シルクロード敦煌へ 母娘旅 4日目

1日目 地元空港→上海浦東空港→西安空港→敦煌空港                 (敦煌泊)
2日目 敦煌観光(市内、莫高窟)                                (敦煌泊)
3日目 敦煌観光(鳴沙山・月牙泉)                               (敦煌泊)
4日目 敦煌観光(西線:敦煌古城、西千仏洞、陽関、玉門関、ヤルダン地質公園) (敦煌泊)
5日目 敦煌観光(雷音寺)、敦煌空港→西安空港→上海浦東空港            (上海泊)
6日目 上海観光(上海植物園)、上海浦東→地元空港 

■朝食

 今日は一日ツアーの日。
出発は早くはないけれど、帰りも遅く、そして夕食の時間がないのにホテルに戻るのは大体23時ごろとの予定なので、朝からいろいろ考えた。

朝食は今日も楽しんで食べる。
麺はあたたまり、そしておいしいので毎朝欠かせない。

それに加えて、今日はちょっとだけツアーに持っていけそうなうなものを、ヨーグルトとカチコチに固くなっている月餅の一部を包んでもっていくことにした。

ツアーは昼食はあるのだけれど、夜は時間なく日没をみてからは一路敦煌に向かうみたい。
何か食べ物を買う場所があるのかどうかも不明だった。
ヨーグルトと月餅以外にも、日本から持ってきたお菓子なども持っていくことにする。

 ↑朝食。うさぎの饅頭、じゃがいも、餃子、いためた野菜など    ↑この日は豆乳と揚げパンがあって中華の朝食を堪能した。
     
 ↑テーブルの上のこのラクダ人形がかわいい。   ↑横からみたところ。 

■ツアー出発

 私たちの集合時刻は9時半、集合場所は泊まっているホテルからなので9時半にロビーに行けばいいのだと思っていた。
部屋で待機しているとフロントから電話あり。
「あなたたちの車がもう来ています」

まだ9時すぎだったけれどすでに来ているとのこと、早い!

急いで降りる。

携帯片手に誰か探しているっぽい人がいたのでその人が係りの人かなと思った。
話しかけるとそうだった。

私の職場にいる人を若くしたような外見の人で、私は複雑な心境。その人とは初対面なのだけどね。


小さな車に乗ると、すでに一人若い女性が乗っていた。

ここから乗ったのかな?と思っていたのだけれど、後からきいたら別のホテルに泊まっているそうなので、私たちより先にピックアップしてきたのだろう。
どうりで、早く着いてあせっているのだと思った。
ここが始発ではないんだね。

しばらく私は母と雑談していると、その子が「Are you Japanese?」と英語で話しかけてきた。

台湾出身の女の子だった。
なんと、一人旅で新疆に行ってきて、そこから敦煌に移動してきたとのこと。
僻地での一人旅なのでちょっとびっくりした。

落ち着いた、感じのよい子だった。
台湾で大学生しているそうだ。
台湾は国慶節でもなんでもないので、自分で授業を休んで旅行に来ているとのこと。
行動力がある人だね。

私は彼女に台湾人の参加者がいてびっくりだ。
中国大陸の人だけだと思っていたから、と言ったら、
台湾人はきっと私だけだと思う。他は中国の人のはずだよと言っていた。

 ↑今回の車。    ↑申し込み時に60元支払い、当日60元支払う。・

私たちの乗った車は次は市内の別の場所に停車した。ここでまた参加者をピックアップするようだ。
数人乗ってきた。

そして大きな車に乗り換える。
運転手さんがいて、私の一緒に働く人にそっくりな人はここで終わりだった。なんとなく心が安定した(笑)

全員そろったようなので出発。

といっても最初に行くのはガソリンスタンド。中国ではいつもそうだけど、なぜだろうね。

運転手さんが、「今日は寒い、まだ10月なのに雪が降りそうなくらい寒い、おかしいぞ」と言っていた。

私たちは初めてこの地に来たのでこんなものかと思っていたけれどそうではなかったのだね。確かに寒いよ。昨日までと比べても寒い感じはする。

■敦煌古城

さて、最初の目的地は、敦煌古城。
ここは、映画のロケ地みたいな感じね。
ロケ地をそのまま残して、また使って、というかんじなのかな。

人工的に作ったものだから歴史的価値はないけれど、まあ一つめの参観場所なので降りてみてみる。

このツアーは乗り物代のみ含まれているので各観光地では入場料などは別途支払う。
入りたくない場合は入らなくてバスで待つことも可能。

私たちは入場する。他の人たちも入っていたようだった。

入場料は40元。
60歳以上の人は20元なのだけれど、これは中国人のみだという。

10時10分から50分までの自由時間を与えられたので自由に見てまわる。

       
 ↑国家AAA級景区と書かれている。この城門から入場する。    ↑これは城門の外。
熱烈歓迎と書かれている。この周りを馬や車で駆けることができるよう
 
       
 ↑この馬たちが待機していた。その奥は何もない地。   ↑目を凝らしてみるとかなり遠くに建物がぽつりと。何だろう。   
       
 ↑敦煌古城入り口。ここから入場。チケット40元。   ↑2017異星狂歓節敦煌 というようなイベントがあったようだ。
異星・・・エイリアン、のイベント?なんだろうなぁ。 
 
       
 ↑門の左手には荷車にも似たものが。   ↑これは昔の、城を守る武器だったのかな。   
       
 ↑城門そば。   ↑それなりに迫力ある。   

■入場

ここは昔の街の形になっていて(だから古城というのだけど)、街は城壁で囲まれ、城門から入場する。
そして昔の街を再現してような感じにはなっている。

お店があったり、住居があったり。

だけどお店もただのイミテーションが雑多におかれているだけであったり、人の影も見当たらないけれどそれほど古い雰囲気をかもし出しているわけでもない。
つまり中途半端だね。

プロの手にかかれば、歴史的大作のセットになりうるけれど、そこにプロの俳優さんや、撮影隊がいるわけでもなく、観光客がちらほらいるだけ。
時々商売?しているのかな?人がいるけれど、観光客がわっさわっさ来るようにも思えなかったし、何をしているのか不明。

ただ、このツアーの路線にはかなりの割合でここ敦煌古城が入っているようなので、やっぱり人は来るのかな。
今はまだ10時と時間が早いのでそういう雰囲気を感じないだけなのか。

たくさんの室内撮影を行ったらしき住居の展示があった。
ドラマや映画の撮影風景などの写真なども飾られてあった。

確かに素敵なインテリアになっていた。
変身写真を撮影するセットとしてもよさそうだ。

他の建物では、中をちゃんとみるような屋内展示はなさそうだった。
なんとかのお店、という形にはなっているけれど、中にはいるとただそれだけ、というものばかり。

誰かいるわけでもないし、蝋人形があるわけでもない。

うーん、これをみてどうするのか、不明。

イミテーションがお粗末で、撮影技術を持ってしても、使うことはできないだろうと思うようなもの(肉屋の生肉の塊とか)もあり、
中途半端な展示に思う。

古めかしいならとことんならそれを追求してほしいし、
現代との融合を考えているならば、それを現代人が消費・利用できるようなことを考えてほしい。

まあ、そんな「目的」というものの必要のない施設なのかもしれないけれど。

私たち日本人旅行者からみて、訪れる価値があるかどうか、まあ、あるとは思うよ。はい。

     
 ↑部屋が四方を囲み、真ん中が空間になっている。   ↑たくさんの映画やドラマがここで撮られたようだった。 
     
 ↑真ん中の空間、レースのカーテンがあり幻想的。   ↑廊下。 
     
 ↑屋根のてっぺんをみるとムスリム系の建物なのかな、    ↑これらの映画やドラマがここで撮影されたという説明。
     
 ↑露天、動物の皮を売るお店のようだ。   ↑アップ。 
     
 ↑布地。これは、売り物サンプルを再現しているのかな??    ↑これはイミテーションのようだけど、昔っぽさがない。
     
 ↑明らかにおもちゃのような肉の塊。   ↑ 手前は色も地味でよい、奥は鮮やかで現代的。
     
     ↑羊の串、鶏肉の串、イカ・・・と金額が書かれている。
 ということは実際に営業しているのか!?誰もいなかったけど。
     
 ↑宿屋か酒場、のようなお店。   ↑ 二階は食事の個室なのかそれとも宿なのか。
     
 ↑これはお酒の名前??    ↑誰もいないところに干してあった。
     
 ↑油を売っているお店のようだ。    ↑高昌城という文字。
     
 ↑ちょうちんが風に揺れていた。風はやはりちょっと強い。   ↑城門から続くストリート。 
     
 ↑西夏文字と書かれていた。確かにどれも読めないなぁ。    ↑沙州の文字、小説敦煌でも何度もでてきたなぁ。
     
 ↑なぜか風呂の浴槽。    
     
 ↑奥にある建物の二階から。   ↑こんなテーブルセットも。 
     
 ↑古城の民宿も隣にあった。ここ古城は町から恐ろしく遠いけれど、
一体どんな人がここに泊まるのか?撮影関係の人たち??
   ↑砂色の建物がしっくりくる環境。
     
 ↑この壁の外は道と電線と他には何もなさそうだった。
 人工的な建物よりも、そちらの方に惹かれる。
   ↑いい感じ。
     
 ↑上の文様みたいなのも、もしかして文字かな?    
     
 ↑これが韓国映画のセットのようだ。
他のところと比べて細部まで作られていている。
  ↑ 何か工事中。
     
 ↑韓国映画をここで撮影したという説明書き。   ↑時代劇的なドラマチックものを想像させる。
     
 ↑布地を扱うお店。    ↑お酒好きのあなた、お酒もあるよ。

敦煌古城 40元

■西千仏洞

 続いての目的地は西千仏洞。

ここは莫高窟の西にあるから西千仏洞ということだそう。

いろいろなところに書いてあったが、莫高窟は恐ろしい数の観光客が訪れるが、こちら西千仏洞は少ないらしい。
だけど、素人の観光客からみると、訪れて見られるものは、両者とても似ている、同じようなものである。

われらのバスの運転手(ガイドはいないので彼がガイド的案内を時々する)曰く、
ここは莫高窟と同じようなものだから、莫高窟を訪れた人もしくはこれから訪れる人は同じようなものをみることになる。
もし見たいという人がいないならば、ここは外で写真を撮ってそれで次の目的地に行こうと思うが、見たい人はいるか?と。

すると、数人が手を上げた。
私たちもぜひみたかった。莫高窟と似たようなものであっても、はるばる日本から来たのだ。

ということで、西千仏洞11時5分から12時まで見て回ることになった。

入場料30元。莫高窟に比べるとかなり安い上にゆっくり見てまわれるのでこちらの方がお勧めだけれど、それでも莫高窟に皆行くだろうなぁ。

学生料金はとても安いみたいだった。
台湾の学生も台湾での学生証を見せると学生料金になるとのこと。
あと、福建省福州出身の男の子も学生だった。
この男の子も結構話しやすくて、いい感じだった。

一人よくしゃべるユニークな服装のおじさんがいた。
この人はよくしゃべるというか、ややうるさい。いつもしゃべっているが、内容が自分の知識をひけらかしたいタイプ。

私は気がつかれないように黙っていた。

     
 ↑西千仏洞に着くまでの車窓。    ↑車内。
     
 ↑着いたのはこんなところ。    ↑西千仏洞という立派なのあるからいいものの、なかったら不安になる。
     
 ↑駐車場から階段で降りるようだ。    ↑自然の地形がむき出し。
 
   
 ↑木々もあるようだ。   ↑階段を下りていくと西千仏洞の入り口。 

■ガイドに案内される

 ここは、莫高窟と同じように、自由に見てまわることができない。
チケットを購入して、専属のガイドさんが案内してくれる。

外国人だと外国語のガイドがいるのかどうか、そのことについては何も言われなかった。
バスが同じだった人たちとひとくくりで、中国語のガイドさんがついてくれた。

窟の管理など莫高窟と同じような感じがした。
外壁やドアの感じ、すべて同じに見える。

中の窟の説明をきいた。
中国語オンリーなので、そして中国人向けのスピードなので早い。

台湾の人が気をつかってくれて、大丈夫?聞き取れる?ときいてくれた。
ちょっと難しいと私が答えると、ゆっくりしゃべってくれるようにガイドの人にお願いしてくれた。
ありがたや。

それでもある意味、日本語の説明だからわかりやすいというものではないということを感覚的に感じた。
中国語上級者以上ならば、中国語で説明を受けたほうがわかりやすいだろう。

内容は難しいにしても中国語で説明される中国語のことというのと、
中国人が日本語を使って中国のことを説明するということは感覚的なギクシャク感が生じることがあるように思った。

もしかして日本語が日本人みたいにすらすら話せるならば、日本語の方がいいのかもしれない。
単純に語学レベルの高い低いではなくて、
スムーズかどうか、日本語なら日本語らしい表現ができるかどうか、
イントネーションが日本語らしいかとかそのようなことになるのかなと。

そういう能力の高い人は、語彙力が少なくても通じやすかったり、相手のネイティブに、上手だねと思ってもらえる確立が高いように思う。

ただね、難しいのは、窟や仏像などに関する言葉は日常使う言葉とは違うのでそれらを体験的に身につけるのはなかなか難しい。
ぎこちなさの残りやすい分野になるよね。

だから、もし現地の言葉がわかるならば、現地の言葉で聞くほうがすんなりとくる。
たとえ単語が難しくてわからなかったとしても。と言うことになるのだと思った。

■説明後

 説明で言われたことは、やはり莫高窟で一度8つの窟をみて説明を聞いたからこそ、重複していて同じなんだなと思わせる部分が多かった。

唐代の仏像や壁画であっても、清の時代に作り変えられたとか塗り替えられたという説明があった。


ガイドさんの説明で印象に残っている中国語は、
回鶻時代
講経説話
琉璃珠
藍黒緑紅(小さな千仏の色が藍黒緑紅の色の順番になっている)

     
 ↑この先は立ち入り禁止だったけれど、党河がみえる。    ↑後で川を見に行こうっていう話になった。
     
 ↑窟のドア、外壁などは莫高窟とほとんど同じよう。   ↑河。
     
 ↑川なのだけれど、日本とあまりにも違っている。    ↑水量少ない。
     
 ↑西千仏洞は莫高窟と比べるとかなり観光客が少なし。
こちらの方が穴場だとは思うけれど、敦煌に来て莫高窟に行かない人は
いないので、そうすると似ている西千仏洞を訪れる人が少なくなるのかな
   

動画

先に書いた、よくしゃべるおじさん、ガイドの説明が終わった後に、一言
「戦争中に日本軍はここに来たのか?」と質問。

なんだその質問。
そんな話は一切でていなかったのに。

私たち日本人がいることによって思いついた質問のようにしか思えない。
すぐ傍に私もいるのにね・・・

もしかしてすごく反日の人なのかと勘ぐる。


その後、窟の参観を終えて、どこかで河を見える場所があるというので皆で行ってみた。
同じバスの人たちは最初は誰も話していなかったのだけれど、だんだんとお互いに話をするようになっていた

川をみて撮影している。

台湾の女性と、福建省の男の子、この二人は感じがよかったので、会話を時々できそうな感じだった。

その時、

「あの二人は日本人なのか?」
と福建省の男の子に、例のよくしゃべるおじさんは聞いていた。

福建省の男の子は、
「そうだよ、一人は中国語ができるよ」と返答していた。

この後の展開が怖かったので、私はその人から距離をとるように先を急いだ。

途中でトイレに行って、出てきたら福建省の人がいたのでちょっと話をした。

私は最初その人が西安から来たといっていたので、西安の人だと思っていたのだけれど、福建省の人で西安から敦煌に移動してきたという話だったみたい。

それで、福建省のどこ?福州?ってきいたら、福州だということ。
じゃあ、お茶は飲む?と聞いたら、飲むとのこと。

福建省の人はお茶の産地なので、お茶を飲む人が多い。
中国茶を勉強している私としてはすごく興味深かった。

鉄観音とか?ときいたら、鉄観音は安渓の人が飲むんだ、という。つまり彼はあまり飲まないみたいだ。
じゃか、武夷岩茶とか?と聞いたところ、


遠くから、

「誰が武夷岩茶と今言った?」と例のおじさんがやってきた!

そして福建省の彼と話始めた。
「岩茶はなんとかなんとか、俺が日本で茶道としたとき、こうこうで・・・」

結局話を持っていって私は福建省の彼と中国のお茶について話す機会は二度とまわってこなかった。

そして彼は「俺は日本のhamayuが好きだ」という。

「hamayu」なにかわからなかった。魚の種類だということはわかったけれど、刺身で食べるものではないということ。
結局日本で調べてアンコウのことだとわかる。

彼は日本に来たことがあるということをほのめかしていた。
そして茶道を体験した。
hamayuを食べた。hamayuが好き。

彼の話ばかりだ。

しかし日本語はまったく理解しないしできない。
メシメシしかいえない。普通の日本に行ったことのない、日本語を学習したことのない、中国で生活する中国の人と同じレベルだった。

しかし彼はいろんなことを知っている、経験したことがあるということを、何かしら関係性をみつけたときには主張してくる。

中国茶の武夷岩茶から日本のアンコウには大したつながりがあるとは思えなかったけれど、彼の中ではそのように会話が続くのだろう。
おかげで悪い人ではなくて、日本人とも友好的に会話できる人だということはわかって一安心したけれど。

西千仏洞チケット30元

■道路で撮影

 次の目的地に向かう途中、ただまっすぐの荒野を走り続けていたのだけど、誰かが運転手に何かお願いをしたようだった。

しばらくしてバスが停車して、皆写真タイムとなった。


降りてただっぴろい荒野に思い思いに写真を撮影する。

道路の真ん中でポーズ。気持ちよい!


私は母に撮影を頼むのだけれど、機械に弱い彼女は全然うまくできないんだよね。
撮れればよいだけの写真で、人がどれだけ写ればよいだとか、まったく気にすることができないんだよね。

彼女自身も苦手意識があるみたいなので、一枚だけ頼んで終わりにした。
あとはセルフィーでがんばっていたら、バスで同じだった人が撮ってあげようかと撮ってくれたので助かった。

あのよくしゃべるおじさんと一緒に来ていた女性のようだった。
どんな関係かわからないけれど、おじさんは二人の女性を連れていた。
別に若い子というわけではない、一人は40前くらい、一人は50越えているくらい。
おじさんは50くらい?わからない。

こういった大胆な撮影会は日本では絶対にできないことなので、短い間だったけれど楽しかった。
中国の都会から来た人も、こんな荒野には魅力を感じるんだね。同じ感覚を持っているようでうれしい。

     
 ↑私の写真技術では伝わらないかと思うが、広大な何もない土地に、
一本の道。その真ん中に自由に立つことができるレアな経験。
   ↑時々通行の車が通るのでその度にひかれないように注意が必要。
     
 ↑本当に何もない。通った道はほとんどがこんな感じのところだった。    ↑少しは小さな草のようなのが生えているところもあった。

■昼食

 運転手がみんなに尋ねた。
次の目的地に行って先に観光してから昼食にするか、それとも先に昼食にするかと。
時間的に先に昼食がよさそうだったので、昼食を先にとることになった。

とある、ブドウを生産する村で昼食をとるようだった。
昼食代金は含まれていないので一人35元で支払うということ。特に誰も問題ないのでそれでいく。

そして私たちは中華方式に一つの丸テーブルにすわり、料理をシェアする。
中華料理は大皿でやってくるし、だからこそいろいろな料理をつまむことができる。
ただとりわけ菜ばしみたいなのは皆使わないので、そういうのが気になる人には向かないかもしれないが。

お料理が運ばれてくるまで時間があったので、この食堂の周りを撮影していた。
するとお店の前に干しブドウを売る人がいたのでちょっと値段をきいたり、味見したりしていた。

いくつか種類があって、見た目も味も違う。
おいしいので少量だけ買って帰ろうと思ったのだけれど、これから食事するからといったら、詰めておいたあげるよ、とのこと。
値段は交渉できないかんじだったが、ばか高いわけではないとは思ったので一応OKした。

すると食堂の中から母がやってきて、料理きたわよ!と呼びに来た。
中国語のわからない母も、彼らと一緒に席で待っていて危険や不安なことは何もなさそうだったので放っておいたけれど、
言葉がわからないなりにも、人柄というのは伝わるものなのだろうなということが今回母を見ていてよくわかった。

私はやっぱり中国在住経験もあり、だまされたりいやなこともあったので割と警戒態勢にあることが多い。
だけど日本からきた母は人もまず疑うというやり方からは入っていない。
言葉はわからないけれど、おだやかにしている、そういうのがまわりも伝わっているような気がした。

母がいることで私までもが穏やかな人間になっているような(笑)
やはり、こちらが「善」な態度でいくと、相手も「善」により傾くわけだな、これも引き寄せなのかな、とか思った。

いろいろ日々勉強。



隣の席が台湾の人だったので、話しかけてみた。
敦煌に来る前にどこに旅行していたのかという話をしていたら、彼女は新疆にいってこちらに着たと言った。

すると、おじさんが「新疆に行ったのか?どこどこには行ったか?俺は何日後になんとかかんとか」と隣に座っているわけでもなく、
今まで話に入っていたわけでもないのに彼女に話しかけて私の話題をさらっていった。

私は新疆には行ったことがないのと、中国語ネイティブ同士のスピードもあったし、会話に入ることはあきらめた。
もう、彼はそんな人なのだろう、悲しいことよ。

     
 ↑案内された昼食の場所。   ↑私たち以外にお客さんはいなかった。広々~。 
     
↑中華はやっぱり丸テーブル。    ↑尉遅恭
     
 ↑外でも食事するテーブルがたくさんあった。    ↑食事が運ばれてくる前、みんなスマホが大好き。
     
 ↑これが一番特徴的で皆写真を撮っていた。
中国人にとっても写真に撮るべき特徴のある料理のようだ。
   

料理の写真は一枚しか撮らなかった。
というのも、この一枚は特徴があるようで他の人たちも撮影していたのだけれど、あとはそうでもないようで誰も撮っていなかったのだ。

他の料理は見た目で大きな特徴があるようではなかったが味は確かに特徴があった。
いくつかの料理を食べていて、私が中国語で「料理は味が結構濃い」といったら、「そうね、この地方の料理の特徴で酸辣なのよ」と。
酸辣とは酸っぱくて唐辛子の辛さのある味付けのことだ。

確かに酸っぱいのでさっぱりしているようだけれど、ピリ辛でもある。
私は酸っぱいのも唐辛子も好きなので好きだった。

お肉や魚もあったけれど主にお野菜の料理が多くて、日本で中華料理を食べる機会が少ない私はこんなにたくさんの種類が食べられるのがうれしかった。
スープもあったし、35元としてはかなりの品数があったと思う。

ただ、もし肉大好きな人だとすると、お肉料理の数は少ないと思うので男性はどうかわからない。
女性には大満足だった。

昼食35元

■ブドウ畑

 料理を食べると、そのお店のぶどう棚をみるというのがお決まりのようだ。
ぶどう棚はすぐ隣にありすぐにみることができる。

ぶどうを生産している農家が、訪れる観光客に食堂として昼食を提供し、そして自分たちのぶどうも買っていってもらうという、そういう仕組みになっているのだろう。

はげしい営業はなかったけれど、ぶどうをみて買いたくなる人は多いのかな、それともここで買うと安いのかな、買っている人はいた。

     
     

ぶどうを見終わって、食堂の表に出ている干しぶどう売りのところへ戻る。
運転手さんとよくしゃべるおじさんもついてきた。

さっきの普通のぶどうの金額と比べると干しぶどうって高いなと思った。

おじさんは、「君、この中でどれが一番価値があるものかわかるか?」というので、私は黒いクコを指差した。

おじさんは「あたりだ、これは干しブドウよりも健康、美容によいんだ」と話始めた。


干しブドウを買おうとしている私に何が言いたいのかと思うけれど、気にせずさっき頼んだので250gの干しブドウを2つ買う。
一つ20元(種類により値段は違う)だった。

まあ、日本ではたぶん買えない干しブドウなので価値は計れないけれど、中国だからといって値段がとびきり安いわけでもないな。

あとで運転手さんに、ふつうのブドウは安いので干しブドウはどうしてこんなに高いのかといったら、乾いたら小さくなるけれど本当はもっともっと多い量だからだよ、と言っていた。



そしてバスに乗車。

干しブドウを買った人は私以外いなかった。私がだまされているのか?それは不明だった。

乗車するとすぐに、おじさんが、
「俺はあそこで黒いクコは君に勧めなかった、なぜだかわかるか?」と言ってきた。

「わかりません」と言ったら、あのクコの実は形が大きくなかった、品質があまりよろしくない、本当によい黒いクコはもっと大きいんだ」と。


「そうなんですね」と私。

本当によくしゃべるはこのおじさん。何でも知っている!が好きなんだろうね。


干しブドウ 20元(半斤)×2=40元

■陽関

 さて、続いては陽関。
入場チケットは50元なのだけれど10元の車代というのが別に必要になる。
車代って一体何?って思うが後からわかる。

     
 ↑陽関博物館という門をくぐり中に入る。    
     
 ↑張サイが聖域に出発する像。    ↑いい感じの風景がみえてきた。奥にあるのは本当の陽関。
     
 ↑お花畑の中でほんわか。かわいすぎる。    
     
 ↑これが陽関。   ↑またもや門をくぐる。 
     
 ↑津関令    ↑色とりどりの旗、書かれている文字は漢字ではないようだ。
     
     ↑人がうろうろしているけれど、陽関道。
     
 ↑人がいないときを狙ってとれた陽関道の写真。   ↑はんこのようなかわいらしい石がたくさん。 
     
 ↑この後ろの道を乗り物にのって、陽関の遺跡の方へ移動する。   ↑ちょこっとみているのが残っている陽関の一部分。 

■陽関

陽関とういうのは昔の関所の遺跡があるはずなのだけれど、今まで見たところには無かった。
ここからは車か、ラクダ、または馬で遺跡ある場所まで移動するそうだ。

それが車代10元だったということ。
希望者は馬30元、ラクダ50元なので差額を支払い乗ることができる。

馬ラクダは古道を歩くらしい。なのでそれも魅力ではある。

同じバスだった福建省の男の子は馬に乗るんだ!と意気込んでいた。
馬に乗りたい人はそれなりにいるようだった。

ラクダはたぶん鳴沙山ですでに乗ってる人も多いだろう。それにここは砂漠というよりは荒野なので馬の方が似合う。そして馬の料金の方が安い。

私たちは車に乗った。
福建省の彼は、どうして馬に乗らないの?的な表情をしていたようにも見えたけれど、私たちは車でびゅーっと目的地まで行くことにした。

車は早い
そして、壁なし、
めちゃ寒い!!!!

それが一番つらかったけれど、すぐに到着したので、陽関の本当に見るべきところで時間をたっぷりすごせることができた。

馬の人は古道といわれる道らしいけれど、大きく場所は違わないし、
そしてとても遅く、大変時間がかかってたどり着いたようだ。

時間があるならね。それも楽しいと思います。

動画


西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」


中国ではあまりにも有名すぎるみたいだけど、
本当にその通りの場所に見えた。

この地に関所があり、ここが国境であったと想像して、
この地をでると、知っているひとや友がいないばかりか、すぐに死んでしまいそうな何もない地のようにしか思えない。

自然はあまりにも厳しそうだ。
美しい、と言えるのは、現代的な生活がすぐそばにあるものだろう。

当時の陽関はどのような様子だったか、わからないけれど、
「たのしい!」の地ではないのは確かだろう。

     
 ↑中ほどにうっすらみえるレンガのような長方形のものは、
ブドウを乾燥させる建物だそう。
  ↑本当に広くて、圧倒される。 
     
 ↑近くまでは来ることができるけれど、フェンスがあり中には入れない。    ↑ぐるっと一周歩くことはできる。
     
 ↑陽関そばの高台から。    ↑この緑の乗り物に乗って移動した。
     
 ↑ちょっと赤めの土。    ↑陽関。近寄ってズームで撮ってみた。
     
 ↑馬で移動している人たち。時間かかりそう。    
     
 ↑雰囲気に合いそうなものをおいているだけなのかもしれないけれど、
絵になっていた。
   ↑このただっぴろい何もないのがすごかった。関所を出たらこんな荒野
とは、昔の人の心細さは想像をこえてそうだ。

動画

東屋のところで荒野を眺めていた。

おじさんのお供の若い方の女性がいたので話してみた。
あなたの地元にはこのような場所はありますか?

「ないよ、どこを探してもこんな場所はない!
西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」というでしょう!
No old friendなのよ!」と。

そうだよね~。

そして、陽関を出た道が陽関大道という道で、こっちに行くと新疆、こちらが西安、こっちはチベット・・・と教えてくれた。
この彼女は一人でいることも多くて、物知りのようだ。
だけどあの連れのおじさんのようにでしゃばりではないのでとてもよい。

     
     ↑この東屋でしばし眺める。
     
 ↑袋を持って歩く人。
ごみを拾っているのか、ごみは落ちてなさそうだったのだけど・・・。
   ↑小さな草が生えてはいるのだけれど、本当にない地。
     
 ↑一応この観光地としての敷地が柵により区切られていた。
立ち入り禁止の区域もあった。自由に遠出しようと思える地ではなかった
   
     
 ↑西望陽関並玉関
 漢唐遺跡塞雲間・・・ 
   ↑西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)」
     
 ↑お手洗いのある建物の中。車庫かな。   ↑屋根。 
     
 ↑お手洗い。どこも思ったよりもお手洗いのハードは綺麗だった。
やっぱり文博会のときに整備されたのではないかな。
   ↑手作り針金ハンガーがあったのでパチリ。
     
 ↑陽関付近の名所の数々が写真にあった。    ↑日本のガイドブックには載っていないレベルのものがほとんど。
     
 ↑積み上げられていた砂の塊のようなもの。。    

陽関はね、その遺跡が残っているという事実と、そのまわりの自然環境というのがすごいと思った。
ここまで来て、実際にその地に足を踏み入れる。
しばし立ってみる。
それだけで、感じるものが出てくると思う。
博物館的な要素もきっとがんばっていると思うので、時間があればゆっくりみるとよいのだろうけれど、おそらく多くの人がツアーを利用すると思うのであまり時間はないかもしれない。

陽関チケット 50元、車代10元

車内の動画

■玉門関

 次は玉門関。運転手から説明があった。
玉門関は10キロ手前にチケットを買う場所がある。
以前はチケット購入者しかそこから入ることができなかったが、今はチケットを購入しなくても近くまで行くことができて、そこから玉門関の写真を撮ることができる。

チケット購入したい人は10キロ手前の場所に立ち寄るので準備をしておいてください。
購入すると、玉門関の中まで入ることができるが、外からみても大体同じようなものだ。

との説明だった。

陽関の後だったか前だったか、実は途中から大量の人が乗車してきた。
おそらく午後から出発の半日ツアーというのがあるのだろう。

どこかで待ち合わせしてそこで乗り込んできたたくさんの乗客たちで私たちのバスは満席になった。
いままでゆったりと座っていたのが窮屈になり、そしてさわがしくなった。

まあ、仕方のないことではあるが、うるさいおじさんのような人はいないけれど、40前くらいの中国人男性がずっと話をしているのが聞こえてきた。
そして、後から乗ってきたために、隣同士の席がないのを嫌がって、変わってよと他の人にあつかましく提案している若いカップルもいた。

そして、大所帯になった私たちのバスはチケット購入の場所で買う人だけ降りる。
またはお手洗いを利用したい人もそこで降りた。

チケット購入の場所は、一つしか窓口がなく込み合っているのに効率が悪く、
ただ前の人が買い終わるのを待つしかなかった。

前の前の人は高齢者なので安くなる人がいるけれど本人がバスの中にいるから証明書がなくて、それを持ってきてよ、とか電話でやりとりしながら時間を食っていた。
買ったら今度は、ゲートを通るのにチケットチェックしてやっとバスに乗る。

これではまるでお金を払って玉門関を見る人が罰ゲームだよ。

     
 ↑玉門関の入り口。この建物にまず入る。    
     
 ↑なかなか無人の写真が撮れなかったので子供入り。
奥が玉門関。
   ↑玉門関
     
 ↑係りの人かな。けどこの人しかスタッフはいないようだった。    ↑玉門関の壁面。
     
     ↑直接触れることのないように柵などもある。
     
     
   
 ↑修復はしているそう。どこの部分が古いのはよくわからなかった。    
     
 ↑結構壊れそうで怖いところもある。    
     
 ↑見晴台のような場所があってそこからの景色がよかった。    ↑一部白くなっている場所もある。これってなんだろう。砂?お塩?
     
 ↑これは玉門関の建物の中の展示。    

玉門関は、それ自体はちょっとあっけないかもいしれない。
陽関のように、長くそこに滞在するようなところではない。
ラクダや馬で移動というのもないし。

そのかわり?建物の展示はしっかりしたもので、ゆっくりみるとかなり勉強になるように思えた。
昔のシルクロードのあたりのこと、そして今残っている遺跡など、私も興味津々だった。

玉門関の動画

玉門関チケット40元

■トラブル

玉門関では1620分から17時ちょうどまでの自由時間だった。
17時に出発予定だった。

私たちは各地点の距離感がまったくわからないけれど、後で知るがここからヤルダン地質公園は100キロ離れているということだった。

17時になってもまだそろわない人たちがいた。
3人きていないということだった。

運転手が誰かに電話して、電話番号を探してもらっているようだった。
10分ほどして、さっき席を替わってくれといっていたカップルが乗車してきた。

そして「運転手さん今日は夕日は見えるのかな?」ときく。

遅くなってすいませんという気持ちは微塵も感じなかった。
このときまだ来ていない人があと1人いたから、彼らが最後ではなかった。
彼らはそのことは知らないのに、その態度。

彼らは遅れても遅れなくても、態度は変わらないのかもしれない。


それから運転手さんは電話をかけている。

私たちは雑談をして待つ。
しかしそのうち、やはり、誰がきていない、どうしたことだ?という話になる。

後ろでひっきりなしに話し続けている40歳くらいの男性も、

もう20分も遅れている時間の観念が弱すぎるな、と言っていた。


しかし怒りまで来ている人はいなかった。だって私たちは地理を知らないし、運転手さんにお任せだったから。



やっと女性が一人走ってきた。

ごめんなさい。ごめんなさいと。



ああ、彼女だったのか。

さっき、玉門関で自分撮影に忙しかった人。
私たちが玉門関を後にして戻っているところやっと玉門関に向かっていたから、ちょっとペースが遅い人たちだなと思った。
でもそのときは3人組で、遅れたのは彼女一人だった。

運転手がかなり怒った。

君、自分の時計をみてみなさい、いま何時なんだ?
17時に出発だと言っただろう?
何時なんだ?え?

ここからヤルダン地質公園までは100キロ離れている。
その前に漢の長城にもいく予定なのだ。
今17時20分で、ヤルダン地質公園は6時すぎに入り口が閉まるんだよ!

今すぐに出発しても間に合うかどうか私は保証できない。それでも行くのか!?

皆は行くという。
運転手さん、早く出発しようよと、誰かが言った。

漢の長城には行くのか?と聞いたら、皆は行かないと。





・・・ということでヤルダンへ急いで向かうこととなった。

漢の長城はルート上にあるのに、寄れない。かなりむなしいけれど、ヤルダン地質公園の入場に間に合わないともっとむなしい。
とにかく今は間に合うことを祈るばかり。

100キロ離れている。
この道はほぼ一本道。信号はないし、100キロくらいは出せると思う。
だから、早くは着くだろうけれど、いかんせん100キロというのは遠い距離。

ここまできてヤルダンに入れないってことあるのか!?
ちょっとあせる。

みんなはあまりあせっているようには思えなかったし、
怒ってあの女子を責めるひともいなかったが、
朝からいっしょのグループだった中国人女性はそういう遅れる人が嫌いなようで、
20分も遅れるなんて!と結構いろいろ言っていた。

私も同感だな。
やっぱり、時間の感覚がゆるい人はこういう団体には参加してほしくない。
20分遅れても平気よ~みたいな人は迷惑だから、一人で旅行してほしいな。

■ヤルダンへ向かうが

漢の長城はどれだろうと恨めしく車窓を楽しんだ後はただまだかなと時間をみながら待つのみだった。
かなり時間はかかった。
やはり100キロだからね。
もくもくと進んだけれど、ヤルダンに着いたころには18:30だった。

ヤルダンは入れるか?!

■ヤルダン!

なんとか、営業中に入ることができた。ああ、よかった。
チケット購入して、あとは大きなバスに乗り込むと地質公園を案内してくれるというものだった。

案内は公園の専属ガイドさんがしてくれるのだけれど、なぜか途中から乗車きてきた。
最初の目的地はガイドなしだった。

最初は、「金獅迎賓」
これは金色の獅子/ライオンがお客さんを迎えているという意味。

お客さんを迎えるというのは、中国的によく使われる表現だな。
英語にするとwelcoming guestsになると思うけれど、日本人はあまり使わないかな。
接客というのも違うしね。

二番目は獅身人面。これはスフィンクスという意味。

     
 ↑金獅迎賓
 皆ここで写真を撮りたがるのですごく混雑していた。
   ↑右のが金獅迎賓のようだ。
     
 ↑この道路もただっぴろい。    ↑このような専用バスで次の目的地へ。
     
 ↑左のがスフィンクス。    ↑「獅身人面」スフィンクスのことね。
     
 ↑スフィンクスは右端。    ↑名前がつけられていない岩たちだけでも絵になるよね。

■ガイド乗車

1つめの金獅迎賓の後にガイドさんが乗ってきた。いろいろ地質公園のことを説明してくれた。
ヤルダン地質公園についての説明って日本のガイドブックにも詳しく載っていないし、よくわからないなぁと思っていた。

貴重な情報に思ったので、その説明をボイスメモとして録音したのだけれど、帰国後再度 聞く暇はなく・・・。
また時間ができた時に必ずや聞いて、ヤルダン地質公園についての理解を深めたいと思うので、そのときまでしばしお待ちを・・・。

今覚えているのは、このヤルダン地質公園は二つの区域に分かれている。
一つの区域もかなり大きなエリアだそうで、自由に参観することはできない。

チケットに写真が載っているところは、訪れるのかと思ったら、そこはもう一つの区域にあるそうで、見ることはできないそうだ。


さて、次の見所へ到着した。

ここでも写真を撮る自由時間があるのだけれど、その出発時刻を全体に告げたときに、時間を守らない女性がいたことに対して怒りを覚えていた私たちのグループの女性が、
「さっきもね、時間を守らない人がいてね、20分も遅刻してきて大変だったんだから、時間に遅れたらおいて出発するってはっきりと言ってやってよ」と。

そのガイドさんは、私たちのいきさつは知らないので、いきなりそんな提案が出てくることにびっくりしている様子。

軽く了承したら、

「そんなんじゃだめなのよ!全然守らない人がいるのだから、皆迷惑!」と続けて主張。

ガイドさんは若い子だったけれど、「はい、ちゃんと集合時刻は守られるように気を配りますので」というような内容で返答していた。

なんというか、穏やかな場所にいきり立った人が来てしまった感じで、そのやり取りには温度差を感じたけれど、
私としてもそういった念を押した発言は、必要かもしれないと思った。

というのも、さっきの見所でもバスに皆が乗車し終わっているのに、一人で自撮棒を使って何度も何度も撮影をし続けて、周りが見えていない人がいた。
それが、さっきの遅れた彼女の連れだった。
遅刻した彼女は30歳前くらいだったけれど、このしつこい自撮棒の女性は30代後半に見えた。

普通の容姿の人。
そんなに自分の写真取りまくることに集中し続けられるなんて恐ろしい。
その写真何に使うのか?
SNSにUPしたいのかな?

現代人の旅がフォトジェニックだとか、インスタ映えとか、そんな基準になっている。
旅ってそういう要素もあっていいけれど、それだけだとただの大量消費になるからね。

まあ、中国という国は人口が多いので、そのようなカジュアルな旅行で十分に大きな経済効果があるし、
それでよいのかもしれない。

閑古鳥が鳴くような観光地はいろいろと考えないといけないのかもしれないけれど、
中国ではこれからどんどん旅行に出かける人が出てくるだろう。
そんな感じでよいんだろうね、今のところ。

■孔雀

3つめは孔雀だった。

ここは降りてから孔雀のあるところまで各自歩く。
といってもそれほど離れているわけではない。

その周りにも絵になる風景がたくさんあるので写真を撮る。

孔雀のあたりではスマホで動画を撮る人が多くて、自分を中心に一周して動画を撮りたい人がいる。

日本でもそういう人はたくさんいるけれど、ここ中国では「これから動画を撮るから中に入らないでくれ」と周りの人に注意を促すのだ。
周りの人は見ず知らずの人だよ。

私からするとなんだそれ、の世界だけれど、それがOKなのが中国なんだね。


あちこちで、動画のためにどけてくれるか?そんな会話が耳に入った。

私も自らそんな障害物になりたいとは思わなかったし、距離を保っているつもりだったのだけれど、おじさんの声がきこえていた、

「おい、そこの人」と。

私は何かよくわからなくて???って顔したのだけれど、

結局のところ自分の動画に入らないように出てくれという指示だったみたいだ。

私が外国人で、即座に理解して移動しなかったことに、怒っていることはなかったけれど、また撮り直しのようだった。すごいね本当に。

     
 ↑次は孔雀。   ↑ここはその周りも歩いてみた。 
     
 ↑柵があって入れないのだけれど、幻想的なところ。   ↑孔雀にも近づけない。 
     
     ↑別のバスが移動しているところ。

動画



■西海艦隊

この左に舟、右に見の字はjian第四声で、軍艦の意味。ここがヤルダン地質公園の一つのハイライトであるようだ。
最後の見所で夕日が沈むのを見るそうだ。

5,6台のバスが停まり、それぞれに写真を撮影した。

     
 ↑西の海の艦隊という意味。
例によってこの石とともに写真を撮りたい人後を絶たず。
  ↑艦隊のように舟が並んでいるようにみえるという。確かに壮観。 
     
 ↑この写真はワンタッチ補正をしているので暗くなっている。    ↑実際に見えた色彩はこちらの方が近い。
     
 ↑お天気が夕日が見えるような天気ではなかったのが残念。    ↑それでも時々は夕日が見えた。

動画

この場所で、これといったベストショットは撮れなかったけれど、十分に自分の目で楽しんできた。
このような場所がすぐ隣の国にあるということがすごいと思ったし、そんな場所を訪れることができたことがうれしかった。

母とのはじめての海外二人旅、レアーな場所を選択したけれど、ここは来る価値あるね、って思った。
母もこの地質公園は、見たことのないような場所だったので、楽しんでいるようだった。

ヤルダン地質公園チケット120元

■帰路

1945にヤルダンを敦煌に向けて出発した。

 ヤルダン地質公園、無事間に合ったし、夕日はいまひとつだったけれどちゃんと見学はできてよかった。
ヤルダン地質公園が一番よかったかもしれない。
トラブルはあり、漢の長城が見えなかったのが一番残念ではあるけれど、まあよしとしよう。

今日のツアー西線の順位をつけるならば、
ヤルダンが一番で、二番が陽関、昼食、玉門関、敦煌古城かな。

西線は値段によって、陽関の入っていないバージョンもある。
朝早いのはヤルダンに最初に行って、その後敦煌に戻ってくる順序でみて回るそうだ。
夕日を見るのは朝9:30出発で敦煌に近いほうから訪れ、最後にヤルダンで日没を見るということらしい。
今回のような時間が間に合わないということは多々発生するのかどうかわからないけれど、
日没の夕日というのも天候次第なので、朝早いのが苦でなければ朝バージョンの方がゆっくりできるのかな??

ホテルに着くのは23時ごろと言われていたけれど22時すぎに到着した。
私たちは先に降りた。

ホテル名というよりは通りで「鳴沙路」に降りる人は?と運転手が尋ねるので自分で申告しないといけない。
朝は確かにこのホテルでピックアップだったけれど、それをきちんと引き継いでいたりしないのだろう。
その点中国語ができない人は誰かに頼るしかないだろう。

そういえば、午後から乗ってきたグループにフランス人親子がいた。
若い女性とそのお母さん。

若い女性は上海で仕事をしているらしい。中国語で会話できるようだった。
フランスっぽいなまりのある中国語だったけれど中国語を話すことには慣れているようだった。

彼女らは自分から何も言わなくても、外国人のお友達(外国朋友を日本語になおすとそうなるのか?)はどこで降りるのだ?と運転手は積極的に尋ねていた。

私たちも外国人のお友達ですが、私たちにはきかないのかーい?と言いたかったが、
やはり外見の違いだろうね。

遠くからきた外国人のお友達と隣の国からきた外国人のお友達。

無意識なレベルでの違いなのだろうけれど、まあいいです、私の中国語がレベル高すぎて、余計な心配無用と思ったというふうによいように解釈するようにする。

バスはすごく寒くて眠れなかった。
疲れたけれど、寒さが足元から上ってくる。

バスは暖房がきかないようで、足元から冷たい風がはいってくるのよね。
冷え性の私は本当に足が冷たくて寝ることができなかった。
つらい時間だったなぁ。
持っている服装で一番厚いのきてきたけれど、寒かった。

朝運転手が言ったように、寒い日だったのだろう。

ヤルダンの観光が終わったときに、張yeで降雪があったと誰かがネットニュースでみたようだ。
寒い日のヤルダン観光。寒さは堪えたけれど、いいところだったよ!
敦煌に行く人にはぜひ訪れてもらいたい場所だ。

22時ごろについて、私は何も食べずに寝た。
お菓子などは食べてよるご飯の替わりにしていた。
夜中には食べたくなかったし。

でも母は、今日はまともなもの食べていないから、と部屋に戻ってまた何か食べていた。
すごい健康なんだなぁと感心した。

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