が未年の冬生まれについて何も言われないということは絶対にありえない。外国人でさえ未年というと必ず何月生まれ?ときかれるのだから。ちなみに一家に3人の未年がいると今度はいいことなのだそうだ。

◆帝王切開が多いわけ    2004年3月8日

 一人っ子政策で、一人の子供しか産まない、つまり一度の出産しか経験しないため、最近の出産は帝王切開がとても多い。過去のように2人、3人と子供を産むならば、毎回帝王切開だとお腹がくっつかないという心配があるがは一人しか産まないが、一人っ子で一度しか出産をしないなら痛くないほうがよいと考えるらしい。それに医者の方も帝王切開をすすめる。お金のために。帝王切開にすると、大きなメスをにぎる医師と、小さなメスをにぎる医師と、麻酔の医師とそれぞれに何千元かを渡さなければならないらしい。普通のお産だとその金額が普通の医療費だけですむ。その帝王切開のためのお金のために、医師は帝王切開をすすめる。「もし帝王切開をしなくて、子供の手が折れていたとしても責任はとりません」などといって脅しみたいな発言をすることもある。そう言われたら一人の子供しか持てない中国人夫婦はとっても動揺して帝王切開にする。そしてお金を渡す。ここでお金を渡さない、あるいは人より少なく渡すなどをすると、麻酔の量を少量にして痛い思いをさせようとするらしい。それは大変、皆一生に一度のこと、と医師にお金を渡すのであった

◆FAX     2004年3月8日

職場にFAXが送られてきた。北京のある会社からのFAXで全文が中国語でかかれている。一見普通のこのFAX、しかし良く見るとFAXのヘッダーには「〇〇デンキ 〇〇テン」になっている。発信元の電話番号は010から始まる北京の番号。北京に「〇〇デンキ」はない。そして〇〇テンはみたところ埼玉にある地名だ。考えられることは、このFAXは以前日本の埼玉にある「〇〇デンキ 〇〇テン」で使われていたもので、それをなんらかの理由で北京のこの会社が使うことになって、以前の設定を変えていないために今だ「〇〇デンキ 〇〇テン」と表示されるということだろう。中古のFAXを買ってしまって設定の変え方がわからないからそのままにしているのだろうか、そのFAXはどこから手に入れられたのか・・・捨てられた廃品の中からだろうか?それとも正規の中古品販売があるのだろうか?海を越えて?疑問は永遠に・・・そして誰か「貴方の会社は〇〇デンキ 〇〇テン」ではないことを教えてあげてくれ。

◆下着のサイズ         2004年3月8日


 3月8日は婦人の日、女性の服や下着が安くなる日でどのデパートにも婦人の日の特別の安売りのコーナーが設けてあった。ワコール、トリンプなどを始め、中国のメーカーの下着も段々とかわいいデザインが増えてきて選ぶのも楽しい。
 日本でも下着のサイズで苦労をするという方は多いだろうが、ここ中国ではさらに苦労する。カップやアンダーバストのサイズは私が思うに日中で差はないようだが、中国で売られているのはサイズが少なすぎる。カップはA,Bが普通でCになると少なくなる。Dになると全く置いていないデパートが多い。ワコールやトリンプなどの日本のメーカーにはDカップがあるのでそこのを探したらみつかるのだけれど、中国のメーカーではないに等しい。

 「昨日は下着買ったの?」と同僚に聞かれた。買いにいったんだけどサイズがなくてといったら、「70か75か?」アンダーバストのサイズを聞かれた。アンダーのサイズをいうと、「Aの〇〇か?」という。私は「いやAじゃないというと、「じゃあBか」と。私のサイズを告げると、「そんなの必要ない。あなたは太っていないんだし、そんな大きいの着なくていい」といわれた。「いや太っているとかそういう問題じゃなくて・・・」というと「普通はAかBだよ。それで問題ない。そういう大きいサイズは普通の人は着ない」といわれた。全員がそうではないと思うが、なにやらCやDカップの下着は太った人が着けると思われているようだ。カップというものがトップバストとアンダーバストの差で決まるということがわかっている人がどれだけいるのだろうかと質問してみたくなった。
 以前天津伊勢丹の試着室で試着をしているとき、(そこはセールだったので試着室が共同試着室になっていて、5,6人が土足で試着室にはいりノックもなしにドアが開け閉めされる状態だった)そこで見えた一人の若い女性の着けていた下着はカップも小さく、肩紐も短い状態で体に合わせて調節されていなくて、胸が3分の1はみだしていた。そんなのもいいじゃん!なんてお思いの人がいるかもしれないけれど、それはいいものだとは思わない。下着をつけるのだからちゃんと役割を果た
 他にも一度私の同僚もセーターの上から見るシルエットが普通じゃなかった。胸の盛り上がりが普通より高い場所にあるのだ。それはおかしいと目を疑ったけれど、下着の装着がおかしくてそうなっているのだと後から気がついた。ここでは10元の下着もあるくらいで、服と同じような金額を下着にかけている人はまだまだ少数なのだろう。お金をかければよいとはいわないけれど、せめて正しい着け方ができるようなサイズのバリエーションがあって皆が快適に下着の着用ができるようになってほしいと思った。
デパートの下着売り場には、まあまあの知識を持った店員が試着室に勝手に入ってきて下着の試着を手伝ってくれるので、おそらく中国のちょっとくらい大きさ違っても「差不多(おんなじようなもの)」という感覚も関係あるのかもしれない。

◆中国の世界一、カップラーメンと死刑     2004年3月15日

 中国はカップラーメンの消費量と死刑実行数が世界一らしい。カップラーメンは一人当たり1年に27個食べている計算になるらしい。中国でカップラーメンというと、「栄養がない」として食事を重視する中国では嫌われる食事なんだけど、そんなに沢山食べられているのは何故なんだろうか。一つの原因としては、列車で移動中の食事にカップラーメンを食すこと、なぜならば列車などの食事は高くてそれほど美味しくないから、なのだろうか、広い中国、列車に2,3日乗っていることはめずらしくない。そして年に何度かの民族大移動?そのときに大量にカップラーメンが消費されるのだろうか。
 そしてもう一つ死刑実行数が世界一というのは、人口が多いからではなくて、死刑が適応されてしまう罪の範囲が広いということらしい。高額の賄賂、汚職事件など、今適用されている法律では30万元の窃盗を働いても間違いなく死刑だそうだ。これは当時制定時に30万元というと一人の人が一生働いても稼ぎきれない金額だったからだということだ。今では所得も変わってきているのだけど、賄賂や汚職が盛んだからその罪に対して厳しくなってしまっているからなのか、それとも私達とは死刑に関する考え方が違うのだろうか。 

◆黄沙に関する戯言歌◆    2004年4月13日

 天津でこの戯言歌はきいたことはないけれど、すごく当たっていると思う。

北京人が風と砂ぼこりの多さを誇れば、内蒙古人が笑う。
内蒙古人が面積の広さを誇れば、新彊人が笑う。
新彊人が民族の多さを誇れば、雲南人が笑う。
雲南人が標高の高さを誇れば、チベット人が笑う。
チベット人が文化財の多さを誇れば、陝西人が笑う。
陝西人が革命の早さを誇れば、江西人が笑う。
江西人が辛いもの好きを誇れば、湖南人が笑う。
湖南人が美人の多さを誇れば、四川人が笑う。
四川人が胆っ玉の大きさを誇れば、東北人が笑う。
東北人がまっすぐな性格を誇れば、山東人が笑う。
山東人が経済の良さを誇れば、上海人が笑う。
上海人が出稼ぎ農民の多さを誇れば、広東人が笑う。
広東人が成金の多さを誇れば、香港人が笑う。
香港人が妾の多さを誇れば、台湾人が笑う。
台湾人が独立したいと言えば、中国人民がみな笑う。

◆我が町が一番――人が生活するのに一番適した場所◆ 2004年6月14日

自分の育った街が一番という気持ちは誰にしもあると思う。
私の知り合いの天津人、魏君はそれの気持ちがつよいなあと感じてしまう。
あるとき私は魏君と一緒にいて私が中国でもう3年すごしたという話をしていた。魏君は「3年も中国ですごして、君は中国に随分貢献したんだね」といった。それに対して私が「(時間がという意味で)ちょっと浪費してしまったかな」というと、「何を言っているんだ?中国は世界で一番人類が生活するのに適した場所なんだ。浪費なんてことはありえない。ご飯も美味しいし、生活も快適だし、中国は最高だ。」といった。彼がそう思うのは彼の自由だけれど、そこまで明言するならぜひとも、人が生活するのに最も適した場所(中国語:人最適合生活的地方)というその根拠を示して欲しかった。彼は天津と天津近郊の76年に大きな地震のあった唐山で育った、大学は山東省で過ごした。海外にはいったことはない。他の国と比較するという作業をしてそう述べている可能性はかなり少ない。中国の食事が美味しいとは思う。快適に生活できるということも可能だ。がしかしそれだけでどうして「人が生活するのい最も適した場所」とまでいえてしまうのか、私はそこに「我が町が一番」という気持ちが強くあるからだと思う。タクシーの運ちゃんもあっさりと「天津で生活するのが一番幸せだ」と言い切る。そこに基準はないのだろう。

◆天津のお葬式◆ 2004年7月23日

天津でのお葬式、一般的にはこのような運びらしい。

●翌日  火葬場へ運ぶ、火葬場まで移動する道中で、車のから白い紙でつくった紙幣を道路へまく。
●3日後 骨灰(遺骨)になって骨つぼに入った状態で引き取る→火葬場で儀式→遺骨を保管する引出しを購入、そこへ納骨 OR郊外にある墓地を購入、そこへ埋葬。焼紙
●7日後(第一期) 家の外で焼紙
●14日後(第二期) 家の外で焼紙
●21日後(第三期) 家の外で焼紙
●28日後(第四期) 家の外で焼紙
●35日後(第五期) 火葬場で儀式 焼紙 (このときまでずっと腕につけていた)黒沙も焼く

*火葬場か墓地かどちらが多い?*
 同僚の意見では一般的に老人2人ともがなくなった場合は墓地を購入することが多いが、 片方の親がまだ元気なときなどは、大都市で人口も多いこともあり火葬場の引き出しに埋葬することが多いそうだ。

*焼紙について*
 亡くなった人へお金を送るという意味だそう。火葬場まで運ぶときにまく紙は白い紙だけど、 焼紙の時は茶色っぽい、質のそれほどよくない紙を使うそうだ。

*お休み*
 こちらでは3日目と35日目(第五期)が重要な儀式の時で、日本でいう初七日にあたる7日目には儀式はない。そのため(?)会社で与えられる休暇は3日が標準だそう。しかし往々にして3日ではことが片付かないものだ。そのときは休暇をとるしかないようだ。

それ以外の儀式 
●清明節(陰暦4月5日) お墓参りをする(墓地は郊外にあるので墓地行きバス路線が追加されたりする)
●鬼節(陰暦7月15日) 焼紙をする
●??(陰暦10月1日) 焼紙をする(冬になり寒くなるので先祖に冬の衣服を与えるという意味)

現在は一人っ子政策で子供の人数が少ないけれど、今40〜50代くらいの人は兄弟が多いことが多い。その場合は兄弟間でお葬式を簡素に行うか、お金をかけて立派に行うかでもめたりすることもあるらしい。
亡くなった方がもとからその土地に住んでいる人でなかった場合、その地に親類や古くからの友人が、その場合は簡素に行うことが多い。
もちろんお葬式や病院の費用の分担、残された親の面倒を誰がみるのかなどの問題を兄弟間で話し合わなければならない(これは日本と一緒ね)。
一人っ子だったらその話し合いの余地がなくなるので、それはそれで楽チンだと同僚がいっているけれど、親と同じ土地に住んでいなかった場合は大変だなぁと思う。 映画、初恋のきた道(原題は「我的父親、母親」こちらのほうが私はしっくりくるが)を思い出してしまう。初恋の部分がやけに際立って見える綺麗な作品なのだけれど、東北の田舎に住む母親と都会に出ている息子の考え方が違ってしまっているのがもどかしい。お母さんの希望どおりにお父さんの遺体を車をつかわずに運んでもってこられたけれど、お母さんと現代っ子の息子の今後はどうなっていくのだろうと考えてしまう。

◆電話のでかた◆ 2004年9月8日

 中国では電話にでるとき名前を名乗らないことが多い。受ける側も会社では一応、「はい、もしもし」に値する「ウェイ、ニイハオ」といいましょういわれているけれど、「もしもし(ウェイ)」だけの人もいる。この「ニイハオ」をつけるかつけないかでかなり印象がかわってくる。ウェイだけだど自宅でくつろいでいて電話にでたような感じだし、ニイハオをつけるとやっぱりビジネスライクになる。これでそのあとに自分の会社名がついたら最高に丁寧だ。
 かわって電話をかけてくる方も名前を名乗らない。一番多いのは「○○いますか?」といきなり入る人。あるいはその○○が直接出た場合はいきなり話し始める。そのときも自分の名前を言わずに本題に入る。親しい間柄で自分の名前を名乗ることはほとんどない。電話に出たほうも話が本題に入ったら流石にだれかわかってくるというものだ、それで不便はないみたいだ。あんただれ?というと、相手が声を覚えてもらえていなかったとショックをうけるので気軽に言わない。では親しくない間柄ではなんというかというと、会社名をいったりする。「私は○○会社だ。」と個人経営の社長でもないのにそういう。私の勤め先でも従業員が1000人以上もいる会社なのに、「俺は○○会社だ」といって電話する。Faxにもfrom○○会社としか書いていない。日本でいうならば「私は○○NY」だとか「俺は○○自動車」だとかありえない話だが、それらの会社の現地法人や現地工場ではそうやって電話にでていると思う。
 個人的に名前を名乗らないのには慣れないので私はいじわるにも名前をきく。「どちら様ですか?」仕事の場合は大体はきちんと答えてくれるので今のところそれで通している。日本語らしき電話にでるときはもちろん会社名と自分の名前を言っている。でも中国人だと思ってでて電話が日本人だったとき、「ウェイ ニイハオ」としか言っていないからちょっと失礼な感じがしないかと一瞬ハッとするのだ。

◆大きな赤ちゃん◆ 2004年9月9日

 中国の妊婦さんははたくさん食べる。会社でも妊婦は食事時間以外に食べ物を食べる時間を申請してもらうことができる。会社内でも休み時間などりんごや桃などの果物をかぶりついている妊婦さんをよくみる。
赤ちゃんにたくさん栄養を与えようとするのだろうか。だんなさんもいろんなものを買ってきては食べさせる。私は出産の経験がないのでわからないけれど、妊婦さんが太りすぎてしまうと産道が狭くなって出産のときに帝王切開しなければならなくなったりもするそうだ。また妊婦さんがたくさん食べた場合、赤ちゃんの体が大きくなってしまうのかどうか、その関係はわからないけれど、中国では大きな赤ちゃんを好む傾向があり、最近会社で生まれたあかちゃんは7斤(3500g)とか一番最近は8斤(4000g)の女の赤ちゃんだった。前に「帝王切開がおおいわけ」で書いたけれどほとんど帝王切開が主流みたくなっているので、赤ちゃんの体の大きさはあまり関係がないという理由があるかもしれない。ある中国で出産した日本人の方は、「先進国では小さく産んで大きく育てるのが今の流行なのよ!」と言っていたけれど確かにそのほうが理にかなっているような気がする。ある中国人同僚がいっていた「この事務所は空気が悪いから皆帝王切開なのよ」と。またもやすごくびっくりする発言だった。私達の事務所は確かにあまり換気をしないけれど、特に工場から変な気体が流れてくるようなところではない。それをいうなら天津の晴れなのに青い空がほとんど見えない空気の汚染度のほうが私は心配だよ。

◆やさしさに触れたとき◆ 2004年9月9日

天津で感動したこと。となりの席のおばちゃんがいつも日用品はなんのメーカーがいいとか話をしてくれる。洗濯用洗剤とかもシャンプーとかももひきとか。自分の使うものはもう大体きまっているので、その話をきいて買いにいったりすることもないのだけど、いつも色々話してくれるおばちゃんの話はありがたくきいていた。あるときはトイレットペーパーの話だった。中国のトイレットペーパーの質はあまりよくない。安いものをかったらあっという間になくなってしまうし、きりにくかったりで結局浪費になってしまう。だからそのおばちゃんは、一個あたりの重量をみて購入しているそうだ。その中で「相印」という緑色のカバーのトイレットペーパーがおすすめだそうだ。私も「相印」というメーカーはしっていたし、さすがに私もトイレットペーパーは日本時代から使っているお気に入りがあったとしてもここ天津で使うわけにはいかない。今度買って見ようと真剣にきいていたらその姿をみてか、おばちゃんは「明日ひとつ持ってきてあげる」と言い出した。そして次の日本当にトイレットペーパーを1ロールもってきて私にくれたのだ。トイレットペーパーのひとつくらいと思うかもしれないけれど、高めのトイレットペーパーはまだまだ高級品。携帯にかかってきた6角(8円強)の通話料すらももったいなくて電話にでないくらいなのだからトイレットペーパー1つは大きな損失だ。それを快く私にくれるなんてそのやさしさに私はちょっと感動した。ちっさな感動かもしれないけれど、上質トイレットペーパーひとつの価値が私にもわかるようになったいまそのやさしさはとてもうれしかった。

◆天津人と仕事◆ 2004年9月9日

天津の人のいいところは、性格が曲がっていなくてのんびりしていることだろう。仲良くなった人にはよくしてくれる。外国人である私達に色々教えてくれて(たまに誇張した表現があるが)何かを探しているといったときに、わざわざ持ってきて譲ってくれたりする。お友達としてつきあうにはとってもいい人達ばかりである。
がしかしビジネスの相手として、または一緒に仕事をする仲間としてつきあうのは向いているとは言いがたい。私は天津で現在勤務している会社以外で働いたことがないので、今の会社での経験だけでものをいうことになってしまうが、天津にはとっても優秀な人はあまり残らないという思う。優秀な人は天津をでて北京や上海、またはアメリカ、日本などの外国にいってしまう。もちろん天津にも優秀な人はいる。が彼等の中には北京などのもっと大きな都市で自分の能力を発揮できなかった(もっとすぐれた人がたくさんいるから)そして田舎に帰って自分の能力を十分に認めてもらえるほうがいい(田舎のほうがコネクションがたくさんあって威張りやすいし楽)という人もいるし、あたりまえだけど高等教育機関は北京や上海の方が多い、外地からの学生も多いし留学生も大都市の方がおおいし、それは何をいってもかえられない事実なのだ。そのため私が接する限り優秀な人材は天津には少ないと思っている。天津にも南開大学という有名大学がある。南開大学は北京から入るひともいるほどの有名大学だ。北京で南開大学以上の大学といえば北京大学か清華大学くらいだろう。田舎からでてきて南開大学へ入った人はとても努力した人で彼等はまぎれもなく優秀な人だ。その人たちが卒業後天津に残ったならば天津の優秀な人材になるのだろう。それ以外の人、特に生まれも育ちも天津、学校も天津、でずっと親に甘やかされて育ったような人、そして外の世界はあまり知らず、知ってもその良さがわからない。自分の住むところが最高だと思って疑わない人、そんな人が物事を多方面から分析して、自己の利益にこだわらずに会社に貢献する精神で仕事をできるのだろうか。少なくとも私の勤務先で一緒に働く同僚にそんな人は少ない。ほとんどの人が、会社のトイレットペーパーを盗み、私用電話を毎日かけ、会社の待遇に陰で文句をいい、どうやって仕事を楽にするかということに心血を注いでいるように思える。うちの部署の大学卒の人も中専卒の人も変らない。大卒の人は思考能力はあるけれど理屈ぽくって実際の解決方法を見つけられない人だ。「○○な理由でできませんでした。」と説明することは長けている。しかし問題の解決とはそれ説明することだと勘違いしているのような気さえする。唯一仕事をきちんとしている人は、性格的にやらないと気がすまない人、責任感がある人ということだけだろう。学歴には関係ないみたいだ。まあその人たちも家族に毎日電話はするし、長い間トイレにいったりおしゃべりをしたりする。それでも彼等が比較的まじめに仕事をしている以外は他の人は話にもならない状況なのだ。
 私用電話についても、だらだらトイレにいくことについても、私が注意したこともあるし、他の部門の上司が朝会で注意を何度も指摘している。が、国営企業の影響か、もともと仕事とはだらだらとするものだという考えがあるのだろう。仕事を与えると「忙しいからできない」というし、「仕事が多すぎて耐えられないと」いとも簡単に辞めてしまうのだ。今の上司は中国国内で中国人と一緒に働いて10年近い。中国人のそういうところはよくわかっている。だから誰かに特別に仕事を集中させることもしないし、皆に80%の仕事が行き渡るようにしないと、誰かが自分の仕事が多いからと文句をいったり辞めたりするし、またもや怠けまくる人がでてくると理解している。そして私用電話とか仕事を怠けるとかについて、中国の人は面子をつぶされることをすごく嫌うので、人前でしかることは厳禁だ。しかも上司などにしかられたものなら面子はかなりつぶれるものだ。自尊心まで傷つけてしまったら辞めかねない。それがあってなのか、個人的にしかることがきらいなのか今の上司は何も言わない。そして野放し状態になっている。女性は毎日ひどいひとは5回以上は彼氏か旦那に電話をしている。仕事中に隠れて雑誌をみたり、英語の勉強をしてみたりする姿も日常茶飯事だ。
 以上が仕事の態度についての考察だ。次に仕事の処理の仕方について。これもまた他の地区の人と比べたことがないからわからないけれど、日本の仕事処理速度と比べると比較にならないくらい低い。というよりもまず頼んだ仕事をやってくれるかというのが第一の問題だ。頼んでも「やらない!」と断られることもあるし、「ok」といいながら忘れられるか(彼らの「ああ忘れていた」という言葉は超常用単語だ)、或いは「今やる今やる」といいながら数ヶ月伸ばす人。時間どおりにやってくれる人がいたらそれは感激、なみだもので大切にしなければならない人だ。普通の人には期日前に電話して覚えているか確認して、期限どおりにもってくることは少ないので、また電話して催促してもってきてくれるまで催促するというのが普通のパターンだ。もちろん期限というものは早めに設定しなければならない。こんな中で仕事をしていると、確かに仕事をまじめにやることが物理的にできないのかもしれない。上司の直接与えた仕事以外は殆んどといっていいほど、こうやって数ヶ月ものびのびにされる危険性を持っている。

◆日中間の「友達」の意味の違い◆ 2004年9月21日

 日本語で異性の友達、たとえば男友達、女友達といえば、恋人ではない異性の友達をさしているが、中国では「友達」=「恋人」の意味がある。 中国語で友達は「朋友」というけれど、これは恋人のことを意味している。 正確には彼氏のことを「男朋友」彼女のことを「女朋友」というが、普通は自分の恋人のことを「我的朋友」とか「我朋友」という。  では純粋に恋人関係ではない友達のことはなんというのか? 「異性朋友」「男的朋友」「女的朋友」などと表現するが、「朋友」ときくと恋人と間違われる可能性がある。そこでもしその友達が同じ学校出身などだったら、「同学(同級生の意味)」という。 中国語の同級生は意味が広く、必ずしも同級じゃなくてもよい。同じ学校出身くらいまでOKだ。 もし同じ出身の人だったら、「同郷」といってもよい。 もしこの二つに正確には当てはまらないときは、具体的に、私の親の同級生だとか、同級生のお兄さんだとかのべるか、あるいは、恋人じゃないけれど仲の良い友達なら、お兄さんとか弟とかお姉さんとか妹という表現をしてもよい。この場合はかなり仲のよい印象を与えるが、 中国は一人っ子が多いので、本当の兄弟以外のことを兄弟の呼称で呼ぶこともめずらしくない。 一部の人の間では、彼氏彼女のことをお兄さん、妹と呼び合ったりする人もいるのでその割合は少ない。 つまるところ、「朋友」といった場合には恋人だと思われる可能性があるので、 特に異性の友達の場合だと注意が必要だということだ。 私は残念ながら恋人がいないので、同郷、同学、同事(同僚)ですましている。 いつか私の彼氏という意味で「朋友」を使ってみたい。

◆朋友探し◆ 2004年9月21日

某中国系サイトに以前「朋友」と名のつく日中交流の掲示板のようなサービスがあった。 私も中国関係のお友達がほしかったので、以前登録していたのだが、 中国人のお友達は恋人募集のつもりで掲載していることが多いように思えた。 私のところへメールをくれた中国人男性もそうだった。 最初のメールは、「私は北京の○○区に住んでる、電話番号は○○番だ。今度北京で遊びましょう」という内容だった。私も普通に返信した。 その次のメールは、「今日これからどうですか(暇ですか)?」だった。 ちなみにその日は水曜日。当時はWEBメールで連絡していたので、 会社が終わって夜になってやっとメールをみたのだった。 もちろん私は水曜日は休みじゃなかった。 その次のメールは、「私の電話番号は○○番、君にどうやって連絡したらよい?」だった。 あんまり親しくなかったので電話番号を教えたくなかった。 私は「来月くらいに北京にいくからそのときにでも」と書いたのだけど、 またまた「どうやって連絡をしたらよい?」ときたので、 ずっと教えないわけにはいかないかな思って書いた。 早速電話があった。 結構話し好きの人だった。私も以前は北京で暮らしていたので北京関係の話題はたくさんあった。 早口の北京語を話していて、でも時々北京人じゃないような発音をする。 私は親が田舎の人なのかなぁと思ったんだけど、きいてみたら彼自身広東省出身で大学から北京に住んでいるそうだ。 広東省人の割には綺麗な北京なまりなんだけど、やっぱりちょっとだけ広東のなまりが残っていた。 (この広東人についてはときどき「つぶやき日記」で書いています) 驚いたのは、「君の声はとてもいい、絶対美女だと思う」といいだしたことだ。 誉められてうれしくな女性はいないというけれど、会ったことない人に声だけで美女といわれても 素直に喜べない。逆にそんな発言をする人にひいてしまった。 彼は話を続ける。1時間くらいは話をしたけれど、ほとんど彼が話をしていた。 彼は私のことを理解を深めたと感じたのだろうか、急に「結婚しよう」と言い出した。 いきなりの発言に驚いた。まったくそんな話はしていないし、 北京の話をしていただけなのだ。お互いに何も理解していない。そんな状況で結婚を口にだすとは。 とりあえずお断り台詞として彼氏がいるといっておいた。 本当はいなかったんだけど、断るにはこれが良いと思った。 そしたら、「結婚していないんだろう」「だったら俺にまだチャンスはあるはずだ」「俺はそんなに焦らせない」「ゆっくり(関係を深めて)いこう」だった。 びっくりした。会ったことのない女性にそこまで前向きになれるのか。 それは私が日本人だからなのか?将来に日本に行きたいとか? そのときの会話からは日本に住むことに興味がありそうではなかった。 だとすると、皆が日本人の女性はいいといったのをきいて、結婚したくなったのか。 どういう理由かわからないけれど、1時間電話したくらいで求婚されたのじゃたまらない。 そんなに焦っている人とゆっくり関係を深めていくことなどできそうもなかった。 その人とは私は普通の友達として付き合ってはいたのだけど、 電話にでなかったら永遠に10回くらいは平気でかけてくるし、わずらわしくなってメールも返信しないようにした。すると「君は本当にひどい人だ、俺はあきらめない」とメールがきた。 怖くなった。ひどい人って思うならもうやめてくれ。 今はメールも電話も前より少なくなってきたのでよかったけれど、 彼も早く本当の「朋友」を見つけて幸せになってくれればと思う。 私は本当に単なる友達がほしかっただけなのだ。

◆直接的な表現は×◆ 2004年9月21日

留学時代はあっけらかんと、自分の好きなことを語っていた。 日本では20代の女性の間で性のことについて語ることはまったく珍しくもないし、 時には異性同士で語ってもまったく変ではない。 が中国ではそれは絶対避けたほうがよい。 土地によっても違うけれど、普通は性を連想させるようなことを語らない。 抱擁だとかキスだとかそのことについてもほとんど語らない。 日本の感覚で、「風邪ひいたらキスできないね」なんていうと、周りがひいてしまう。 日本人は開放的過ぎると変に解釈されてしまうかもしれない。 「私のヒップが大きくて」と友達にいいたいときも、上品な女性は「我的臀部有点大」というらしい。 「我的尻股有点大」というと「私のケツでかい」となって下品になるらしい。 私もお尻=尻股だと覚えていたので、これから気をつけなきゃと思った。 あと、中国ですごく人気があるクレヨンしんちゃんなのだけど、この内容について詳しく語るのも避けたほうがよいかもしれない。 あるとき日本人女性が、中国人の未婚の若い女の子に大勢の乗客が乗っているバスの中で、 クレヨンしんちゃんの中のお話の詳しい描写を話してきかされ、きかされている彼女がすごくかわいそうだった。まったく反応しないわけはいかないし、かといって彼女にとってそんな恥ずかしいことを大勢の前できかされて相当ばつが悪かったことだろう。

TOP 旅行記 プロフィール 掲示板 チャット 日記 笑話 お菓子 映画 リスト フォトレポート
コラム 100の質問 天津街ガイド 過去Top 
暮らし方 ブログ




100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!