中国瀋陽に招かれて 2日目
■朝
朝来客がある。
昨日夜来るように誘ったけど遅いからという理由でこなくて今朝になったみたい。
たぶん、朝7時くらいかな。
8時過ぎに起きて部屋からでるとおばちゃんが料理を作っていた。
ロンドンから買って帰ったパンとバターをお姉さんの家に置いてきてしまったのでご飯を炊いて野菜のおかずを二種類作ってくれた。
薄味だったけど中国の家庭料理で美味しかった。
昨日甥っ子に頼んで買ってきてもらったというフルーツも大量にあった。
お腹いっぱいになる。
■観光へ出発
今日は観光に連れて行ってくれるとのことでまずは故宮にいくことに。
しかし、おばちゃんはお友達も呼んでいるので家でまっていたのだけど、連絡したら故宮で待ち合わせということになって故宮まで二人で出かけた。
タクシーで移動。
おばちゃんは瀋陽の人なのだけど英国に渡って久しいので瀋陽の観光はよくわからないからと運ちゃんにきいたら運ちゃんが色々教えてくれた。
郊外に温泉と洞窟があり、日帰り、泊まりのあるらしい。
おばちゃんがツアーに申し込むの?ときくとその場所にいけばよいとのこと。
どうやっていくの?ときいたら、ネットで調べたらよいよと言われてしまった。
おばちゃんはスマホを使っているけどネット世代ではないし、中国で暮らしてないからどこから手をつけてよいのか難しいんじゃないかなと思う。
ネットで何でもする時代なんだということを痛感する。
■故宮を観光
故宮でお友達と合流。
人数分のミネラルウォーターと葱餅、バナナ一房を持ってきている。
故宮のチケットはおばちゃんが三人分すでに買ってくれた。
ここから、このおばちゃんとお友達の私がお金支払うわ!いや、私が!攻防が始まり今日一日はそれだった。
私も払うわ!って参戦してみたけど、払わしてはくれなかった。
↑お仕事の人かな?赤の衣装の人たちがいた。 | ↑中国って感じの建築がたくさん見られそうな予感 | ||
↑チャイナドレスを普通に着ている人たちをちょこちょこみかけた。 | |||
|
|||
↑ゴミ箱と自転車 | ↑瀋陽故宮 | ||
↑こちらは出口。 | ↑QRコードを読み取ってチケット購入できるようだ。 | ||
↑門の外にあるお店。暑かったので冷たい飲み物を買った。 アイスクリームも売っていた。 |
故宮ではほとんど一人で見て回った。
おばちゃんとお友達は故宮の観光には付き添ってくれているだけなので、どこかに座って待っていた。
↑昔のトイレ | |||
|
|||
↑チャイナドレスの陳列もあった。 夏用の薄手のもの、冬用の厚いものなど。 |
|||
|
|||
↑故宮の中では大きな舞台が作られていて出し物が行われていた。 これは外国人を集めたモデルショー?みたいな感じだった。 ただ歩いているだけではあったが。 |
故宮といえば、北京にある故宮の方が規模が大きく有名ではあるが、こちらの瀋陽の故宮が先にあって、北京で同じようなものが作られたと考えるとこちらの故宮の価値がよくわかる。
瀋陽の故宮は盛京宮殿という名前だったみたい。
北京の故宮は巨大で観光客も多くて見るのも大変だが、こちらの故宮はそれなりの大きさで場所によっては全然こみ合っていないのでゆったりと観光できると思う。
■張氏帥府
故宮の次には、張氏帥府が近いということなので歩いて向かう。
タクシーの運ちゃんの話では隣り合わせだという話だったけど、結構歩いた。
張氏帥府府ではおばちゃん達は中に入らなかったので一人で観光。
|
|||
↑木々が青々としていて綺麗。 | |||
|
|||
↑当時の様子を再現するように蝋人形があるのだけれど良くできていて怖い | |||
↑会計などを行っていた場所。 | ↑そろばん、長いね。 | ||
↑これは綺麗だったので新しい? | ↑こちらも蝋人形 | ||
↑中庭があり、敷地は広い。 |
建物の他には、張学良関連の資料が大きて勉強になった。
中国人にまじって抗日戦争に関する写真やらをみた。
張学良は、ハワイに移住してハワイでなくなったんだということを始めて知った。
軟禁生活はなんと50年にもおよび、場所も転々としていたみたいだ。
彼の人生を語る上で抗日戦争を切り離すことはできないが、日本人である私が一人中国人観光客に混じって抗日やその他の資料をみながら、張学良や当時の歴史について学ぶというのは不思議な感じがした。
東北、特に瀋陽を旅するということは、そういう歴史に触れるということでもあると思っていたが、
今回旅してみた瀋陽の人たちはとても平和で親切な感じだった。
昔のことよりも、現在自分の友達や親戚が日本に行って暮らしていたり、日本人の伴侶がいたり、
または日本のアニメなどをみた影響などで、とても親近感をもって日本人と接してくれる。
以前私が北京天津に住んでいたころ、日本人だということは決して言わないようにしていたが、ここでは特に問題なかった。
金額について騙そうとする人もいるのだろうけれど、今回は出会わなかったし、決められた価格がきちんとあるお店が断然増えている。
キャッシュレスになり偽札対策にやっきになる必要もなくなり、人々はもっとゆとりができた。
そんな風に思えた。
↑壁面の石の彫刻。綺麗。 | ↑蓋碗でお茶を飲んでいたのかな?白湯かな? | |
↑張学良晩年回顧録の中の言葉。 | ↑東北三省全部没落 1931年9月19日 日本軍が遼寧省政府を占領した。 1931年9月21日 参謀の投降により日本軍は槍一本、弾一段も使うことなく吉林を占領した。 とおおまかに書かれている。 |
|
↑ローマ様式の洋館 | ↑タイルもかわいい。 | |
↑どの部屋も立派な家具がしつらえてあった。 | ||
↑この洋館の中には寝室やオフィス、客間などすべてがそろっている。 | ||
↑寝室 | ↑部屋の中に小銭を投げ入れないでくださいという注意書。 | |
↑こういう重圧感のある家具調度品が好まれたのかな。 | ↑ベランダもある。心地よさそうだった。 | |
↑大きな机。 | ↑中華柄の生地の貼り付けてあるソファ一式 | |
↑ここが虎の間。歴史的な事件があった場所のようだ。 | ||
↑大きな福の字。 | ||
↑入り口にある張学良の像。 |
ここはとても勉強になった。資料館で歴史について学べるし、洋館も歴史的な事件が起きた場所として貴重だ。
歴史についてもっと良く知っていたらよかったと思ったが、ここを訪れたことによってこれを勉強の機会にしたらいいとおもった。
■見学を終える
張学良の奥さんの趙一荻の故居や金融博物館も出口を出たあたりにあるので、ついでに観光するのにはもってこいだったが、おばちゃん達を待たせているのでみなかった。
時間は3時前くらいだった。
おばちゃんはお友達が家に来るから帰らなきゃといい、私を北陵公園で降ろしてくれるのでそこで一人で観光して後でタクシーに帰ってきてと言われる。
タクシーの空車はいっぱいあったのだけど、3時から別の運転手に交代するんだという人が何人かいたので、みつかるまで時間がかかった。
結局、滴滴いうタクシーとは違うのに乗った。
■一人で観光
北陵公園で降ろしてもらって観光する。
北陵公園は広い上に暑さによる疲労で日陰で座って休憩して過ごした。座っていると眠気が襲ってくる。
今日は特に暑いので体力消耗した。
奥に昭陵というホンタイジのお墓があるのだけど、そこだけ50元と高いのでとりあえず公園に入る6元のチケットだけ買っていた。
昭陵に着いて中を見ようかなと思ったらもう閉まるということでチケットは買えなかった。
帰りは違う門から出ようと思ったら西門はかなり遠かった。本当にあっているのか途中で不安になった。
↑北陵公園。 | ↑北陵公園入り口前の道路。 | |
↑池があり、亭もあり中国庭園。 | ↑舟の形をした花壇。 | |
|
||
↑植木鉢アート? | ||
↑昭陵。 | ||
↑赤い色のドア。中も見学できたらよかったなぁ。 | ||
|
||
↑凧なのだけどリアルで見とれてしまった、笑。 | ↑リス! |
西門を出たらすぐに地下鉄駅だったのだけどおばちゃんの家は地下鉄駅のないところなのでタクシーを探す。
止まったタクシーにはお客様がすでに載ってて、お客さん乗ってるじゃない?って言ったら、同じ道だから乗るように言われた。
最初のお客さんを降ろしてから私の目的地おばちゃんの家に向かってくれた。
■おばちゃんの家到着
おばちゃんに家に帰ると、おばちゃんはタクシーにカバン忘れてきちゃったのよ、スペアキーを持ってきてもらってやっと入れたのよ、だけど老眼鏡もなくなってしまったから何も見えないの!!とのこと。
正規のタクシーではないし、WECHATでの支払いもしてないし、レシートももらってないから何もできない!!
あらら。
ロンドンでおばちゃんと最初にあった日におばちゃんが財布をなくしたのを思い出した。
忙しくしてるからだろうなと思う。
家にはさっきのお友達と、別のお友達が二人来ていていろいろしていた。
一人が、手作りの粽や煎餅を持ってきてくれてた。
きいたら、今日わたし達がその人の家を訪れて一緒にご飯を食べる予定だったじゃない?だから母が手作りで作ってくれたのよって。
え、そうだったの?初めてきいた。
昨日は夕食を一緒に食べたお姉さんが、明日は夕食をご馳走するからねと言ってたけどどういうことかな…。
■来客帰る
その人達の用事がすんでおばちゃんと簡単に残り物を食べると、おばちゃんが言った。
一緒に天津に行く予定だったけど、明後日息子のお嫁さんの兄弟が河南省から来るから行けなくなった。行かなくてよいかな?って。
最初は蘇州と天津に一緒に行く予定だったけど、蘇州は昨日の時点で、行けなくなったのと伝えられた。
2都市を訪れるのは忙しいから、それはそれで良かったと思ったのだけど、天津もなくなるとはなぁ、しかもこの調子だとたくさんの人との約束が変な形で出てきて、結局計画は何も立てられないみたいなとこになることになりそうだ。
老眼鏡がないから、作り直すまでなにもできないし、まずは老眼鏡を作りに行かなきゃという。
それはわかるけど、明日の約束すらままならないなら、最初から約束なんてするなよって思うけど。
21時過ぎになって、明日しか自由な時間がないから明日一日ツアーに参加したい!とおばちゃんがいいだして、いろんな人に電話しだした。
お姉さんと言われる人が3人くらい、お兄さん一人。
なんでもかんでも大きな声で一通り説明するのは、疲れてきた。
中国語は好きだったけど、東北のイントネーションであまりなじみないし、なによりも力を入れすぎた喋り方が日本にはあまりないので疲れる。
なんでもシェアしすぎるのも文化や人との関わり方の違いだと思うけど、なんともね。
タクシーでわたしが話したいことを話し始めても、三言目くらいで遮って話しはじめて、私も聞きたいこととは違うので口を挟むのだけどきいてくれず、私も気が遠くなってボーッとしたところ、注意を促すように体をたたく。
お友達も私とおばちゃんが話をしてるときに入ってきて話をもってく。
話すなら勝手に話してくれたらよいのに、私もいれようと体をぽんっとたたくから面倒だ。
ということて、天津行きはなくなった。
天津に行かないということになっておばちゃんが天津のお友達に伝えたところ、相手が怒り話しがこじれた。
で、それを解決するために別の人にまた電話する。
話しずきなおばちゃんは電話でも話し始めると延々と続くので私はその間にお風呂に入り、終わってから話を聞いてあげて夜12時くらいに終わった。
おばちゃんは携帯のコードもなくしたので充電が切れそうなので充電コードを買わなきゃと言っていた。
だったらそんなに長電話するなよって思ったけど結局電池なくなる寸前まで話は止まなかった。
明日の予定は、
早く起きてご飯食べて、老眼鏡を作りに行って充電のコード買って、バスか電車で洞窟までいくということでまとまった。
TOP 旅行記 プロフィール 掲示板 チャット 日記 笑話 お菓子 映画 リスト フォトレポート
コラム 100の質問 天津街ガイド 過去Top 暮らし方 ブログ